女性から男性に渡すのは日本だけなんだよね。
それも,チョコレートでなくて全然構わない。
ホワイトデーも海外にはない。
日本のチョコレート会社が意図して作ったものでないかと言われている。
日本の慣習って,そんな風に簡単に手が加えられてしまっているんだ。
節分もそうだし,
あらゆるものの価値判断は,その場の雰囲気で決められちゃうような真のない感じ。
誰かが,日本人は100年の間ずっと守られ大事にしてきたものを,簡単に捨ててしまうと言われていたけど,これって日本人のことをよく表しているよね。
言葉に巧みに操ってきた日本人の悪い部分は見破らないと。
なんだかよく分からないもの,力で強引に推し進めようとしているもの,事実の裏にあるものを感知して読み取り,群れない,関わりあわないのも大事だよなって・・・・って思う。
誰だっけ?
本当に最近,人の名前が直に出てこないのだけれども,
ある有名な社会学者が言っていた。
学者や知識層が上手く情報を操作し良質なものを的確に伝えられるように市場を操作する時代から,
国民,すなわち庶民のレベルの個人でそれが行われるようになると。
それは一部の特権階級がいなくなるということも意味する。(知識人たちは,自分たちにしか理解できないことだと思い上がり,弱い立場の人間を利用していた人が,今度は大多数の目にさらされて,逆に庶民からシビアな判定を下されるような時代)
世に言う御用学者の存在を庶民が見抜いていき,情報に安易に流されない個々を確立すること。
グローバライゼーションの先にあるものは,日本にだけしか通じない固執した価値判断基準をワールドスタンダードまでもっていくことができる。
その際,
余所の国の良いとされたモデルが採用されるのみならず,
日本の基準がそれに代わっていくこともあるかもしれない。
すべてではないであろうが,そうなりうる可能性は十分にありうる。
世界中に今ある閉塞感は,
ある意味クリスチャ二ティーの閉塞感なのかもしれない。だって,歴史を振り返って,今までリードしてきたのはこの人たちの考えですよね,実際。
多くの海外の先進的な人たちは,それに変わる何かににこれからの将来を託そうと期待している人が多い。
実際,私のところのALTのイギリスのご家族も熱心な仏教徒だ。
私がイギリスに住んでいた時も多くの仏教徒と会ったし,そのコミュニティーにも連れて行ってもらった。沢山議論もした。
日本だけにいたら気付かないんだよね。こういうことは。
海外に出てみると,自身のいい面がたくさん見えてくる。
失われそうな自信を取り戻すことができる。
世の中は興味深く,寝る時間も惜しいほどだということが分かる。
そのくらい私たちがもともと持っているものは価値がある。
っていうぐらいの強気でいかないと,対等に話ができない。
中盤からは全部私の意見。