
1年前。
たまきちが惜しまれつつ退団したその日。
私は、コロナに感染してホテル療養中でした。
幸い、申し訳ない位の軽症で(もちろんしんどかったですけどね)、ウワサと違って快適な療養生活でした(味覚嗅覚が生きてたら、きっとご飯も美味しかったと思います(笑))。
元々、東京公演は行かずに、配信を見るつもりでしたので、環境さえあればどこでも同じ...と、ホテルに行く前は思っていたのですけど。
家ではPCの画面で見ていた配信映像を、スマホの小さい画面で見てるうちに、切なくて泣けてきました。
もぉ、作品に感動してんだか、退団が悲しいのか、自らの状況が情けないのか、どれで泣いてるのかわからなくなってました(笑)
このにっくきあやつのせいで、退団が延びた彼ら。
それでも「今」を懸命に生きる彼ら。
リンクする、作品の端々に埋められ込められた想い。
去っていくものとして、ありったけを置いて行く、受け取ってと手を広げる彼ら。
そして、残され、繋いでいく覚悟の彼ら。
一瞬でも、ひとフレーズでも、去っていく彼らから吸収しようと、心に刻もうと真剣な眼差しの彼ら。
あぁ...。
やっぱり...せめてテレビサイズで見たかった。
スマホの画面は小さすぎて、嬉しさや悲しみや切なさが思わず出た眉間のシワや、慈愛にも似た微笑みをたたえる口元や、しっかり繋いだ手を、ちゃんと見る事が出来ませんでした。
先日、CSで放送した楽日の映像を見て、こんなに見落としてたのかと...ガッカリしました。
翌日、私は自分自身に(れいこちゃんのファンとして)「覚悟を決めろ」と喝を入れたつもりでしたが、足らんな...と感じました。
この1年。
良いことも残念なこともありました。
だからこそ、今日改めて「覚悟を決めろ!」と自分を鼓舞します。
今、多分1番辛い状況のれいこちゃんはじめ月組の皆さん。
近くには行けないけど、心はほんとに、寄り添おうと努力してます。
「大丈夫、待ってるから」
今はそういう思いを届けたいと思います。
