以前にも書いた通信講座の話。

実はまだ現在進行形で、

今もその課題作成に追われているのだけれども、

あまりに寒いのと、計画通りに進まないことへのいら立ちなどで

集中できなくなっている状況だ。

 

ここに何か書くことで気持ちを整理できるかもしれない。

なんつって、結局はサボるための単なる口実かな。

何はともあれ、このところの服選びについて

ぼやいてみようかと思う。

 

寒いので、外に出るときは上着が必須だ。

(室内でも厚着しているくらいだからね)

近場に出かけるときは、できるだけかさばらなくて

周囲から浮かない格好で…という基準で

服をチョイスする。

身につけるもので冒険しようという気概は、

少なくとも今はどこかに消えている。

このごろ着ているのは、無難な色とデザインで、

そこそこ流行を押さえていて、

自分の本来の好みからもかけ離れていないもの、

という感じである。

それで、近所に買い物に行くときなどに

引っ掛ける上着をそろそろ新調しようと

思うのだが、なんだか気に入るものが見つからない。

帯に短したすきに長しといった感じなのである。

 

それから、家の中で着る用の

前をボタンで留めるようになっているカーディガンが
ほしいのに、今の流行りじゃないからなのか

全然店に置いてない…。

少なくとも近所の〇まむらチェーンにはいつ行っても

見つからない。

セーターなら比較的豊富に揃っているのに。

やっと見つけたと思ったらサイズ違いだったり。

 

というわけで、冬服の獲得には苦労している。

 

 

 

 

 

 

 

Eテレの「100分de名著」。

11月の名著は、ラッセルの『幸福論』だった。
世界三大幸福論(アラン、ラッセル、ヒルティ)のひとつとされているのだそう。
アランの『幸福論』は以前この番組で紹介されているのを見て、
読んでみようかなと思ったことはある(結局読めてない)。
バートランド・ラッセルという名前は、しょっちゅう目にした記憶はあるが
有名人だということしか認識してなかった。
よく目にしていた、というのは、
受験勉強していた頃に英語長文読解の問題集で
彼の著作がよく引用されていたからだろう。
その後もどこかしらでよく耳にしたことはあったけど、
この方の本職はなんなのかまで調べたりすることはなかった。
どうも自分の英語長文アレルギーは受験勉強のせいだと思っている

ふしがあり、
当時問題集に苦しんだ思い出のせいで、バートランド・ラッセルという名前にまで
ネガティブなイメージを連想してしまうのかもしれない。
でも、どこかの時点で、英語の文章を「ただただ楽しんで読む」ことを覚えたかったな。
…というのは今になって思うことだけどね。
 

まあ、それはともかくとして。
名門貴族の出身で、英国の首相経験がある祖父をもち、
自身も数学や哲学などの分野で数々の功績を成し遂げている、
という輝かしい経歴の持ち主ということが
わかると、どうしてもバイアスがかかってしまうところはある。
“こういう(財政的、能力的に)恵まれた人でも”
ちっちゃいことで悩むことがあるんだなぁ、とか思ってしまう。
だけど、ラッセルは、そういう風に自分と他人の境遇を比べるのを
やめるべきだということを主張しているんだよね。
だってそれって不毛だから。
他人と比較をしている限り、自分自身の人生を存分に楽しむことはできないから。
でもそれはわかっちゃいても、
比較してしまうのが人間なんじゃないでしょうかラッセル様。

 

たとえば、「インスタ映え」ということばが今年の流行語大賞(「忖度」も大賞)

に選ばれるくらい、インスタグラムという写真共有アプリが

隆盛を極めている。

一方で、そうした「まぶしすぎる」他人の日常を

見せつけられ、そんなキラキラした世界と比較すると

自分の日常が非常につまらないもののように思えてしまい、

気持ちが落ち込んでしまう人も少なくない、という話も

情報番組で聞いた記憶がある。

水無田気流さんは、インスタ映えに走る人びとの状態について、

経済学者ソースティン・ヴェブレンが唱えた「誇示的消費」という

語になぞらえ、「新・誇示的消費」と述べている

※山陽新聞(2017)10月11日付朝刊「経済にっぽん診断 : インスタで

新・誇示的消費」。

 

もちろん、そういったこと何もかもがIT技術の発展の副産物と決めつけるのは

間違っているのかもしれないけど、

やっぱり私には少し今の情報社会というのに

馴染めないというか、違和感を持ってしまうことが増えている

のは確かである。

だからといってこことか、他で書いているブログをやめるかというと

「やめよう」とまで思い切れていないのだけれど。

 


…なんていいつつ『幸福論』は読んでみることにする。
具体的にどうすれば他者との比較をやめられるのか、という
実践的な理論がきっと書かれているのだろうから。
 

12月になった。

ここ数日少し暖かかったので暖房器具は使用していなかったのに、

今日は冬型が戻ってきたのか、部屋の中でも薄ら寒く感じられる。

 

さて、今日は日ごろ感じていることについて語ってみようか。

 

私は少女の頃、多くの少女がそうであるように、占いが好きだった。

星座占い、トランプ占い、タロット占い、さまざまな占いの本を読んだりもした。

また、占いとは異なるが、心理学、性格診断のようなものも好きだった。

定番だが血液型とか。

ただ、占いで運勢を見ることには最近興味がない。

だから、朝のニュースとかでやったりしている星座占いもあえて見ない。

そういうのは見たくないし、知りたくない。

知りたいのは運勢というよりも

各人の持つパーソナリティなのだ。

最近話題になっていた、兄弟の型で性格を分析したりする性格診断も

興味深い。

そういう本も出ているから、読んでみようとも思うけど、そこまではしていない。

血液型診断は、根拠はともかく、何となく当たっているような気がしてしまうが、

兄弟型の方は、血液型に比べれば、根拠により信頼性があるように思えるのだ。

たとえば、一人っ子の人と兄弟のいる人では、

兄弟のいる人の方が、「客観的に自分を見る機会」は相対的に多いはずだ、

と思えるのである。

だいたい、一人っ子は大人ばかりに囲まれているので、

自分と、「立場の近い他の誰か」とを比べて考えてみることが

少ないんじゃなかろうか。

…という根拠で、一人っ子には自己肯定感が強くて我が道を行く、

という人が多いような気がする、

というわけだ。

パーソナリティって、たぶん先天的後天的に様々な要素が複雑に

合わさってのものだろうから、世の中、そう一括りに考えることはできないんだろうけど、

兄弟型が人格形成に何らかの影響を与えているのは間違いないという気がする。

 

また、世の中、年上に好かれるタイプと年下に慕われるタイプがある、

なんてことも考えたりする。

私はというと、少なくとも年上から目をかけてもらえるタイプではないと思う。

年上に好かれる人の言動に注目していると、

礼儀正しくて、おだて上手、聞き上手な人か、そうでなければ、

父性や母性を刺激するようなやんちゃなタイプではないだろうか。

無論私はそのどちらにも当てはまらない。

 

なんてことを常日頃思ったりしているのである。