高木さんのダジャレはくだらない。
と言うより、そもそも、ダジャレというものはくだらないものだと相場が決まっている。むしろダジャレのなかに「くだらない」が内包されていると言っても過言ではない。だから、ダジャレのことをわざわざ「くだらない」と言うこと自体、それ自体、くだらないことなのかもしれない。それは例えば、「エントリーナンバー1番」とか、「ミスター斎藤さん」とか、確か三谷幸喜がタモリさんの番組で文句を言ってた事と本質的に同じ事なのかもしれない。
高木さんとは、職場で私の隣の席に座っている、この職場ではまーまー偉い人らしい。高木さんは、まーまー偉い割には、そんな素振りは見せず、くだらな、いや、だじゃれとか、「あなたの為なら!」とか心にもないことばかり言って、それを自分でも「心にもないことばっかり言ってる」と言っていて、それだけが真実なのである。
パワハラだのモラハラだの、1秒に1つの割合で“ハラスメント”ワードが生まれるこのご時世において、高木さんは派遣の私に平気で「チョコちょーだい」とか(安心して下さい、お返しはもらいましたよ☆)、お財布を忘れた時には缶コーヒー代の120円を派遣の私(もう1度言う)から借り、そして「ふじこんさん120円、課長400円(昼食代)、Aさんお菓子(もらった)」と大きなふせんに書いて机に張っておかないと忘れてしまう、小学生の様な純粋無垢な50代なのである。
高木さんのダジャレは、安定している。
いつも面白いという意味ではモチロンない。
いつも一定のクオリティを保っている、という意味である。
傾向としては、社員がshineとか、車道がshadowとか、英語混じりが5割以上占めている。そして同じダジャレを職場の人に片っ端から言い放っていく。反応は人それぞれで、苦笑い、驚き、「そんなこと考えてたんですか~」、沈黙.、シカト.....等々。
そもそもダジャレで爆笑をとることは至難の業である、と私は言いたい。今までダジャレで涙が出るほど笑った、などという経験は皆無に等しい。少なくとも私は。で、私と同じ意見の人は少なくないと思う。
だから、もしも皆を笑わせたいという目的があるのならば、ダジャレという手段を選択している時点で、初めの一歩踏み出す方向を根本的に間違っているのである。もしもダジャレで爆笑をとるなんて奇跡が起きたならば、それは間違いない、何か他の要素が入り込んでいる、ちょうどいいタイミングで誰かが転んだ、とか。断言してもいい。
ダジャレでいつも皆が笑ってくれている、というならば、それは純粋にダジャレで笑っているのではない、きっと別のところで笑っている。文字通り、笑われているのかもしれない・・・。なんとも恐ろしい。もし、「私もよくダジャレを言うけど、よく考えてみたら、皆苦笑いまじりかも・・・(^^;)」というなら、本当に心の優しい人たちと仕事 (or something) できていることに感謝しなければならない。
純粋にダジャレで笑わせることができるなんて奇跡は、起きたとして一生に一度くらい、ヘタすれば一生日の目を見る事なく人生を終える、それくらいの狭き門であろう。
高木さんの名誉の為に多少補足しておくと、高木さんはきっと職場の雰囲気を大切にしているからして、笑わせるという目的だけではなく、コミュニケーションも兼ねているのである。もしかしたら、こちらの方が高木さんにとって比重が高いかもしれない。だって、いつも皆大した反応はしていないのに、少しも凝りることなく隙を見てはダジャレを言ってくるし、ダジャレをぶっぱなった後の高木さんは、相手の反応に関係なくいつもなんだかスッキリしている、気がする。だから、高木さんにとってダジャレとは、排泄と同じなのであろう。定期的に放出しなければ、生存が危ぶまれる類いのものなのであろう。
以上、フォロー終わり。





















