そもそも。
ドン・ジュアンっつー男は、自分の欲望の為に女を求めて、飽きたら捨てるって生き方をしていて。
捨てられた女達は、彼に恨み言を言いながらも、離れない。

だいもん(望海風斗)ですから。めっちゃいい男だからって理由は、説明しなくてもわかるけど。
それでも……こんな奴の何処が、そんなにいいんだ?
って疑問が湧いてきた。
優しい訳でなく、扱いも乱暴だし……女をモノ扱いしてる様に見えるのよねー。気に入ったら力づくって感じだし。
なのに、なんで、あんなに(女達は)まとわりついてるのか。
なんで、愛されてるのか。
わからぬ……

前半のドン・ジュアンには、全く好きになる要素ないんだけど……とか、思いつつ(笑)
見た目や声は、男らしい魅力的ないい男だとは思うけど(だけど、それは、彼のではなくだいもんのだしなぁ)。
あの女癖の悪さでは、その美点も霞むね。
私自身は、プレーボーイに惑わされる素質も、事態もないから、どうでもいいんだけど
ま、それは置いておいて。
だいもん演じる「ドン・ジュアン」は、自堕落で、勝手で、喧嘩っ早くて、強くて、俺様で、誰をも信じてない。愛を知らない男で。
前述の通り、まーどーしょーもない男なんだけど。
これって、天性のものとかだったら、恐ろしい話だけど。
過去にあったのよね、何かが。
パパ、ドン・ルイじゅんこさん(英真なおき)に、日頃の放蕩ぶりを叱られている時、少年ドン・ジュアンと今は亡き母が現れて、過去のその何かが再現される、あの場面。
私が観た梅芸初日。
寂しい少年だったのか、膝抱えて孤独に耐えているドン・ジュアンに、母は聖書を与える。キリストの教えが彼を救い、導くと考えたのだろう。自身の生命が残り少ないという自覚もあったのだろう。
だけど、母が亡くなった時、自分を母を救ってくれると教えられ信じていた神が、母の命を奪ったのだと、神は信じるに値しないと、聖書を投げ捨てる。
と、いう演技になってました。
2日目。
大体は同じなんだけど、母が与えるものが十字架になっていた。ので、投げ捨てる物も、十字架に。
多分解釈は、同じかな。
3回目、ちょうど中日(なかび)。DVD収録の日(その日以降は、この演出で落ち着いた様子。4回目も、これでした)。
母は、前に観た2回より、病気が重そうで。
既に少年ドン・ジュアンの首には十字架がかかっていた。
そして、母が息子に手渡したのは、真っ赤な薔薇一輪。
バラ。結構象徴的に出てくるんだけど。
これも暗示的なのよね。
バラ=愛
なのかな?
そして、母が死んで投げ捨てたのは首にかかっていた十字架。
ま。
きっとこの事があって、神を信じなくなったとゆーか、神をも恐れない生き方をする様になったんだろうな……と推察します。
ただ。
なんで見る度に違う演出になってたのかが、ナゾです。
てか、初日映像でなんかアレなのあった件。
「すみれコード」を気にするあまり、カットした何かがあるんだろうけど。
本筋とはあまり、関係ないかもなんだけど、母が死んだ時、ジュアン少年が手を口元にやってなんかしてるなーって思ってたんですけど。
「爪を噛んでる」仕草なのね。
んで、大人ジュアンが亡霊とやり取りした後(場面忘れちゃった。上手端にいたんだけど)、爪、噛んでるのよ。
爪を噛む癖は、激しいストレスを感じた時の自傷行為だと聞いた事がある。
んで、マザコンの男の子(男性)によくある癖だと……。
ドン・ジュアンは、母の愛を一身に受けていた様に(パパの歌からは)感じられたのだけど、母が存命中もなんとなく殻に閉じこもってる系の少年っぽい作りだったし、やっぱり「少年」って時期に母と死別したってのは、男の子的に「母からの愛情が足りてない」って事になるのかしらねー。
とにかく、そんなちょっとした仕草が、このどーしよーもなく勝手なオレサマであるドン・ジュアンを構築している要素として、効いてるなぁと、感じた訳です。
