東京大学の良心的な先生,阿部公彦先生にエールを! | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

世間一般人の大部分の人々の勤務は月曜から金曜のため,今日やっと気がついたのですが,

5月10日(木)に東大の阿部公彦先生が,

 

「民間試験導入について、ご意見ボックスを用意しました。こちら→ minkan.sos@gmail.com  英語入試に民間試験を使うことへの意見、不満、不安、怒り、疑念、お寄せください。もちろん興奮や喜びでもけっこうです(あれば)。拡散お願いします。近々、署名運動も開始する予定です。」

 

ということを述べて下さっており,

このチャンスをずっと生徒達を目の前にしてきた良心的な現場の先生方は逃してはいけないと思う。

私も早速メールを今日送ろうと思ってる。

英語教育関係者だけでなく,この民間試験導入の危うさに気づいている方々も意見を送っていただきたい。

 

阿部先生は勇気のある方だと思う。

私は先生を全面的にサポートいたします。

 

追記:

先日の東大の英語の外部試験導入に関する180度違う方向転換に,

驚きと落胆で憂鬱な日々を送っている間,

実は,私の中で日本の最高学府と言われている東大の価値観がゆらいでいた。

現オックスフォード大学教授の苅谷 剛彦先生の著書『オックスフォードからの警鐘 グローバル化時代の大学論』の中に,

イギリスの大学設立に関する考え方と日本の考え方は大きく異なっていて,

イギリスの大学は国を作るための学問で,全ての学問は国家を形作る前に存在してして,

思想・考え方が先にあっての,つまり,大学,そこに学ぶ,もしくは研究する人達が国家の核心部分を作っているという認識であるのに対して,

東大は,国家が先にあって国を作るための学問という考え方があるということ。国として豊かに成功していると言えるように,風見鶏のように変化し時代の流れに左右されるような存在であること。つまり,日本での学問自体がこれといったベクトルもないことを示していることの証拠,現証だと感じた。

私の中では,今回の学長自らの言動の不確かさが,世界から見た東大のランキングの低さは「そういうことなら低いのも仕方ない。」っと実感するような出来事だった。

日本の大学における学問に対するベクトルはとても脆いもので,

これといった方向性も何もなく,その時代や時によって左右するような普遍性を欠き,今行っている学問の方向性にも根拠がなくつきすすんでいるし,進んできたのだと実感する出来事だった。

日本の国立大学に成功だと言える根拠は別になく,はっきり言えば,

日本の国立大学設立構想の中には哲学的な考え方が欠いていることが分かった。

イギリスだけでなく,ヨーロッパ最古の大学があるイタリアのボローニアも,まずは思想,考え方ありきの学問ベースの大学建設があったに違いないし,日本のダメダメぶりの根拠はここにあるのだなぁと感じざるを得ない。それと,今回の方向転換で東大もたいしたことないなーっとdisっていたのも事実なのだけれど,ごく普通の一般市民の私が,そんな風に感じている間,

阿部公彦先生のような方が学内にいることは,流石だなぁーと,まだ大丈夫かもしれないっと思えたのも事実。良心的な声はことごとく消されてしまう嫌な世の中にあって,先生は一つの光明。

本当に頑張っていただきたい。

どうしても頑張っていただきたい。

どうしても。なんとしても。