鹿児島中央駅の前にある銅像には,
彼がブドウを持っている姿を見ることができる。
天才的な日本人実業家がいたことを,私達は知らなすぎる。
彼の名前を知っている人が,日本にはたして何人いるだろうか?
日本人が海外で成功したいと思うならば,長沢のことを勉強されたらいい。
海外の方が,彼は有名なのだ。
歴史上活躍してきた,知られざる日本人の功績をもっと知っていくべきだと考える。
先日,
焼酎の会社で有名な某酒造会社(全国的に有名です)が,ワイン会を催した。
実はこの酒造会社は,地元で焼酎を作る傍ら,山梨県の広大な土地を所有し,そこでブドウを栽培しワインを作っているのだ。
今年が50年目の節目となる。
そこでできたワインを試飲するということで催されたのだ。
知恵のある頭の柔らかい人たちは,
その土地の気候や風土をも利用して商売をするのだ。
発想があるかないかの違い。
焼酎だけでなく,女性が好む美味しいワインを提供したいという粋な願いから生まれた発想。
この試飲会はいつも大盛況で,県の教育長も来られる。
ペットボトルに入ったボジョレーとは,比較にならないくらいの価値があるのだ。
地方をぶった切れ!と言ったような乱暴なことを言っている東京のはてなの「ちきりんさん」は,この土地が全部一つにつながっていることに気づいていない。
東京で得られる税収の半分以上は地方の努力のたまものかもしれないのに・・・・。
どれだけの企業が地方から参入しているのか,知らないのかしら?この方?
あなた方の口にしている野菜,お肉はどこのものなのか?
あまり調子に乗って発言するといつかしっぺ返しが来ると,私は考える。
私はちきりんさんのそういう発言が嫌い。大嫌い。(私のブログなど全然気づかないと思うので自由に発言)
ここで,
長沢鼎さんをご紹介
■略歴
長沢鼎(ながさわかなえ)は1852年、鹿児島城下に生まれました。幼名を磯長彦輔といいます。代々洋学の家系で、彦輔も1864年洋学校開成所の生徒となりました。1865年薩摩藩が派遣した留学生に選ばれ(留学生最年少で当時13歳)イギリスに渡りました。このとき長沢鼎と改名しました。
イギリスでは、スコットランドの中学で優等の成績を修めました。1867年森有礼ら5人の仲間とアメリカに渡り、後にひとりカリフォルニアに永住して労働をしながら勉強を続け、大ワイン工場を興し成功しました。そして、1934年サンタローザで83歳で、亡くなりました。
1983年日本を訪れたレーガン元大統領は「長沢は日米国に貢献した。」と彼を称えました。鹿児島サンタローザ友好協会は、この長沢鼎の功績を記念して設立された団体です。
■ロナルド・W・レーガン米国大統領の演説
1865年、長沢鼎という若い侍の留学生は、何が西洋を経済的に強め技術を進歩させたかを学ぶために、日本を発ちました。それから10年後、彼はカリフォルニア州サンタローザに、「ファウンテングローブ・ラウンド・バーン・アンド・ワイナリー」という小さなぶどう酒の工場を開き、やがてカリフォルニアのぶどう王として知られるようになりました。
長沢鼎は、学ぶためにカリフォルニアに来て、そこに住みつき、私たちの生活を豊かにしてくれました。侍から実業家になったこの日本人は、日米両国に多くのもたらせました。
(日本国国会におけるロナルド・W・レーガン米国大統領の演説。1983年11月11日)