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休息

 女優の瀧本美織さんのファンなので、関連することを書いています。

さて・・・おもしろかったね。



 感想&気になること。


 エイスケの彼女が単なる倒されるだけっぽいいけ好かない女というよりも、人間味あり過去ありの恋のライバルとして株をあげた・・・。キャラの正当性が行われたということは、主役級になったということ。当然といや当然だけど。6話はやつの勝ちかな・・・。千絵も特別な友達枠をゲットしたけどね。

 

 千絵のほうを考えると、またイケメンっすねの時と同様に近くで見ていることを許可されるという焦らされようときたら、まぁ、あんた、まぁた超ド級Sによく惚れる女ねって思うよ。

 

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 新旧の考えからの闘い。深まってきたぞぉ。高貴なる伝統のフレンチとエイスケのいわば野蛮で未開(つーよりフロンティア)で若輩なフレンチ。カジュアルとフレンチという組み合わせをどう表現するかで模索するエイスケフレンチとなるだろう。

 もちろん、おいしい料理に罪は無い。

 しかし、料理という枠を味覚のみに求めるのは、本当に大衆的なのか、言い換えれば、一般に広く受け入れられるカジュアルなのか?という疑問。

 たとえば、小説という物語の媒体は面白いが、一方で映像技術や作画などの工夫を行い、物語をより接近して、感じさせる、文字の言語を離れて、しっかりと物語の本質である追体験を行おうとしている、映画や漫画といった、文化があるが、これらはしっかり成果を挙げている。文字のみの媒体よりも。一方で文学がただ綺麗な文字や文章だけを押し付けようとするとき、大概が純粋なひとつの部分では本物だなどという言い訳が飛び出すが、実際は、もっとほかに装飾をしないままつまらないのであれば、それは淘汰されるように・・・。

 資本主義の中で、それがたとえ宣伝文句や見せ掛けの美しさへの投資ばかりが強いとしても、そこが売り上げている、そこで食べた客の数、これが正当な評価であり、進化論的に言えば、自然淘汰の生き残りなのである。

 

 僕の知ってるロックバンドにはpvに非常に力を入れるものが多いが、あれは歌とは関係ないが、それのどこがいけないのかという話。音楽を歌だけに縛っては大衆は答えないように、料理を味だけに絞るなという話もあるのだろう。

 

 こうして、伝統を引き継ぐ2代目の前に、プロ意識を語る実業家の男が立ちはだかる。仲間たちはエイスケよりも軽い気持ちで馴れ合いの優しい言葉をかけてくるが、ゴロウちゃんは違う。馴れ合いの無いはっきりとした指摘がエイスケにプロ意識、そして人を喜ばすということの喜びを再確認させるとして、エイスケの成長に期待。そういう意味でエイスケはきっと親父を超えるだろう。


 なぜならエイスケは料理 is ロックを夢にしたのだから!!!夢も魂も特技も、人を喜ばすことも全部、手に入れたい。とっても欲張りな話だが、ハングリー。これだけでも十分、夢がある。

 日本人は仏教感というか観念論が好きで、諦観を正当化したがるので、欲深いことを罪のように感じるかもしれないが、ポジティブなら本当はもっともっと攻めでいって良いということなのかもしれない。




 続いて気になることだが・・・塚本くんは結婚が決まっているが、ここが彼のウィークポイントとなりえる。そして彼はロックに禍根があるような描写がある。

 ゴロウちゃんは力が抜けてひざをつくほどの、パンチをもらってしまったようだが、やはりエイスケの料理は衝撃的だったのだろうか。。。。。。(もちろん、エイスケの料理が衝撃的だったが、というのも自分を一環として形作っていた料理に対する認識が揺り動かされているのではないだろうか。あるいは自分でも気づいていながら目を背けていた、自分の料理認識に対する欠落を想起させられていると考えられる。エイスケの父親の指摘が、彼にあの絵の価値が分からないようなその価値観へとグサリと突き刺さった。)




 以上。