ま、とにかくこんなつらい過去があってーの、今のドン・ジュアン(今更だけど「ドン」って尊称よね?まるで名前かの様にセットで付けてるけど。呼び名としては、ジュアンでいいのよね?)なんだと。
神も愛も信じない……とゆーか、存在事態否定してる感じ。
西洋の……それもこの時代の宗教観なんて、よくわかんないけど。
多分、敬虔なキリスト教徒であろう、友人、ドン・カルロ さきな(彩風咲奈)の忠告なんてまるで無視。
修道院にいた時に、エルヴィラ くらっち(有沙瞳)を妻にしたってこと自体も、これ以上ない神への冒涜だよねー。その上、(立場上は妻だけど)捨ててるし。
てか。
宗教どうのって以前の問題だけどね、彼の愚行は。
もう、狂気の域だと感じました。
ま。
そんな神をも恐れぬジュアンだけど、亡霊(がおり・香綾しずる)はちょっと恐怖なのね(笑)
思いの届かない、何処にいるかわからない神より、ダイレクトに自分に憑いて(笑)回る方がそりゃ、怖いよな(笑)
これまで、どれだけ決闘して人を殺めたかわからないけど、良心の呵責……とはちょっと違うのかもだけど、なんかそんな不安を感じるものがあったんだろうなぁ。
亡霊的に(笑)本当に憑いて回ってるのだろうけど、「殺した男の亡霊」ってだけでなく、「ジュアン自身の影」って部分もあるから、それに対しての恐怖ってのもあるんだろうなと。
その、「亡霊」の導きで出会った女性、マリア ちるちる(彩みちる)。
一目惚れで良いのですね?
マリアのアトリエに連れてこられた時、彫られている彫像が、亡霊の在りし日の姿……己が殺した男の物だとわかって、怒り狂ってたのに、マリアが現れて、自分に気付かずに像を掘り続ける彼女の姿を見ているうちに、眉間のシワが取れて段々柔らかい表情になって。
終いにはぽーっとなって見ている。
気付かれて、言葉を交わすけど、それまでの彼は何処に行ったんだって位に……まるで少年の様になってしまう。
多分初めて、心から「美しかった」と、女性を賛美した言葉を口にして。
それを笑われて(マリア的には、照れたんだろうけど)、ムッとしたのに……てか、今までだったら、絶対怒って横ツラ張り倒す位しそうなのに、肘を抱えて「感じたまま言えばいいと言ったじゃないか」と、拗ねてみせる。
誰だよ、このピュア少年わっ
ここで、亡霊から受けた「愛によって死ぬ」って呪いが発動する(笑)訳だけど。
この。
いつも心がささくれてる彼が、初めて体感した暖かい気持ち。
人を想う心。甘美な刺激。
イザベル けーこちゃん(美穂圭子)じゃないけど、「愛って残酷だから。」、この(+の)感情が強ければ強い程、悩み(-の)感情がどっと来る。
幸せな時から、すでに苦しみなんだよな。
セットだからねー。プラスとマイナスの感情は。
ジュアンは、初めて体感したこの感情に、そんなマイナスな感情があるなんてわからないから、めちゃくちゃマリアにのめり込む。
「愛って、こういう事か!」と、自分を呪う為に憑いて回ってる亡霊にすら、感謝して(笑)
そんな都合良く行くわけないのに、てか、「呪い」だっつってるのに、亡霊の「別の道を行こう」みたいな言葉を鵜呑みにして、マリアとの幸せな将来を夢見る。
ピュア……だな。
「ドン・ジュアン」ってキャラクターは、二段構えで振り幅のあるキャラだ。
愛を知らない男から、愛を知った男へ。
愛を知ったが故に、その幸福と不幸を、究極な形で知ることになる。
という。
「別人格に見えない様に」腐心したらしい、だいもん。
よくよく考えると、確かに振り幅広すぎて、やりようによっちゃ「別人」に感じてしまうかも。
でも、だいもん演じる「ドン・ジュアン」は、狂気とピュアが絶妙なバランスで混ざりあっていて、実は、最初の部分にもピュアなとこがうっすらあったり(例え一夜限りの相手でも、その時は本気だとか……多分……)、後半にも狂気は宿っていたりする(決闘をするくんだりとか)。
