内田樹先生のブログが面白い。
先生が率直で,本音で面白いし好きだ。
やっぱり,来年の10月あたりまでお仕事を控えるらしい。・・・・・残念。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
女王様のクーガー世代は,
日本の辺境性に耐えられなくて,外(海外)に出る人が多かった。
外では,自己主張しないと生き残れない。自己主張したらだめだと言われる日本でのマナーや,人々の本音と建前の世界があまりにも不自然でややっこしくて,嫌だったから,海外に行った人も多い。
今の若者が,あまり海外に出たがらないのは,
もうすでに日本が辺境でなくなったからだとは言えまいか?
日本人の発信力は世間で思われているほど弱いものではない。
以前よりも緻密に考え探究したりする姿勢も培われているのではないか?
そんな感じに思っているのは私だけかしら?
・・・・・・・・・・・・
豊かさから私たちが得られたものは,成熟だと言えるように,歴史を作っていけばいい。そのように向かわしめることは可能。
もし,日本人が日常的に英語を話すようになれば,辺境人にはならないのだろうか?
内田先生の言葉を逆説的に考えればそういうことになる。
私達は,自らが中心となって,何かを発信することができるようになるのだろうか?
少なくとも,
50年前の若者達がなかなかできなかったようなことを,今の若者がさらりとやってのけることが出来るのは,
凄い進歩ではなかろうか。少しでも発信できるようになってきていると思うのは勘違いかしら?
・・・・・・・・・・・・
肉食のクーガー女子は,母となり,子供達に辺境人になってほしいと言い切ることができない。
「辺境」という言葉は決していい意味でない。なぜなら,運命に翻弄されて共倒れになる可能性だってあるから。
自らが動かしているという感覚が持てないところで,すべてが決まり動いていけば,
良い時には大丈夫だろうが,たまたま中心にいた者が倒れたら,その他全員が将棋倒しのように倒れてしまう。
言語を操るということは,自身を自立させることだと思っているから,母親達は子供に躍起になって英語を学ばせるのかしら?
どうかしら?
私間違ってますか?