リブログさせて頂きました
産まない選択…
幸せ不幸せは価値観はそれぞれ
『生まれなきぁ良かった!
そしたら死ぬことも無い。』
(子の幼少の時の言葉)
前半転載・後半動画閲覧注意・
元記事を
今回は、いつもとは趣向を変えて、「とある思想」について取り上げてみたいと思います。
その思想について触れることは、かなりデリケートで重い内容について触れることになります。
私自身、特にこの思想に強い思いがあるとか、広めたいとか思ってるわけでもありませんので、取り上げるのをずっと避けてきました。
とはいえ、動物問題と関わる内容ではあるので、ヴィーガンの間ではちょこちょこ話題にはなっています。
なので、いつかは取り上げることもあるかもな、くらいには思っていた内容です。
そして先日、以下の投稿を見たことで、取り上げてみるか、という気になりました。
というわけで、以下の投稿をご覧ください。
****************引用****************
🍁夫の死と反出生主義について🍁
8/12(土)に夫が急逝しました。
夫はチェリストで、大学などでチェロを教えていましたが、30歳の頃から不安感に苛まれるようになり、精神科に通院するようになりました。
精神科で不安神経症と診断され、抗不安薬などを処方されて投薬治療をしながら仕事を続けていました。
3年後には結婚し、娘、その後、息子が生まれましたが、不安神経症は多少改善されてはまたぶり返す、という状態が繰り返されていました。
その後、徐々に悪化し、薬も増え、とうとう40歳の頃には仕事もやめ、自宅での闘病生活になってしまいました。
私は二人の子ども達の子育てで手いっぱいだったので、同じ市内の実家に戻りました。
夫とは頻繁に会ってはいましたが、別居生活でした。
息子は健康でしたが、娘は中学3年の頃から吐き気や動悸などを訴えるようになり、内科で胃薬などを処方され、やり過ごしていました。
しかし高校3年のある日、あまりの腹痛と吐き気で夜中に救急搬送され、そこから壮絶な闘病生活が始まりました。
吐き気と腹痛はおさまらず、血液検査をはじめ、胃カメラ、エコー、CTなど全身を検査しても異常が見つからなかったため、精神科の受診を勧められました。
けれども夫が精神科の薬を飲み続けてもいっこうに良くならず、かえって悪化しているのを見てきた私は、娘を精神科に連れて行くことはどうしても避けたかった。
そのため漢方薬や整体、カイロプラクティック、鍼灸、マッサージ、波動療法、光線療法などあらゆる民間療法や東洋医学的な治療施術を試しました。
車で遠方まで大変な思いをしながら治療に通いましたが、どれも全く何の意味も無く、半年後にはとうとう苦しさのあまり布団の中で『1ミリも動けない』という状態まで悪化してしまいました。
この状態にまでなって、私はもう精神科に頼るしか他に道は無いということを突きつけられ、覚悟を決めて精神科に連れて行ったのです。
この時、精神科で処方されたドグマチールという薬を飲んで、娘は最悪の地獄からは救われました。
これが9年前のこと…
ドグマチールのお陰で1ミリも動けない地獄からは解放されましたが、日によって強い弱いはあるものの、常に吐き気と直腸痛に悩まされるほぼ布団に寝たきりの毎日…
普通の日常生活とはほど遠い毎日で、娘の人生の設計図は全く狂ってしまいました。
高校も卒業できず、本当に辛い9年間でしたが、そんな中、娘は3年前に動物の生き地獄を知り、ヴィーガンになりました。
この一年は薬を増やしたため、日によっては体調が落ち着き、出かけられる日も増えました。
精神科の薬のおかげです。
娘は精神科の薬の怖さも知っていますが、もし薬をやめたら、またあの地獄の日々に戻ってしまうので絶対にやめることはない、と宣言しています。
30年前に不安神経症になってしまった夫も、精神科の薬を飲まないという選択肢は無かったと思いますが、薬の副作用で本当にひどい状態になりました。
まだ去年60歳になったばかりでしたが、ここ数年はまるで認知症のように物忘れがひどく、歩くのも動くのも90歳超えた老人かと思えるほどのおぼつかなさでした。
