女王様が聞いた内田樹の講演③ | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

皆さんご存知のシャーロックホームズの物語は,エディンバラ大学の医学生だったアーサー・コナン・ドイルが、医学部の名物教授ベル博士と出会うことから始まる。鋭い観察眼と推理力で犯罪捜査に挑むベル教授と共に、ドイルは大学を卒業した後も数々の事件にかかわって行くというストーリーだ。 ジョウゼフ・ベル教授は実在のエディンバラ大学の医学博士であり、ドイルはその教え子だった。ドイルが後にベル教授をモデルにこの物語を作り上げたというのは、有名な話である。


シャーロックホームズは犯人が誰かすぐ分かるが,なぜすぐに分かるのかは分からない。それはおそらく,シャーロックホームズが数百のシグナルを言語化する前に分かってしまうからである。


ベル先生は,患者がドアから入ってきて椅子に座るまでの間で,微妙なシグナルを読むことができた。


私の友人のK・Wが本人は,全く自覚症状がないのだがある日医者を訪ねた。

「自分はお酒を嗜むので,いつも便がゆるい。今日は先生に会いに来てみた。」と言って受診し帰ったそうだ。


その後,その医者が,K氏の奥さんに,「あんなに医者嫌いのKさんが医者に来るのはおかしい。すぐに大きな病院に行ってください。」と電話したらしい。その後,K氏は大きな病院での検査を受けて直腸癌であることが判明した。


リベラルアーツと言われる分野,すなわち学士課程における人文・自然・社会科学を包括する専門分野において,孔子が教育に求めた「礼・楽・射・御(馭)・書・数」の学職・才能・技術のうち,現在の日本の教育は「数」の部分ばかりを要求しているように思う。孔子の求めた教育と日本の教育が求めているものは全く異なってしまっている。


かすかなシグナルを聞き落とす,あるいは見落とすとことは自然科学の対象になることができない。

自然科学の研究は一切記号化されない。すなわち,数値化されない。そうでなければ,適切なメッセージ,リソースを投じようとしていないこととなるのだ。


中学校から大学まで,努力に対する報酬は何ですかというふうに追求し,子供たちは自ら自分自身を殺してしまっている。結論を出せないのならしませんよという感覚がまかり通っている。


問題として認識するのは何か,解き方のとば口は分からない,まだ解いてはいないけれども解ける。知的活動の基本は,「問題は解ける」という自信なのだ。


今の若者には「学ぶ力がない」,様々な思想や宗教に一瞬で染まってしまう。どういう報酬があるかわからないけれども,とにかくこの人に従ってみようと,先駆的に分かることによって,限られたリソースをそこに集中することができる。これはいつか役に立つかもしれないという感覚なのだ。


学力低下,学力低下とよく言われるが,授業数を増やすだけではどうにもならない。

子供達の「いつ役に立つか分からないがいつか役に立つだろうという感覚」の欠如と教育の市場介入が進めば進むほど,学力は低下していく。数での競争を進めれば進めるほど学力は低下し知的な日本人を生み出すことは困難である。(ここの部分は女王様が先生からお聞きしたことをまとめた。)


学生の中にも,いかに勉強するかではなく,いかに勉強しないで済むかということに全神経を集中させる者がいる。かつては少人数だったこのような学生もいまはむしろ今は普通になってきている。


モノを壊すのは簡単。作るのは非常に大変である。


いかに勉強しないで単位を手に入れるか,教師から出された宿題や5冊の本の読破をなぜ読まないのかに力をそそぐ愚かしい人間の多いこと。


学級崩壊で,子供達はなぜ授業を妨害するのか?

これは,自分のライバルをなくすためである。友人に勉強させないように学級を崩壊させる。

皆の足を引っ張り,級友のもしくは教師の持っているやる気をなくすためにしているのだ。

どうやって自分以外の人間を叩き落すか?

そのように学級崩壊させる子供は,努力は無駄であると教師にたてつき,皆の勉強する気をそぐ。


格差・ニートになるぞ!と脅し恐怖に追い込んで競争を強化すれば学力はもっと乏しくなる。


どうやって人間のもっている潜在能力を引き出すのか?


何がなんだか分からないけれども,何か良いことに会える。という感覚が必要である。


どの能力をどのように開発していくのか?


教師は何もしないでじっと見ているのがいい。


Open mindで自分自身がコミュニケーションの成熟した大人であれば良い。


大丈夫。一人前の大人はこういうものだと実際に示してあげることだ。


豊かに楽しく有意義に過ごしていき,自身が成熟した大人になることだ。