だから、全く違う訳では無いし、マリアによって、愛によって大きく振れただけで、一人の人間である事には、変わりない。
その、絶妙なバランスが、ドン・ジュアンってキャラの魅力であり、作品の根幹なのかなと。
そして、だいもんの他の追随を許さない、圧倒的な歌唱力と情感たっぷりのダンスと殺陣の技術、そして確かな演技力あってこその説得力なのだと。
本当に。
打ち震える程の感動を覚えた。
マリアの許婚の、ラファエル ひとこちゃん(永久輝せあ)が現れて、嫉妬を知って、本当の愛を知って、彼女の愛を自分だけのものにするため闘って、死んで。
親しい人から手渡される、バラの花。
今まで受け取ろうとしなかった、愛。
人々から投げ渡される、バラの花。
こぼれる愛を、今やっとかき集める。
腹から吹き出す血の様に……、本当は心の中に仕舞われていたかも知れない愛の様に……、ジュアンの手からこぼれ落ちる花。
そして、それをマリアの手から人々が受け取る。
愛を知り愛のために死んだ男の、愛を。
狂気とピュアの絶妙なバランスの上にある、純愛の物語だと。
こぼれる涙を拭うことすら忘れてしまう程の、感動を……決して好きな男(キャラクター)ではないと思っていたジュアンを、「可哀想な男」と思って泣いてしまう程に、感動しました。
時間はかかってますが、もう少し……書きたいので。
すみません。しばらくお付き合い下さい……。
ドン・ジュアンっつー男は、自分の欲望の為に女を求めて、飽きたら捨てるって生き方をしていて。
捨てられた女達は、彼に恨み言を言いながらも、離れない。

だいもん(望海風斗)ですから。めっちゃいい男だからって理由は、説明しなくてもわかるけど。
それでも……こんな奴の何処が、そんなにいいんだ?
って疑問が湧いてきた。
優しい訳でなく、扱いも乱暴だし……女をモノ扱いしてる様に見えるのよねー。気に入ったら力づくって感じだし。
なのに、なんで、あんなに(女達は)まとわりついてるのか。
なんで、愛されてるのか。
わからぬ……


前半のドン・ジュアンには、全く好きになる要素ないんだけど……とか、思いつつ(笑)
見た目や声は、男らしい魅力的ないい男だとは思うけど(だけど、それは、彼のではなくだいもんのだしなぁ)。
あの女癖の悪さでは、その美点も霞むね。
私自身は、プレーボーイに惑わされる素質も、事態もないから、どうでもいいんだけど

ま、それは置いておいて。
だいもん演じる「ドン・ジュアン」は、自堕落で、勝手で、喧嘩っ早くて、強くて、俺様で、誰をも信じてない。愛を知らない男で。
前述の通り、まーどーしょーもない男なんだけど。
これって、天性のものとかだったら、恐ろしい話だけど。
過去にあったのよね、何かが。
パパ、ドン・ルイじゅんこさん(英真なおき)に、日頃の放蕩ぶりを叱られている時、少年ドン・ジュアンと今は亡き母が現れて、過去のその何かが再現される、あの場面。
私が観た梅芸初日。
寂しい少年だったのか、膝抱えて孤独に耐えているドン・ジュアンに、母は聖書を与える。キリストの教えが彼を救い、導くと考えたのだろう。自身の生命が残り少ないという自覚もあったのだろう。
だけど、母が亡くなった時、自分を母を救ってくれると教えられ信じていた神が、母の命を奪ったのだと、神は信じるに値しないと、聖書を投げ捨てる。
と、いう演技になってました。
2日目。
大体は同じなんだけど、母が与えるものが十字架になっていた。ので、投げ捨てる物も、十字架に。
多分解釈は、同じかな。
3回目、ちょうど中日(なかび)。DVD収録の日(その日以降は、この演出で落ち着いた様子。4回目も、これでした)。
母は、前に観た2回より、病気が重そうで。
既に少年ドン・ジュアンの首には十字架がかかっていた。
そして、母が息子に手渡したのは、真っ赤な薔薇一輪。
バラ。結構象徴的に出てくるんだけど。
これも暗示的なのよね。
バラ=愛
なのかな?