Wikipediaで調べたところ、夫の長年飲み続けていたジアゼパムは、前向性健忘の有害事象があり、ハロペリドールは、副作用としてパーキンソン症候群、舌のねじれ、筋肉硬直などが挙げられており、これはまさに夫の症状そのものでした。
夫にとって発病してからの30年は、本当に辛いものだったと思います。
娘の病気は、父親からの精神疾患体質の遺伝が最大の要因だと思っています。
『自分がこんな壮絶な苦しみを味わわなければならなかった理由は何も無いのに、生まれてきたせいで、こんな地獄を味わわされることになった』という経験から、娘は反出生主義になりました。
私は、夫が不安神経症を発病してから結婚しましたが、子どもを産むべきではありませんでした。
当時の私は浅はかなクリスチャンだったので「きっと夫の不安神経症も治る」「子どもにその体質が遺伝することはない」と思っていました。
私のこの愚かさのせいで、娘に地獄の苦しみを味わわせることになってしまい、本当に娘には謝っても謝りきれないほど申し訳なさでいっぱいです。
子どもが重い障害を持って生まれてきたり、不治の病にかかってしまった場合、親はどんなに子どもを救ってあげたくても救うことはできないし、代わってあげたくても代わってあげることもできません。
だから、不幸になる可能性のある命を産み出すべきではないのです。
これから子どもを産む可能性のある方に、是非最悪の事態を想定して考えていただきたいです。
YouTubeを見ると、想像を絶するような難病の方や、ひどい奇形で生まれてきた子ども達のドキュメンタリーが公開されています。
「自分の子どもは大丈夫」という保証など無いし、たとえ健康で生まれて育っても、どんなにひどい事故に遭うかもしれないし、どんな辛い境遇に立たされるかもわかりません。
そのような最悪の事態を想定しても、それを覚悟の上で子どもを産もうと思われるのならともかく、
「きっと神様が守って下さる」という、私のようなお花畑な考えで産むことはなさらないで下さい。
人間には、たとえ全力を尽くしても、自分の子どもを幸せにしてあげられる力は無いのです。
夫の死因は急性呼吸不全でしたが、恐らくジアゼパムとハロペリドールのせいではないかと思います。
不幸なまま亡くなりましたが、亡くなったことによって、次々と押し寄せる不安感から解放されました。
この30年間、毎朝眠りから覚めれば不安感に襲われていましたが、ようやく今は、二度と覚めない永遠の眠りについて平安に満たされていると思います。
長文お読み下さり、ありがとうございました。m(_ _)m
****************引用終***************
こちらの投稿をされたpopoponnu_yさんはヴィーガンの方で、
私なんかとは比べ物にならないほど、SNSでかなり動物問題について精力的に発信されている方です。
日頃の投稿文を見ると、
正直、こんな苦しい人生を歩んできたとは思えないくらいに、明るく丁寧な文章が書かれています。
文の中に、反出生主義という言葉が書かれていますね。
反出生主義は、アンチナタリズムとも言います。
アンチナタリズム(反出生主義)はその名の通り、出生を否定する思想です。
娘さんは、この世に生まれ壮絶な苦しみを経験し反出生主義になったとあります。
非常にデリケートな内容ですよね。
まだまだ現代は、子供を産むことは素晴らしい、とされる世の中です。
つまり、多くの人は深く考えていないだけで、ナタリズム(出生主義)の思想を持っています。
それが多数派のため、当たり前と考えられ思想とすら認識されていません。
産みたくても産めない人だっているわけですから、出生について否定するのはタブーのような雰囲気もあります。
しかし、アンチナタリストがなぜそのような考えに至るのかは、
娘さんの人生や旦那さんの人生を考えれば、少しは理解できると思いますが、もう少し詳しく見てみましょう。
こちらは、ヴィーガンの男性が語るアンチナタリズムの解説動画。
日本語は6:02から。
****************引用****************
反出生主義という言葉を聞いたことありますか?
