元父方のじいちゃんの話。

味噌汁を食べるとしょっちゅうじいちゃんを思いだします。

 

 

思えば変わったじいちゃんだった。

 

剣道の師範であり、戦争中はカミカゼ志願したという話も聞いたことがある。

国民の祝日には必ず国旗を家の前に掲揚し君が代を歌っていた。

 

家が貧乏だったらしく学びたいのに学べなかったとのことで歳を取ってから大好きな歴史の勉強をするために夜中の2時とか3時に起き、雨が降っていない日は屋上で竹刀の素振りをしながらご来光に拝むのが日課。

 

職業は都バスの運転手、定年後は盲学校のバスの運転手になり。

そこで知り合った女の子と文通するために?点字を独学で覚え、年賀状も毎年点字でやりとりしていた。

 

硬派かと言われればそういうわけでもなく女性が大好き。

そもそも人と話すのが好きすぎて、間違い電話の相手と話し込み「まだどうぞ」と切った話とか笑ったなー。

 

若い頃はおイタもしたらしいし、ばあちゃんが入院すれば看護師さんの名前を憶えて話しかけまくりすっかり有名人。

「女性はいじめるもんじゃなくて、可愛がるもの」と言っていた。

 

 

そして、かなり素直にエロい。

私の胸とか膨らみだしたら、じいちゃんちに泊まるたび毎度風呂や脱衣所を覗こうとしてくる始末。

あの時は本当に嫌で嫌でさすがに元母も苦言を呈したほどでした。

今考えるとほんっとにアホだなって思う。

 

 

でも。

可愛がってくれたなーと思う。

じいちゃんの胡坐の上は私の特等席だったし、「目に入れても痛くない」とよく言われて「じゃあ目の中で遊ばせてー!」なんて言ってました。

 

 

初めて家出をしたのは中2か?

英検に受かったお祝いをしてくれると言っていたのに、面倒になったのか突然「この前の外食がそれ」とそうでもいい外食をそうだと言い張り始めて話にならずイライラして電車に乗ってじいちゃんちに行ってしまったのだ。

すでに寝ていた2人、2階の窓からじいちゃんが「何者だ!」と叫んだので「私だよぉ」と答えたら本当に驚いてすっとんで鍵を開けてくれた。

 

話を聞いてくれて「そりゃお父さんとお母さんが約束をやぶったな」と。

で自宅に電話してくれて私を一泊させるので明日は学校に休みの連絡を、と伝えてくれた。

 

(※ちなみにその時電話に出た元母は心配どころか甚だ呆れて冷めた態度だった。

受話器から声も聞こえてたし帰宅後も無視されたし。

ちな、元兄がもっとどうでもいい家出を小学生高学年の時した時は保護された交番に車で向かう際大泣きしながら「そんなに遠くまで行ってたなんて・・・」って(笑)

こっちは家から消えても何にも心配されないどころかコレ)

 

で、翌朝。

ばあちゃんとじいちゃんが2人で朝ごはんを作ってくれて、3人で和やかにゆっくり食べた。

その時の味噌汁が白菜、木綿豆腐、油揚げのだったのだけど何かもう死ぬほど美味しくて。

「これ美味しい!人生で一番美味しい!ナニコレ!」と大騒ぎした。

それはじいちゃんが作ってくれた味噌汁で、「そうかぁ?そうかぁ!?」と気をよくしたじいちゃんは、以後私が泊まる時必ずこの味噌汁を作ってくれるようになった。

 

 

私が初めてにして最後に一人でじいちゃんちに泊まりに行ったのは大学の2年か3年かの期末テストが終わった時だった。

元母に「何でもいいから手土産はもっていけ」と言われたので、商店街で2パック¥500の苺を買って行った。

 

2人は本当に喜んでくれた。

近くのお店にお赤飯を買いに行くとじいちゃんが言いだしたので、一緒に行くと言ったら「自転車だから待ってろ」と言われたけど「じゃあ走るわ」とついて行った。

じじぃなのに本気で巻こうとしてくる(笑)

お店の方に「こんなに大きなお孫さんが」と言われてじいちゃんは嬉しそうに「背ばかりデカくなりまして」と答えた。

じいちゃんは小さかったから私はじいちゃんのつむじも背伸びすれば見られたくらい。

 

帰って色々話していると近所に住むじいちゃんの長姉である人がアポなしで遊びに来て、また色々話も盛り上がったが全然帰らなくて最後にばあちゃんが「夕飯食べていく?」と京都方式で鮮やかに追い出しました(笑)

 

夕食は子供のころから私が大好きなお肉屋さんの唐揚げや、じいちゃんちで定番の柔らかすぎるほど茹でたアスパラのサラダとか、「いつもの」だけど「大好きな」ものを揃えてくれて最高の夜だった。

私が買った安物の苺も、「美味しいね、最高だよ」と食べてくれた。

栃木が故郷の2人は苺が好きだけど、きっともっと高くて甘い苺を買っていただろうに。

 

翌朝。

ばぁちゃんが病気しがちになってからますます台所に立つことが多くなったじいちゃん。

目が覚めると台所から2人の会話が聞こえる。

「それはこっち」「あれ出す?」「静かに、起きちゃうわ」

私に気を使いながら準備をしている声が幸せで起きるに起きられず、しばらく寝たふりをしていました。

で、「ご飯できたよ」と言われてやっと「今起きた!」って振りをして食卓ついた。

お味噌汁はもちろん、あの日から毎回出してくれるじいちゃんの優しい味噌汁。

染みたなぁ。

ずっとばあちゃんがしていた薄緑色の前掛けを我が物顔で装着しているじいちゃんはかっこよかった。

 

ずっと、こんな風に居られたらなぁと思っていたけど。

すぐにそうはいかなくなった。

 

長男夫婦である元両親とは最終的に同居をする予定だったが、引っ越しも同居も拒否したことで揉めたのだ。

 

歳を取ってから角が取れる人、逆に偏屈になる人の差って何なのだろうと思う。

もしかしたら負い目や罪悪感などなのかもしれない。

私のことも、あんなに可愛がってくれたのに「三流大学」などと馬鹿にするようになった。

哀しいというより、可哀そうだったし虚しさを感じた。

 

その後計算されたようにばあちゃんが認知症になり、じいちゃんも引きずられるようにおかしくなり。

それでも結婚式には出てくれた。

しかし、叔父夫婦が迎えに行った時は何の準備もしていない状態だったので急いで最低限の準備をさせ、式前の親族での挨拶にはボロボロで小さいじいちゃんは車いすで登場した。

ショックで混乱したけど、今日は私の、家同士の記念の日なのでしっかりなければならない。

 

じいちゃんの顔には傷があった。

元両親に理由を聞くと転倒したとのこと。

元々目が良くなく、随分前に緑内障で片目をほぼ失明していたじいちゃんはもう一つの視力も失いかけていた。

 

それでも。

お色直しで和服に着替えた私は勇気を振りしぼって親族席へ行き、じいちゃんに聞いた。

「ケガ、どうしたの?」

「お前があんまり綺麗だから足を踏み外して転んだんだよ」

 

あー、じいちゃんはやっぱりじいちゃんだ。

 

綺麗好きだったじいちゃんは、お風呂に入ったまま亡くなってしまった。

髭までしっかり剃って身支度をしたように。

沸かしっぱなしの浴槽だったからかなり火傷をしてしまった遺体だったらしい。

私の結婚式から3週間後くらいのことなのでした。