人それぞれ意見があれば言えばいいけど、極限の中で踏ん張っている被災者に対し、安易に「頑張れ」と言うことでどれ精神的にだけ追い込むことになるか。
今回の件に限らず、頑張っている人に対して言うのは失礼だと、これは長いこと言われていること。
実際、被災者からも「これ以上どう頑張れというの」という声も聞かれたりする。

で、言葉を選ぶべきという意味で記したのだけど、理解できない人もいるようで。
ある程度予想していたとはいえ茶化すのがいるのは残念。

今から仮設住宅と言ってるけど、家族ごとに部屋があって、中に風呂があった(ないにしても)方が精神的にずいぶんと違うと思う。

先のブログにも書いたが、各都道府県の自治体などに掛けあって部屋を提供する手立てはないものか。
このような時でも腰を据えて心身ともに癒せる(とまでいかなくても今よりはマシ)空間を提供するのは難しいものか。
全国に空き室がたくさんあるというのに。

19日、フジテレビで「スカイツリーが634メートルに到達。被災者に希望の光!」なんてほざいていたけど、
衣食住、家族、親戚、知人の安否などいっぱいいっぱいの人にとって関係ないことを結び付ける。
今に始まったことじゃないけど、軽いのを通り越してバカだね。
(こういうこと書くと代弁するなっていうのもいるだろうけど)

取り上げ方にしてもマイクを持たせて呼びかけさせるのは意味がある。
また、家族を捜してメッセージを届け、またその返事を届ける。
今のメディアが出来るのはそれくらいなのかな。

節電を呼び掛けるメディアが同じような映像を延々と流すのは説得力に欠ける。

仁科母娘、金子みすず、オシム、妊婦とおばあちゃんへの親切・・・と、ACのCM頻度が高いけどスポンサーの自粛は神経質になり過ぎな気もする。

気が滅入らないようにするには、多少明るい番組も織り交ぜながらっていうのはいいかもしれないけど、朝方まで番組表埋まっているし、同じような情報を繰り返す放送を自粛したほうがいい。
それこそNHKにまかせておくとか、いくつかの局のように緊急地震速報の時だけ復活とか。

原発事故現場のの作業員の方々に適した言葉が見つからない。
まだこの先、予断を許さないけど、代表して記者会見に出てきていた方々も憔悴しながらも
緊張感の中でおそらく死を強く意識した中でひとまずミッションを遂げたことでの安堵の表情と、何とも言えない興奮が入り混じった表情で・・・心身ともにお疲れ様です。

どんな著名人よりもスポーツ選手よりも本当の意味で英雄だと思う。
盾にする言葉も用いず、命をかけて危険の中に身を投じて食い止めようとしているのだから。

当たり前のように電気、ガスを使う日常生活。
原子力発電を当てにしている以上、危険が隣り合わせだと再認識させられても、一度便利な生活(道具に使われている人が多い中、本当に便利かどうかは疑問符がつくけど)を手に入れると、手放さず原子力発電に頼り続けていくんだろうな。
自分に降りかかっても携帯電話に依存している人々が手放すとも思えない。