反出生主義っていうのは、
誰かをこの世に作り出すこと、子供を作ることが倫理的に正しくないっていう考え方なんですけど。
僕は、反出生主義ですね。
それについて、今日話したいと思います。
反出生主義の先駆者である、デイビッドヴェネタさん。
「生まれてこなければよかった」っていう暗いタイトルの本を書いたんですけど、この本ってすごく腑に落ちるんです。
簡単に彼の観点をまとめると、
「人生は意味がないし、苦しみの連続だから、避けられるべきだ。」
そう言うと、もっと楽しいこといっぱいあるじゃんっていう人いると思うんですけど。
ジェフリーミラーさんっていう、ニューメキシコ大学の心理学者の人がいるんですけど、
その人は、この人生は無意味だ、苦しみの連続だっていう観点に対して、
「全てのどの文化でも、ほとんどみんなが幸福度では平均より上だって言ってる。
だから苦しみが連続っていうのは、合理的じゃない」
って言ってるんですね。
で、デイヴィッドベネタさんは、それに対して、
「人間の進化的に、私たちは楽観的に人生を物事を捉えるようにできているから、
ちゃんと自分たちの幸福度を測ることができてない」
って言うんです。
デイビッドフォスターウォラスっていう人がいるんですけど、そのウォラスさんが、
「でもね、痛みを感じた時、私たちは自分たちを責める傾向があります。
だからそれに対抗するためにもっと他の人、
自分じゃなくて他の人に対して思いやりを持ったり、
自分よりも意味のあるものを人生で見つけることが大事。
そうすることで人生は楽しくなる、幸せになる。」
って言うんですけど、
デイビッドさんは
「いやいやいや、それは主観的なものであって、
客観的に見ると人間は苦しみを感じているんだ。
僕たちのこういう楽観的に考える傾向っていうのも、客観的に起きていることだ。」
って言うんですね。
はい、じゃあ僕の意見を言いますけど、
人生ってやっぱり客観的に見たら、本当に苦しみがあって、楽しみもあると思うんですね。
苦しみというのはいろんなことがあるし、楽しみっていうのもいろんなことがあるんですよ。
で、反出生主義を否定する人、
「人生には楽しいこともあるし成長もできます、」
とそういったことを言う人は、
自分が生きてる人間の立場だから。
その立場の感想っていうのは、生きてる人間にしか分からない、生きてる人間の意見なんですね。
でも僕たちが話してるのは、
生きてる人と、生きてない人の比較なんですよ。
で、生きてない人の感覚を見てみると、そういった楽しいこととか、成長とかって、別にしたいって思わないんですね。
感情が何もないから。
で、もちろん苦しみも感じないですね。
生きてたら苦しみも感じるし、楽しいことも感じるし、成長も感じることはできると思う。
ただそういう人たちって、すごくラッキーなんですね。
苦しみも感じられる、幸福も感じられる、成長も感じられる人、
自分の子供にもいい人生を送ってほしいっていう人たちって、すごく自分がラッキーな環境にいるんですよ。
で、そういう人たちばかりですか?世界中
って言われたら、多分違うと思うんですよ。
生まれつき障害を持ってて何もできないっていう人もいるし、
元々不眠症とかで全く眠れない、だから何もやる気が起きないし、ずっと鬱になってしまうっていう人もいる。
こういうものって、生まれつきのことがあるんですよ。
で、障害者差別をしてるわけじゃ全然ないんですけど、
やっぱり障害を持つと人生って、障害を持ってない人たちよりも辛くなるし、難しくなるんですよ。
で、自分の子供が障害を持つかを持たないかって分からないじゃないですか。
絶対分からないじゃないですか。
でも障害を持ってる人も幸せな人いるじゃないですかっていう人いるんですけど、
障害を持ってるイコールが苦しみじゃないですか。そういう言い分だとね。
障害持ってる人「でも」って言ってるからね。
だから苦しみは生まれてるわけですよね。
で、障害を持ってない人でも苦しみはあるわけですよ。
誰かに嫌われたとか、親が離婚したとか、誰かに死なれたとか、自分の容姿が気に入らないとか。
どんなことでもいいんですけど、苦しみあるわけですよ。
だから苦しみはつきものなんですね。
