3日坊主どころか、2日で既に大志を成し遂げず。。。出張を言い訳にしてはいけませんね。
ドバイへ行ったが、ちょっと危機感を感じる都市だった。
何もかもが人工的で、しかも無理しているのも感じる。急いでいる感覚すらし、本当に住んでいる人たちの幸福を鑑みているのかは疑問を感じた。
今回お世話になったタクシー運転手と談笑をし、ご家族の動画を見せてもらった。家の前でクリケットをしているのだが、家の様子はドバイの中心街からはかけ離れていて、本当にドバイに住んでいるの?と聞きそうになってしまった。これが世界の現実であり、その差を受け入れて暮らしている人もいる事を肌で感じ、自分自身がどこまでも甘ったれているかを考える。
複数の面白い人に出会ったが、皆口を揃えて、「自分が幸福である事が大事。仕事とプライベートのバランスが大事」と言う。
それはブルーワーカーの外人から、上記のタクシー運転手から、エリート外人まで含めて同じ事を言った。それがドバイなのか?そのように感じさせる都市という事は、やはり何かがおかしいのだろうと確信に迫りそうだった。
確かに何もかもが素晴らしい。物も充実している。建物に入れば、快適この上ないし、7つ星ホテルなんて天国のようなところなのだろう。でも、幸福レベルを保つための公私バランスをとる事とは、それらの素敵なものを(一部だろうが)必要としていない事の表れであるだろう。フェラーリがもの凄く必要かと言えば、当然そのような分けもなく、持っていたら幸せを感じるだろうし、持たなくても見るだけでも幸せだろう。幸せとは何かを感じさせる。
それにしても、ドバイの人口の6割がインド人と聞く。出身地はデリーではないらしいが、あまりの気質の違いを感じ、やればできるじゃん!と感動した。なんなんだ、デリー人は?
毎日書くつもりで始めた中、幸運にも土曜開始だったため、日曜に第2回目を書く事ができ、公約を2日間守る事ができた。明日からが志を通せるかどうかの評価が下ります。

昨日はインターネット(と言うかブログ)がどのように生活の中で機能しているかを自分なりにつづってみましたが、今日一日過ごしてみて、相変わらず自身から発信できるものが無く、他人が作成したものに関心/没頭する日々だと感じる。それでも幸せと感じてしまうから、時折自分の将来が不安になります。なぜ、人はお金を入手できるかは、それだけの価値のあるものを持っているからであって、勝手に転がり込んでくるものでも無いし、勝手に転がり込んできたお金を使っているようでは、学生の仕送りを使い込んでいるのと一緒で、何かしらの投資目的で転がり込んできているはずである。

では、人の価値とは何なんだろうかと考えるが、何かしらの貢献や、人が無いものを提供できるという事であり、その人の脳みその中や、その人が生み出した者、その人の所有物の提供が人の価値なのだと考える。人に何かを提供できるほどの物と言うのは獲得する事が難しく、苦学を通したり、人から嫌な思いをしながら奪い取ったり、神様から与えられた物であったりと、おいそれとは入手し難く、苦労の上で人に高く売りつけるものである。よって、普段から何かしらの投資をしなくてはならないのだろう。

自身は人に対して提供を行うために、何を投資して、何を獲得しているのだろうと考えるが、一つは時間という考え方ができるのではと思う。本来ならグータラと人が創造したテレビを見たり、ゲームをしたり、映画を読んだりしていればいいのを、その時間を割いて会社に何かを提供し、会社に利益が生まれるようにしているから、お給料を貰えるという考えなのだろう。では、その時間を割いて入手したものが価値があるようにしなくてはならないのだが、それを更に他者に対して価値のあるものにする必要があり、後者に対して会社は給料を払っているのだろう。

広告会社というところは価値を提供できているのかと考える。もう当たり前だが、右から左への時代はとっくに終わり、広告会社ならでは獲得できる情報や知見や取得物を、相手にとって魅力のあるものに加工する必要がある。だから広告主は報酬を広告会社に渡すのである。当たり前すぎて書く事もアホらしいと後悔するが、そのような中、今日一日かけてメディア広告会社の価値について書いていたら、非常に価値を見いだしづらい業務形態であると痛感する。

元々は媒体社からスペースを確保し、それを広告主に売り渡る事を生業であるのだが、それこそ右から左への世界で、ただ単に媒体社との口座を持っているからできるだけであり、それは単なる既得権から得る利益で価値の提供をしているとは中々言い難い。既得権を獲得するまで大変である事は間違い無いが、複数の会社がこの口座を持っている時点で何の価値にもならない。だから中間マージンを削っていく運命を辿っているのだ。

