今年も3年生担当なため遠出は出来ず,
学校に入り浸っているあたくしでございますが,何か?
内向きじゃないですよ,全く。
羽が生えてここまで来たわたしを,内向き呼ばわりしたら,わかっているだろうね,ふっふっふっ。
一生懸命仕事することがなんで内向きなんでしょ?
いつか覚えてなさいね。
NHKつかって権威ぶって発言して,あなたが出るたびにスイッチ切っている人がいることも気づかずに。購入したばかりのテレビを壊してはならないんで・・・そうしているだけ,ふっふっふっふっ・・・。
とにかく,
皆様いかがお過ごしでしょうか?
再来週から2学期が始まるなんて,
全く休みがあった気がしない今日この頃。
なもんで,
毎日毎日,どこどこ生命とか,なになに生命のお姉さんやおばちゃんたちがやってきて,
机上に勝手にチラシをおいて行かれるものですから,相当な枚数のプリント(最近のニュースとか話題になるものとかテレビの番組案内とか)や,飴玉(たまあると案外嬉しい)が散乱している。
すでに,それ相応の保険に加入している上,給料はカットカットでやりくりを上手にせねば,将来自分の首を絞めるので,これ以上保険にお金はかけられない。
ゆえに,まったくその他の保険に入る気,払う気はないので,出来ればあんまり来てほしくないのだけれど,面と向かってそうとも言えず。(ひつこく勧誘されそうになったら言うつもり)
保険のおばちゃん達が配るプリントは大半は読んでないのだけれど,
イパネマの娘のモデルが未だ存在するという話には,ちょっと興味を持って調べた。
「イパネマの娘」は世界中の人々が知っているボサノバの曲
この曲が作られる過程で伝説的に語られている、以下のエピソードがある。
当時、ジョビン、モライスなどのボサノヴァ・アーティストたちは、リオデジャネイロのイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」にたむろして酒を飲むことが多かった。
このバーに、近所に住む少女エロイーザ(本名:エロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピント、Heloísa Eneida Menezes Paes Pinto 1945年 - のち結婚でPinheiroと改姓したため、エロイーザ・ピニェイロの名でも知られる)が、母親のタバコを買いにしばしば訪れていた。彼女は当時10代後半、170cmの長身でスタイルが良く、近所でも有名な美少女であった。
ジョビンもモライスも揃って非常なプレイボーイであり、事にモライスはその生涯に9度結婚したほどの好色家であった。女好きの彼らはエロイーザの歩く姿に目を付け、そこからインスピレーションを得て、「イパネマの娘」を作ることになった。(ウキペディアより)
彼女の名前もさることながら(エロイーザ),好色家のおやじ2人が,ビーチでかわいい女子高生くらいの女の子を下から上からなめ回すようにいやらしい目で見て書いた曲を全世界の人々が絶賛して聞いているのに,一種奇妙で異様な感覚が走ったのは私だけではないはず。
往々にして,芸術っていうものは,そういうものからの発露であるのだろうが。
逆に熟女がビーチでお酒を酌み交わし,そこにチョーかっこいい青年が現れて,同じような曲ができたのかといえば・・・・きっとない。
スタイル抜群のイパネマの娘の後姿↓

好色雑誌に載っていてるイパネマの娘↓

娘もモデルで活躍のイパネマの娘↓

好色男のモラリスとエロイーザ↓