で、苦しみは、いなければ、ないんですよ。
さっきも言った通り、自分の子供が生まれてこなければよかったっていう人かもしれないじゃないですか。
生まれて良かったの可能性もあるけど、もちろん。
だけど、それはロシアンルーレットをしてるようなもんなんですよ。
一つ玉を入れて、その中で玉が当たらなかったら、まあそこそこいい人生。
弾が当たってしまったら、障害を持ったりとか、死にたい、自殺する人とかね、そういうことになるわけですよ。
僕たちがそれを分かってたら、まだ話は変わるかもしれないんですけど、
どんな人が出てくるか分からないじゃないですか。
だから、反出生主義に反対してる人っていうのは、まず存在してない人たちの立場に立ってみて考えてみると、反出生主義がもっとわかると思います。
で、本当にいい人生当たりましたっていう人も、苦しみは苦しみじゃないですか。
言い方すごく悪いんですけど、自分の子供を苦しめてるんですよ。
実際に、同性愛者とか、発達障害の人とか、
世間一般、まだ一般という言葉があるのが悲しいんですけど、
それに当てはまらない人たちの自殺率ってすごく高いんですよ。
それって苦しみに耐えられないから、生まれて来なければよかった、って、命を絶つんですよ。
人生はすごく辛いんです、誰でもそうだけど。
だから、言い方また悪いんですけど、
自分の子供が欲しい、自分の子供にいい人生を送ってほしいっていうのは、
「自分」が子供が欲しい、って言ってるんですよ。
その子供のことを考えてはないんですね。
その子供が生まれたいって言ってますか?
そんなの分かりますか?
で、僕ちょっと思ったんですね。
ああ、じゃあ生きる術をめっちゃ教えたらいいんじゃない?
僕の言ってる、瞑想とか、幸福の本読んだりとか。
でもね、苦しみは悟りを開いている人でも、ずっとつきまとうわけだから、
そういうもの叩き込んだとしても、苦しみは苦しみなんですよ。
で、いつでも僕たちは自分たちの子供と一緒にいれるわけじゃないじゃないですか。
その子供が辛い時に、いつでもいれるか?
いれないじゃないですか。
そういう方法をまず知らない人が多いから、自分も生き方を知らないのに生きな、って言ってるような感じ。
人生はゲームだと例えられますけど、
ほとんどの人って、もう自分のドラゴンクエストを人生を進み方もよくわかってないんですよ。
どうやって怒りに対処したらいいのか、どうやって人の周りの目を気にせずに何か好きなことをするっていう。
それできてる人って少ないじゃないですか。
それなのに、一緒にやるゲームやり方わからないけど、めっちゃしんどいけどやる?
めちゃくちゃしんどい、めちゃくちゃ難しいけど、一緒にやる?
って言ってるようなもの。
それは生まれてきた、参加した子供、分からないじゃない。
やり方誰も教えてくれないから。
勝手に学ぶ可能性もありますよ。
そういうめちゃくちゃ強い人がいて、その人に教えてもらうっていうのがあるんですけど、
やっぱり教えられなかったら本当にしんどいんじゃないですか。
教えられたとしても、しんどいのはしんどいんで。
で、僕も苦労した人なんですよ。
僕も今も苦労してますよ。生きてるから。
生きてる=苦しみだと思ってるんで、苦労しますよ。
特に小さい頃は、そのゲームのやり方を誰も教えてくれなかったから、めちゃくちゃ苦労しました。
自殺も何回かしようとしました。
でも、いろんな人に会ったり、いろんな本で進み方を教えてもらいましたけど、
それでもこれを他の人にやらせようと思わないです、僕は。
で、あと養子とかもいるんですよ。
孤児の人とかもいるじゃないですか。
孤児の人たちを養子として引き取ったら、その孤児たちも親ができるわけじゃないですか。
ちゃんと保険を受けられたりね。
戸籍がなかったから、戸籍ができるじゃない。
そうなると、本当に自分の子供が欲しいですか? っていう。
少子高齢化、少子高齢化って言ってますけど、孤児の人を考えてるか?っていう。
戸籍もない人いるんです。
そういう人たちを、まずなんとかしましょうよ。
だけど、少子高齢化で経済回すために子供を作るっていうのって、なんか奴隷を作ってる感じしません?
