まだ西武第3球場がドームに取りつける屋根の資材置き場になる前。

道に詳しい人がウチに来ていたので、地図を広げて教えてもらいながら印をつけたものを持って初めて自転車で西武球場へ。

国道463号の脇を走りながら所沢市内に入ったところで歩道を歩いていた買い物帰りの見知らぬおばさんに「西武球場まで行きたいんですが・・・」と道を訊いたら
目を丸くして「えー?ここからまだあるよ!」と驚きながら丁寧に教えていただき、「頑張ってね」と見送られながら1時間くらい掛けて・・・。

駅前駐輪場に自転車を止め、真っ先に投手陣の練習している第3球場へ・・・。
振り返るとルーキーの森慎二がサングラスをかけて背後から来たのでノートに書いて貰い、本球場→第2→本球場(記憶が正しければ)
広島→西武の河田に96年のダイアモンドヒーローズのカードを差し出し「これ今年の?」「いえ昨年のです」と言葉を交わしサインを貰い、また移動。


本球場ではブルペンで村田兆治コーチが故・藤井投手を指導、その外に王さんが来たのに係員が「ボールが飛んでくると危ないので」といつものごとく客を追い出す。

外野の上段へ追いやられ暫く秋山らの打撃練習を見学。

腰痛でフルスイングできず、96年は9本に終わってしまったものの軽打を中心に3割打った秋山。
芝生席(当時天然)にポンポン打ち込んでいた。

外野ではホセが女子高生をナンパもどきの声掛けで歳を聞いたり、パークル(シーズン途中でリタイアしたので知っている人も少ないと思う)が歩いていた。


思えばこの年のシーズン中に通路部分に屋根を支える柱が出来、翌98年に天辺中央部だけがない屋根がついて、99年の松坂ルーキーイヤーは屋根が完成してスタートだった。


練習終了後、内野指定の上段でウインドブレーカーを着た選手らしき人がタバコをふかしている。

球団旗を降ろしに来た係り員と入れ替わりで指定席ゾーンまでダッシュ。

雰囲気で藤本博史選手だと確信。

ちょうどタバコを吸い終えようとしていたところへカードと色紙を手に
(ホークスの選手は関東の試合で中々サインをくれないため、恐る恐る。)
「藤本さん、サインいただけますか?」
「はい」「カードにもお願いできますか?」「はい」

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数十メートル先のエンジンのかかったバスから選手がその様子を見ているのがわかりました。
秋山選手らのも欲しいと思いつつ、「ありがとうございました」と一礼すると、「はい」といいながらバスへ向かう藤本選手の背中に再度一礼。

藤本選手:この2年前、95年の開幕戦で2本塁打。
初回は郭泰源から7得点。

この年FAで西武から移籍してきた工藤もこの日は不調で古巣の西武打線につかまり逆点を許し点の取り合いで8-10出迎えた9回、佐々木とジャクソンが交錯して走者が出たのがきっかけで二死ながら藤本選手に打席が回り、同点2ランを打ったのが強く印象に残っています。

バックネット裏のVロードは花道を作るべく女性従業員らが並びはじめて敗戦を覚悟しただけに興奮しました。
まるで非現実的な漫画”あぶさん”のような展開。
延長に入り一死満塁でライマーが犠牲フライを放ち11-10(だったと思う)で辛勝。


1年前の96年の夏も潮崎から秋山がライトポール際へ、藤本が左翼芝生席へのソロ2発で武田が完封した試合もありました。
この年で現役を引退する石毛が9番サードでスタメン発表で球場がどよめきました。(以上藤本選手に関する余談でした。)


胸が高鳴りながらダッシュで登った坂を外野まで下りて外へ出て第2球場へ。
ドラフト1位の玉野と4位の和田さん(現:中日)が寮から出てきたので玉野は色紙に、和田さんにはノート
に。

18歳の玉野が24歳の先輩に「和田さん、サイン考えた方がいいっすよ」

「うわぁ~目上の人にそういう事いうか」と思っていたら、和田さんの返事は「はい」

玉野のサイン

ファームでホームランを見たことはありますが、ファンに対する態度を見ていてもあまり態度が宜しく無く、寮の前で唾を吐きまくっていたので好感は持てませんでした。
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和田さんのサイン
社会人出身で捕手で入団して最初の3年は2軍と1軍を行ったり来たりだったのですが、2000年あたりからスタメンに名を連ねコンスタントに数字を残すようになり、今では球界を代表するパワーを兼ね備えたアベレージヒッターに。
数少ない年上の選手として頑張っているのは嬉しいものです。
$あれやこれや・趣味の部屋 -和田