そして、母が死んで投げ捨てたのは首にかかっていた十字架。
ま。
きっとこの事があって、神を信じなくなったとゆーか、神をも恐れない生き方をする様になったんだろうな……と推察します。
ただ。
なんで見る度に違う演出になってたのかが、ナゾです。
てか、初日映像でなんかアレなのあった件。
「すみれコード」を気にするあまり、カットした何かがあるんだろうけど。
本筋とはあまり、関係ないかもなんだけど、母が死んだ時、ジュアン少年が手を口元にやってなんかしてるなーって思ってたんですけど。
「爪を噛んでる」仕草なのね。
んで、大人ジュアンが亡霊とやり取りした後(場面忘れちゃった。上手端にいたんだけど)、爪、噛んでるのよ。
爪を噛む癖は、激しいストレスを感じた時の自傷行為だと聞いた事がある。
んで、マザコンの男の子(男性)によくある癖だと……。
ドン・ジュアンは、母の愛を一身に受けていた様に(パパの歌からは)感じられたのだけど、母が存命中もなんとなく殻に閉じこもってる系の少年っぽい作りだったし、やっぱり「少年」って時期に母と死別したってのは、男の子的に「母からの愛情が足りてない」って事になるのかしらねー。
とにかく、そんなちょっとした仕草が、このどーしよーもなく勝手なオレサマであるドン・ジュアンを構築している要素として、効いてるなぁと、感じた訳です。
ま、とにかくこんなつらい過去があってーの、今のドン・ジュアン(今更だけど「ドン」って尊称よね?まるで名前かの様にセットで付けてるけど。呼び名としては、ジュアンでいいのよね?)なんだと。
神も愛も信じない……とゆーか、存在事態否定してる感じ。
西洋の……それもこの時代の宗教観なんて、よくわかんないけど。
多分、敬虔なキリスト教徒であろう、友人、ドン・カルロ さきな(彩風咲奈)の忠告なんてまるで無視。
修道院にいた時に、エルヴィラ くらっち(有沙瞳)を妻にしたってこと自体も、これ以上ない神への冒涜だよねー。その上、(立場上は妻だけど)捨ててるし。
てか。
宗教どうのって以前の問題だけどね、彼の愚行は。
もう、狂気の域だと感じました。
ま。
そんな神をも恐れぬジュアンだけど、亡霊(がおり・香綾しずる)はちょっと恐怖なのね(笑)
思いの届かない、何処にいるかわからない神より、ダイレクトに自分に憑いて(笑)回る方がそりゃ、怖いよな(笑)
これまで、どれだけ決闘して人を殺めたかわからないけど、良心の呵責……とはちょっと違うのかもだけど、なんかそんな不安を感じるものがあったんだろうなぁ。
亡霊的に(笑)本当に憑いて回ってるのだろうけど、「殺した男の亡霊」ってだけでなく、「ジュアン自身の影」って部分もあるから、それに対しての恐怖ってのもあるんだろうなと。
その、「亡霊」の導きで出会った女性、マリア ちるちる(彩みちる)。
一目惚れで良いのですね?
