フリーランスの投稿ネタから書いてみます。どのようにして、12年、絵画教室を創り、今まで繋いできたのか。
そして、今も創作しながら双子育児をしているのか、少しお話をします。
長くなるので記事を分けて投稿します。
私は京都の美大(日本画)を出て、新卒で着物の会社に技術職で就職しました。
ですが、数ヶ月で人間関係でだめになり退社。 闇の時期がありました。
【着物関係は 静かな環境で落ち着いてそう】
なんてのは、イメージ。
老舗。歴史。しつけ。お着物は最高級。 師匠は国宝保持者。(名前は出せませんが) そんな煌びやかで華やかな世界は表向きだけです。
裏の世界はものすごく陰湿。
まぁいけずの京都ですしね!笑
師匠(80代)は素晴らしいのですが、その息子達が!
何も技術もない 口だけ営業 の息子達のパワハラ、暴言に、逃げてしまいました。
自分にはもう【勤める】は合ってないのだと、感じました。
最悪、売れない画家で生きるにしても、お金がなきゃ道具すら買えない。活動もできない。
やっぱり稼ぎたかったから、何度か転職に向け、ハローワークに通ったり、バイトで繋いだりして、自分探しの時期が数ヶ月ありました。そのとき24才。
それでもなかなか思うような仕事に出会えず、ふらふらしているときに。
母から
「あんた、絵とか教えれないの?」と。
確かに、美大在学中に二年ほど絵画教室講師のアルバイトをしていたり、一時期幼児教育の短大通っていたりもしていたので、子どもたちに教えたりするのは嫌いじゃなかったです。
だけどなかなか絵画教室の仕事を正職で雇ってもらえるってなく。たいていは大きな教室でも美大生のアルバイトやアシスタント程度です。
カルチャーの先生も考えましたが、当時は車がペーパーだったり、マージンとられるから頑張っても数万しか入ってこないよ。と。あれは、小銭稼ぎか趣味程度と言われました。
また、ふらふらしていたら、母から
「実家のリビング貸すから、家で教えたら良いやん?」
と。
家で、自分が、、、?
きっと、仕事が見つからない娘を見ていられなくなったんでしょう。母の方が、何故かやる気になってました笑
だけど、当然、経営の知識もなく、そもそも12年前だから、当時はラインもない。
mixiかTwitterが少し。まだまだ携帯やアナログの時代。友達関係も薄いし、
自分が開業なんて、まぁ無理すぎるわ と。私の方が乗る気じゃなく。
だけど、落ちるとこまで落ちました。
考えて考えて、
動かないよりは動いてみるか と。
それで誰も来なければちゃんと勤めようと。ふわっとした気持ちで動き出しました。
24才。初夏の時期でした。
私のフリーランス生活が始まったのです。
続く




