現代物質文明の長足の進歩による情報通信技術や交通手段の飛躍的発達に伴い,人類はかつてない利便性や豊かさを手に入れました。
インターネットや電子メールを通して瞬時に世界中の情報や物を入手することも,かつては考えられない速度で地球上のあらゆる場所と通信することも可能になりました。
しかし,このような膨大な情報と物の洪水の中で,現代物質文明を生きる人々の精神は,果たして豊かになっているのでしょうか。花や鳥の囀り,夜空の星々と語り合い,詩を読むという豊饒なる心を消失してはないでしょうか。いな,現代人の心は,広大なる宇宙や大自然の律動,悠久の時の流れから切り離され,孤独感と疎外感にさいなまれているように写るのであります。
人間と宇宙,人間と自然,人間と社会が分断され,人間と人間同士の結びつきさえ,限りなく希薄になりつつあるようにも思えるのであります。
今日の科学技術の発展をもたらしてきた思考法は,一次元からいえば,外なる現象を自己から切り離し,対象化していきます。ここに,あらゆる現象の「物」化が起きる危険性がはらまれております。
すべての自己と距離を置いて分析し,「物」や「数」という要素に還元していく思考法によって,確かに現代物質文明は長足の進歩を遂げてまいりました。
しかし,その一方で,ともすれば人間やかけがえのない生命までも「物」化し,統計上の「数」として捉える傾向性は,大宇宙や大自然と共鳴し,感動しゆく「詩心」を衰退させ,そこから沸き出る豊かな精神性,倫理性をも奪うに至っているのではないでしょうか。
こうして,大自然や宇宙が奏でる根源的なリズム,「永遠なるもの」から切り離されたことは,現代人の孤独感,疎外感を生み出してしますのであります。
物質的な豊かさや尽きることのない欲望の充足のみを追い求めていけば,「自分さえ良ければよし」とするエゴイズムが蔓延していきます。その結果,他者に対する無関心,他者に関わろうとする心の無気力化が進みます。非寛容や差別意識,憎悪などは,生態系の破壊,紛争,テロなどの直接的,構造的な暴力をも引き起こす元凶となりかねません。
現代社会においては,万物の共生,調和の律動が幾重にも分断され,エゴイズムに毒され,矮小化した「自我」による抗争によって,家庭から民族,国家,人類社会の平和が蹂躙されているのであります。
詩人は,ある時は,大宇宙の根源の法則を見つめ,またあるときは,人間の生命の中に,無限の可能性を見出します。ゆえに詩人とは,自身と大宇宙を貫く宇宙根源の法(真如)を呼吸し,そのほうに則って,生きとし生けるものを融合させ,人間と人間の心をつなぎ,この人類社会に調和と平和の「楽園」を作り出すといってもよいでありましょう。
分断された世界の中で,貪欲に突き動かされる余り,生態系が破壊され,「地球温暖化」や「大量破壊兵器」に代表される人類の「種」としての絶滅さえ危惧されている今日こそ,「宇宙根源の法」に横溢する慈悲のエネルギーをくみ出し,「四大」(地・水・火・風)の絶妙なる営みを洞察する智慧の光によって,「人間」と「社会」と「宇宙」を結ぶ詩人の「平和と共生の叫び」が不可欠であります。
地球上に生きる民衆の生命の内奥には,「詩心」が脈打っており,人間は皆,本来,詩人であります。すべての民衆の生命に脈打つ「詩心」は,「永遠なるもの」と共鳴しつつ,「慈悲」「非暴力」「同苦」「寛容」「智慧」等の輝く精神性となって発現してまいります。
それ故に,こうした「詩心」を抱く詩人にとって,諦めや無関心は魂の敗北であります。人間の尊厳性を踏みにじり,民衆の生命を抑圧するような「悪」は断じて許すことはできません。なぜなら詩人は,それを自己自身への冒涜として同苦するからであります。
詩人が,宇宙の深淵を見据え,人間の内奥深く目を注ぎ,そこから言葉をつむぎ出していくのは,権力に虐げられ,宿命に泣く民衆の代弁者として叫びをあげるためであります。
人間主義の旗を高く掲げる詩人は,常に民衆を愛し,民衆と共に生きるが故に,民衆を貶める邪悪な権力とは断じて闘うのであります。
ゆえに詩人とは,民衆と共に,悪と戦う「慈悲の人」であり,同時に未来を指し示す光を掲げゆく「英知の人」なのであります。
このような詩人の中からこそ,「世界平和の調和と人間主義のための詩」が,無限に生み出されゆくであろうことを,私は強く深く確信してやみません。