どうも!なばちゃんです!
今日のテーマは、
思い込みを外したら
見え方がすごく
変わるって話!
生きていれば、
あの人とは意見が違うなとか
どうしてあんなこと
言ったりするのだろうと
思う場面は多々あると
思います。
でもそれはわたしの場合、
ほぼ同じ内容だった
としても、
幼馴染や
的確なアドバイスを
くれる友人などから聞くと、
そういうことだったのかと
すとんと腑に落ちることが
度々ありました。
最近もひとつあって、
例えばとある人の
言動に対して
なんて冷たい人なんだ
と思った出来事がありました。
それを友人に相談したところ、
友人は私の思考の癖を
理解した上で、
その人はこういう考え方
に基づいているのかも
しれないよと
話してくれました。
なるほどな、と思い、
本人にその話を伝えてみると
理解してもらえて嬉しいと
言ってもらえました。
私が状況を客観視出来る
ようになったからなのか、
私にとって耳が痛い
ような話も真っ直ぐに
教えてもらえたし、
(棘がなくすっと入ってきました)
たったひとつの言動で
全面的に冷たい人だと
決めつけていたけど、
それは一面に過ぎず、
実は部分的にはきちんと
認めていることも
分かったりして、
やっぱり自分の思い込みが
強い時って
本当は“ある“としても、
“無い“ところだけに
こちらの意識が
集中してしまっている
だけなんだな、
と感じました。
もちろん本当に“ない“
ことも中にはあるかも
しれませんが、
それにしても自分の中にある
“ない“理由と、
相手が感じている
“ない“理由とでは、
確実に、
質は違うものなのだろうな
と思います。
私のブログの読者さんは
つい誰かのために
頑張ってしまう人が
多いかもしれません。
でもその誰かの為は
時に過剰となると
相手の主体的な力を
奪うことにもなります。
誰かの役に立ちたい思いは
自身のエゴと
常に隣り合わせだから。
自分の不安を減らすために
つい先回りして
やってしまっていないか?
弱い人を助ける自分に
自惚れているだけではないか?
と自身に問うてみること。
相手がどんな性質を
持っていたとしても
自立した一個人として
捉え直し、
彼らがこちらを必要とした
時に応じる。
それくらいの姿勢も
もしかしたら
大事なのかもしれません。
でも同時に、
あなたは優しい人である
ことに変わりはないから、
自分は偽善者なんだとか
まで思わなくて全然よくて、
色々考えてくれて
ありがとねと
自分に伝えてあげたら
いいと思います😉
今日もお読みいただき
ありがとうございました!