次に、ブランド広告会社とメディア広告会社でその得た利益を配分するとなるとまた話はややこしくなる。ブランド広告会社は何をしたからメディアから生まれる利益をもらう事ができるのだろうか?TVCMを作成しただけでメディア利益をもらえるのはおかしいとも考えられるが、TVCMを作成しているだけでは中々利益が出ないし、誰もやりたがらないだろう。メディアの大きな金額から生まれるそれなりのサイズの利益が見込めるから人は頑張るのであって、たかだかCM一本作成しただけでは雀の涙である。勿論、TVCM作成においてもそれなりの価値を与え、正当で業務維持ができるスキームが無いわけでも無いが、その苦労たるやとんでもない時間と労力を費やすので、それなりのモチベーションを保つためのインセンティブが会社には必要である。

この方向性だと感情論になってしまっていて、ロジカルな取引制度の考察には至っていない事が、一日かけて考えた末としては反省に値する。

なぜ、ブランド広告会社が利益を正当にもらえるかを、再度考える必要があります。再度反省。

今日はインターネットの力を使って日本にいる人とSkype通話をしたが、やっぱりインドの回線は遅いし不安定。インフラが不安定さがインドの今後に大きく影響を与えると考えるのだが、改善スピードは遅い。まだまだなのか。
ブログと言うか、日記と言うかを何度目かわからないが書く事を決心してみる。
毎日書く事としてみようか。志は高く。
なんで書こうと思ったかについては、やっぱり何かを書き続けていないと、
書けなくなるのではという恐怖心からなのだが、
どうせまた影響を受けただけと云う面もあるだろう。
家計簿しかり、運動しかり、本を読むしかり。
3日坊主とはよく言ったもので、
自分のような人間にあるのだなぁと感じる。

そもそも持っているIDからして、昔に作成したものだから気に入っていない。
それも変えなくちゃね。

まず、ブログというもの自体、他者への発信なのだが、
そんな人が好んだり、興味を持つ内容なんか書けない。
じゃぁ、別にブログという形をとる必要もなく、
手帳とペンを出して、書けばいいだけの話。
じゃぁ、なぜにブログという形式をとったのか?
やっぱり発信したい気持ちがどこかにあるのだろう。
見栄っ張りな自分がどこかにいるのだろう。
そもそも、そんなに前へ出たいタイプでも無いし、
そんなに自己主張してまでムーブメントを作ろうというタイプでも無いし、
人を押しのけてまで前出て、何かを発信するタイプでは無い。
そこで、発信という機能を持つブログを開始(再開)する事は、
発信したい気持ちが自分の奥底にあるという事と、
このままではいけないという危機感から来ているのかもしれない。

ここまで書いた時点で大げさ極まりなく、
そんなに考えてまでブログを書く必要すらあるのかと問いただしてみる。
もっと気軽にやるべきものだが、気軽にやっては行動に意味が無くなると思ってみる。

6年前くらいに初めてブログを書いたが、今でも覚えているくらい、
稚拙なものであった。
それはブログを書こうという目的自体が無く、
ブログとは何かと考えながら書いてもいないし、
流行にのり、なんとなく読まれて面白そうに感じてもらおうという観点だったから、
書いていた事が今になっても残るくらい稚拙なのだ。

「発信したい」という気持ちは持つ必要も無く、
ただただ思った事を日々書き、思考をする事が大事と思う。
それが結果として誰かの参考になるのであれば十分であり、
無理して面白いブログを書く必要が無いのである。

別に他者に教えるほど自分は何も知らないし、
そんなに教えたいという意識も無いので。

そう考えると、自分は非常に人間として歪んでいるのだろうと思う。
人間自体は自身の周りで発生している事に対して感情を持ち、
欲が出たり、疎んだり、泣いたり、笑ったり、怒ったりする。
自分が感情的になったりする場合があるが、我を忘れているし、
我を忘れて感情を出した事に毎回反省をしている。
人間味が無いのだろうか?
それとも恥ずかしくて認めたく無いのだろうか?
いずれにしても、自己中心的であり、他者を考える事まで至っていない。
他者を考え始めた時点で、相手に迷惑がかかると思ってしまう。
だからと言って、人間社会にいて、他者と絡む以上は、
相手の事を思いやる必要があり、
相手の考えを尊重したりする必要がある。

よく分からなくなってきたが、
人に迷惑をかけたく無いがばかりに、
普段は自分の考えを押し殺している場面を何度か感じるが、
その癖人は何を考えているかを知りたがり、
聞き出した結果として私から迷惑を被る事となる。
だったら始めから聞かずにいればいいのに。
きっと、私の会話の中から疑問が生まれ、それを埋めようとした結果なのだろう。
そう考えると、私は既に人に迷惑をかけているのだろう。

始めから書きすぎて、後から3行しか書かない日があったりするとかっこ悪いので、
これくらいとしよう。

本日の反省は、買い物をしたらレシートを見なくてはならないって事かな。
インド人は案の定間違え、結果として人生の10分程度を失った。
嬉しかったのは、間違えたインド人がわざわざ誤った事。
やるじゃん!