チンギス・ハン (最悪の事態にも希望を捨てず志を保つ生き方のお手本) | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

現代人がチンギス・ハンに学ぶべき点は大きく分けて3つある。

1.逆境での強さ(生命の危機を何度も乗り越えてきた。波乱万丈の人生)
2.グローバル化を実行(人種や身分,言語,宗教,出身地などあらゆる違いを持った人々を使いこなした)
3.国際機軸通貨「ペーパーマネー」を800年近く前に作り流通させていた


危機に際して,どこからか同士が現れ,チンギス・ハンを助けてくれた。なぜ彼に見方が現れたのか。
1つは,彼の秩序意識である。
チンギスハンの思想は決してブレない。生命を賭してまで群れの秩序を守った。秩序に馴染みにくい遊牧民族や征服した他民族を入れた軍隊が規律を保ったのは,チンギスハンの組織の秩序の厳格さにある。

チンギス・ハンは史上空前の大帝国を立てただけでなく,子孫の代まで強大化する基礎をも築いた。
では,その基礎とは何か。まず第一は,大量報復の軍事作戦である。
チンギス・ハンは最初の使者で門戸を開いた都市は優遇し,二度目の使者で服従した都市には罰金を科して許した。だが,二度とも拒否し使者を殺したりすると,手段を選ばず猛攻,陥落の後は略奪暴行の限りを尽くさせた。

中でも残虐だったのは,一度降伏しながら叛乱した都市で,徹底的な皆殺しを行なった。これは単なる怒りや気まぐれでない。少数の駐屯で広大な領地を治めるための大量報復戦略である。
「叛乱すると皆殺し」・・・・・
この事例が知れ渡ると,あえて叛乱するものがいなくなった。
少数の軍隊で治安が保て,安価な費用で統治ができた。

この思想は20世紀に甦る。「侵略国には核報復も辞さず」という核軍略がそれである。第二次世界大戦後,世界に大戦争が生じなかったのは,良くも悪くも米ソ両大国の「大量報復戦略」の支えがあったからだ。

モンゴル帝国が長く平和と秩序を保てた第二は,「徹底的なグローバル化」だ。
古来,国土の拡大は,経済的利益の追求か自らの宗教や文化の普及がその理由とされている。だが,チンギス・ハンにはこの二つの動機は当てはまらない。

チンギス・ハンは,どこに行っても,その国の宗教,その国の習慣,その国の文化を尊重している。

なんのためにチンギス・ハンは世界制服を成し遂げたのか。
彼の目指したものは,「グローバリズム」であった

「地上に境なく,人間(じんかん)に差別なし」の世界を作ろうと考えた。世界中を平等社会にする,それこそが最も効率の良い社会だと訴えた。いわゆる,「知価社会的精神」を最初に訴えた人物なのである。

「天尽き果てるとも,わが志,尽きることなし」と自らの理想を追い続けた。
この理想への行動に,人材が集まったのだ。

チンギス・ハンの言葉は,建前でなく,本音であった。統治の技術としての「アメとムチ」でなく,理想としての無差別。

実際,彼の家来にはあらゆる人種がいた。
モンゴル人,トルコ人,ウイグル人,中国人,ロシア人,イラン人,中にはイギリス人やハンガリー人の将軍。中国行政官も,ペーパーマネーを作ったマフムード・ヤラワチのようにイスラム系の経済学者も多い。


最悪の状況でも希望を捨てずに志を貫く。そういうすごいことを成しえた人で彼以上の好例はいない。

チンギス・ハンは時の大勢力に逆らっても,自分に忠実だった人物と言える。父が急死しても,皆が去る中で「他人の家来にはなりたくない。」と本音を貫いた。大量報復思想もグローバル化も本音だった。

「自分に忠実であれ!」ということが,一般人が学ぶ部分だと感じる。


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