マリアのアトリエに連れてこられた時、彫られている彫像が、亡霊の在りし日の姿……己が殺した男の物だとわかって、怒り狂ってたのに、マリアが現れて、自分に気付かずに像を掘り続ける彼女の姿を見ているうちに、眉間のシワが取れて段々柔らかい表情になって。
終いにはぽーっとなって見ている。
気付かれて、言葉を交わすけど、それまでの彼は何処に行ったんだって位に……まるで少年の様になってしまう。
多分初めて、心から「美しかった」と、女性を賛美した言葉を口にして。
それを笑われて(マリア的には、照れたんだろうけど)、ムッとしたのに……てか、今までだったら、絶対怒って横ツラ張り倒す位しそうなのに、肘を抱えて「感じたまま言えばいいと言ったじゃないか」と、拗ねてみせる。
誰だよ、このピュア少年わっ

ここで、亡霊から受けた「愛によって死ぬ」って呪いが発動する(笑)訳だけど。
この。
いつも心がささくれてる彼が、初めて体感した暖かい気持ち。
人を想う心。甘美な刺激。
イザベル けーこちゃん(美穂圭子)じゃないけど、「愛って残酷だから。」、この(+の)感情が強ければ強い程、悩み(-の)感情がどっと来る。
幸せな時から、すでに苦しみなんだよな。
セットだからねー。プラスとマイナスの感情は。
ジュアンは、初めて体感したこの感情に、そんなマイナスな感情があるなんてわからないから、めちゃくちゃマリアにのめり込む。
「愛って、こういう事か!」と、自分を呪う為に憑いて回ってる亡霊にすら、感謝して(笑)
そんな都合良く行くわけないのに、てか、「呪い」だっつってるのに、亡霊の「別の道を行こう」みたいな言葉を鵜呑みにして、マリアとの幸せな将来を夢見る。
ピュア……だな。
「ドン・ジュアン」ってキャラクターは、二段構えで振り幅のあるキャラだ。
愛を知らない男から、愛を知った男へ。
愛を知ったが故に、その幸福と不幸を、究極な形で知ることになる。
という。
「別人格に見えない様に」腐心したらしい、だいもん。
よくよく考えると、確かに振り幅広すぎて、やりようによっちゃ「別人」に感じてしまうかも。
でも、だいもん演じる「ドン・ジュアン」は、狂気とピュアが絶妙なバランスで混ざりあっていて、実は、最初の部分にもピュアなとこがうっすらあったり(例え一夜限りの相手でも、その時は本気だとか……多分……)、後半にも狂気は宿っていたりする(決闘をするくんだりとか)。
だから、全く違う訳では無いし、マリアによって、愛によって大きく振れただけで、一人の人間である事には、変わりない。
その、絶妙なバランスが、ドン・ジュアンってキャラの魅力であり、作品の根幹なのかなと。
そして、だいもんの他の追随を許さない、圧倒的な歌唱力と情感たっぷりのダンスと殺陣の技術、そして確かな演技力あってこその説得力なのだと。
本当に。
打ち震える程の感動を覚えた。
マリアの許婚の、ラファエル ひとこちゃん(永久輝せあ)が現れて、嫉妬を知って、本当の愛を知って、彼女の愛を自分だけのものにするため闘って、死んで。
親しい人から手渡される、バラの花。
今まで受け取ろうとしなかった、愛。
人々から投げ渡される、バラの花。
こぼれる愛を、今やっとかき集める。
腹から吹き出す血の様に……、本当は心の中に仕舞われていたかも知れない愛の様に……、ジュアンの手からこぼれ落ちる花。
そして、それをマリアの手から人々が受け取る。
愛を知り愛のために死んだ男の、愛を。
狂気とピュアの絶妙なバランスの上にある、純愛の物語だと。
こぼれる涙を拭うことすら忘れてしまう程の、感動を……決して好きな男(キャラクター)ではないと思っていたジュアンを、「可哀想な男」と思って泣いてしまう程に、感動しました。
時間はかかってますが、もう少し……書きたいので。
すみません。しばらくお付き合い下さい……。