この記事を読んで、私はおもわず泣いてしまいました。
ので、紹介します・・・・
フィアット・ヤマハのバレンティーノ・ロッシは15日、ヤマハとの契約満期に伴う離脱に関して、別れの手紙を送った。
「ヤマハとの7年間の関係について、少しの言葉で説明するのは、すごく難しい。2004年から多くのことが変わったけど、特に変わったのは彼女、M1だった。」
「あの当時、可哀想なバイクは、グリッドの真ん中にいて、多くのライダーたちから笑われていた。今は、成長に手助けした後、クラスのベストバイクとして、賞賛され、求愛され、カレージで彼女の微笑みを見ることができる。」
「成長を可能にした人たちのリストは、非常に長いけど、僕たちのM1の表情を変えるために懸命に働いた全てのエンジニアたちを代表して、古沢政生、中島雅彦、そして、僕の渥美弘弥に感謝したい。チャンピオンシップのサーキットで、愛情を持って対応してくれたジェレミー・バージェスと僕のクルーたち全員、そして、ヤマハのチームで働いた全てのスタッフたちにも感謝したい。」
「今、新たな挑戦を探す時が来た。ヤマハにおける僕の仕事は終了した。不運にも、最も美しいラブストーリーは終わってしまったけど、沢山の素晴らしい思い出を残した。ウェルコムの芝の上で、僕のM1と初めてキスした時、彼女は真っ直ぐに僕の目を見て、ティ・アモ(愛してるよ)と言ってくれた。」
フィアット・ヤマハでバレンティーノ・ロッシ体制を指揮するチームマネージャーのダビデ・ブリビオは、オフィシャルテストが行われたブルノ・サーキットで、今季末を最後にチームから離脱する現王者について語った。
「ヤマハとバレンティーノが来年離れることになったのは、大変残念ですが、まだ8戦が残っています。数戦に優勝するために、最高の形でこのファンタスティックな関係を終えるために、最善の仕事に取り組みます。悲しいですが、これが人生です」
と、全面的な支援を約束。
「オフィシャルチームがシーズンに1度も表彰台を獲得できなかった後に、バレンティーノがヤマハに来ました。そして、いきなり、最初の挑戦となった2004年にチャンピオンシップを制覇しました。」
「2005年は、優勝できるレースに全て勝ちました。バイクの開発をサポートする上で、エンジニアへのフィードバックは根本的で、もちろん、エンジニアたちもレスポンスに応え、彼が発見した問題を解決しました。」
「スタートは特に信じられなかったです。我々のパフォーマンスは本質的にチェンジしたという意味で、12年間タイトルを獲得していませんでしたが、バレンティーノと共に一気にMotoGPクラスの支配者になりました。」
ヤマハでの最後のテストについては、
「ヤマハは終盤に使用するバイクを準備します。今回のテストは、スピード不足だったレースの問題を理解するために重要で、セッティングの仕事に着手し、今後のレースに向けて、グッドなベースとなることを見つけました」
と、説明した。
+on+brno+test+and+rossi+yamaha+era より抜粋記事。
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