働くための傭兵を作ってるみたいな。
そういうアイデアって僕全然好きじゃない。
以上、ありがとうございました。
****************引用終***************
自分自身が、それなりに幸せな人生を送っているのはたまたまである、という事ですね。
この考え方は、私は数年前くらいにようやく理解できるようにはなりました。
生きていれば必ず良い事があるとか、努力すれば道は切り拓けると思う人もいるでしょう。
後者に関しては、私も数年前までは割とそうだと思っていましたが、間違いだと気づきました。
実際、恵まれた環境にいながら、怠けている人がいるのは確かです。
ですが、そういう環境にそもそもいない人や、努力ではどうしようも出来ない苦しみを抱えている人が一定数います。
生きる力がない人、コミュニケーション能力が著しく低い人、障害がある人、
イジメを受けている人、人間関係が上手くいかない人、
毒親に生きる気力を奪われ続けている人、親から肉体的虐待、精神的虐待、性的虐待を受け続けている人、
トラウマ、精神疾患を抱えている人、
レイプされた人、殺された人、家族が事故にあった人、
子供が引きこもりの親、子供が精神疾患の親、
性的マイノリティなどで、常に理解されない、満たされない人など、
そして、これらが複合的に重なっている人。
よく考えて選択をして結果不幸になったわけではなく、選択権すらなく苦しみを抱えている人は、日本ですら一定数います。
仮に選択をして不幸になったとしても、だから自業自得だと言い聞かせたところで、苦しみは苦しみでしかありません。
皆大変なんだよ、その中で前向きに生きてんだよ、とは言いますが、
その大変さの度合いはグラデーションです。
壮絶な人生を送ってきた人の話を聞くと、
生きていれば必ず良い事があるとか、努力すれば道は切り拓けるとか、皆大変なんだとか、
軽々には言えないと個人的には思います。
少なくともpopoponnu_yさんの娘さんに、こんなセリフはとても言えないでしょう。
楽しみがほとんどなく、苦しみしかない人がいるのは確かであり、
だから、生まれてこなければ良かったと命を絶つ人もいるわけです。
死ねないだけで、死にたいと思っている人も大勢いるでしょう。
苦しみもあるけど、それなりに楽しみ、成長も感じられるのは、
いくらそれが努力によるものであったとしても、選択権もなく、苦しみしかない人からすれば、それなりに恵まれていると言えそうです。
苦しんだ子供を持つ親は、苦しみしかない人生を承知で子供を産んだのでしょうか?
おそらく、ほぼ全ての方がそうではないでしょう。
それなりに幸せな人生が待っていると思って産んだはずです。
生まれつきの能力にせよ、子育ての仕方に問題があったにせよ、周りの人間に恵まれなかったにせよ、
何にしても親に悪意はなく、一生懸命育てているでしょう。
その中で、まさか自分の子供がそうなるとは思っていなかったはずです。
生まれつきそうだったにせよ、色々な要因が重なったにせよ、たまたまそうなるのです。
ほとんどの子供はそれなりの人生にはなるはずですが、たまたま不幸な子供がどこかの家庭に生まれてしまうわけです。
先ほどのYoutubeの方が、出産はロシアンルーレットを引くようなもの、と表現していますが、
非常にセンシティブな表現ではありますが、本質はそういうことなのかもしれません。
どうしようもない苦しみを抱えている人がいる。
自分がそれなりの人生を生きているのはあくまでラッキーだからだ。
この事実が理解できるかどうかで、アンチナタリズムを理解できるかどうかは変わってくる気はしますね。
というわけで、アンチナタリズムについての解説でした。
私のブログで何度も紹介している、ヴィーガンの教師、杉山先生もアンチナタリズムについて、記事にされています。
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