インド生活も早2年。
ムンバイからデリーに転勤になった私はいつものごとく
ほぼ日本人しかいない焼鳥屋でいいちこ
インドだけでなく海外ではお店で出されるお水は絶対に飲まない。アメリカで過ごしていた時に氷ですら食中毒になってからは、、、
夜もふけてきたので自宅に戻る途中、お腹に激痛が、、、
冷や汗が滝のように湧き出てもう死を覚悟した。
救急車で町の総合病院に運ばれた私はすぐに診察され、手術することに。
初めての手術がインドになるなんて思ってもみなかった。
ただ、不幸中の幸いだろう。
まさかの医師が日本人であった。
何度か病院にはお世話になったがインド人のドクターばかりで意思の疎通ができない。
言われるがまま薬を飲んだりしてたが、薬を飲むと治るので意思の疎通はできてたのだろう。
担当の先生はまだ若く20代後半から30代前半だろう。
若くて心配だったのだが日本語が通じることがなによりもうれしかった。
ドクターの名は「塚原 豪」先生。
強面の顔なのだが、ものすごく優しい。
手術が終わってからも非番でも様子を見にきてくれて、これこそ医師の鏡だと思った。
退院した私は何かあればすぐ豪先生に相談した
出身が一緒だとなんか親近感が湧き勝手に痛みと闘った戦友みたいに思うのだ笑
先生は順天堂大学卒業後、
ムンバイからデリーに転勤になった私はいつものごとく
ほぼ日本人しかいない焼鳥屋でいいちこ
(下町のナポレオンを日本の同僚からいただいた)
持ち込み飲むことに。
インドだけでなく海外ではお店で出されるお水は絶対に飲まない。アメリカで過ごしていた時に氷ですら食中毒になってからは、、、
夜もふけてきたので自宅に戻る途中、お腹に激痛が、、、
冷や汗が滝のように湧き出てもう死を覚悟した。
救急車で町の総合病院に運ばれた私はすぐに診察され、手術することに。
初めての手術がインドになるなんて思ってもみなかった。
ただ、不幸中の幸いだろう。
まさかの医師が日本人であった。
何度か病院にはお世話になったがインド人のドクターばかりで意思の疎通ができない。
言われるがまま薬を飲んだりしてたが、薬を飲むと治るので意思の疎通はできてたのだろう。
担当の先生はまだ若く20代後半から30代前半だろう。
若くて心配だったのだが日本語が通じることがなによりもうれしかった。
ドクターの名は「塚原 豪」先生。
強面の顔なのだが、ものすごく優しい。
手術が終わってからも非番でも様子を見にきてくれて、これこそ医師の鏡だと思った。
退院した私は何かあればすぐ豪先生に相談した
出身が一緒だとなんか親近感が湧き勝手に痛みと闘った戦友みたいに思うのだ笑
先生は順天堂大学卒業後、
フラフラとし、インドにきたとのこと。
知識量が豊富で20歳も離れているとはまったくわからない。
外見は老けてるという意味も含むのだが笑
何度も飲みにいくと色んなことを2人で話した。
生い立ちやなぜ医師になったのかと。
『私、本が好きなんです!医師になったのも本のおかげなんですよ。昔読んだ本に榊原伊織ってお医者さんがいて、この先生は貧しい人に無償で医療を提供してたんですよ。その本を読んでから医学に興味を持ったんです』
なんかカッコいいではないか。
医者になりたいと思ってなれるのがすごい。
続く。
知識量が豊富で20歳も離れているとはまったくわからない。
外見は老けてるという意味も含むのだが笑
何度も飲みにいくと色んなことを2人で話した。
生い立ちやなぜ医師になったのかと。
『私、本が好きなんです!医師になったのも本のおかげなんですよ。昔読んだ本に榊原伊織ってお医者さんがいて、この先生は貧しい人に無償で医療を提供してたんですよ。その本を読んでから医学に興味を持ったんです』
なんかカッコいいではないか。
医者になりたいと思ってなれるのがすごい。
続く。