これの前のブログで、「脚本には思うところがあった」と書きました。
その理由を今回書いたのですが、これは、プログラムにあるキムシンのコメントを読む前に書きました。
タイトルの「下手を打ったな」というより「何があったの?キムシン!?」って感じです。
コメントの内容を考えると、脚本を変えた意図は納得しました。
でも、そのコメントに対して、理解に苦しむことになりました。
初演のあの思いは、なんだったのか。
「愛と平和」という、シンプルでありながら、一筋縄ではいかないテーマを大上段に掲げたこの作品に、心底感動した思いは、なんだったんだろうと。
「愛と平和」を同列に書いたつもりはないみたいなことをいわれて、かなり混乱してます。
なので、一寸書き直そうかとも思ったんですけど、そのまま載せます。
決して、「初演が最高。」「初演通りでないと嫌だ。」というこだわりからではなく、「とても大事なところを変更してきた事に対する、戸惑い。」を書いたとご理解してください。
そして、それは、今回の宙組の熱演を否定するものではないと、ご理解ください。
宙組、「王家に捧ぐ歌」観てきました。
いやいや、相対的によかった。
初演の星組とは、また違った良さが出ていて、これはこれでありやな。って思った。
と、はいえ。
細かく変更点があって、ま、大体は「イシスの神」が「女神イシス」になっているって感じの、まぁ、言いやすさとかを考えて変えたのかなと思うところが、ほとんどだったんだけど。
どーしても「なんで変えたの?」と思ったのが、アイーダがアムネリスの侍女たちに痛めつけられた後の「戦いは新たな戦いを生むだけ」という歌詞を、「ラダメス、生きていてくれてよかった」みたいな歌詞になっていたところ。
私は、初演のアイーダが好きで。
再演した、外部でとーこちゃんが演ったのは好きじゃなかった。
どこが違うかというと、テーマ。
そして、アイーダの「信念」。
初演(キムシンは何故か否定していたけど)は、「愛と平和」がテーマだった。
再演は「愛」のみで。
アイーダの、「賢く勇敢」なキャラ(性格)・・・魅力が、半減したな。と思ってがっかりしたのだけど。
あの時は、台詞や歌詞は変えていなかったと思うんだけど。
あ、一曲ソロ増やしたんだ。その歌詞に違和感あったんだ。思い出した。
ので、演出がそこそこ変わっていたんだけど。
今回は、そこ、変えましたか。と。
ラダメスがね、「戦いをやめて、人がみんな認めあって、幸せに暮らせるようにしよう」って訴える事になった基盤って、そういう信念を持ったアイーダに出会って、少なからず影響を受けて、その想いを持った彼女を愛したからに他ならないはずなのに。
アイーダ自身のその言葉変えてしまったら・・・元も子もないではないですか。と、言いたい。
あれだけ理不尽に痛めつけられても、今まで、国で勇敢な王女と称えられていたけど、「愛ゆえに戦う」、ではなく、「愛ゆえに戦いを望まない」と決めた、そういう勇敢さをもったアイーダが素晴らしいと、感じていたのに。
半減したな。と。
結局、その台詞と、ラストの地下牢での「世界に求む」の歌い出しの歌詞が変わっていた(「この世に平和を」でなく、「この人の愛」がどうとか)だけで、後は、何事もなかったかのようにそのままだったので、なんだかうやむやにされた感はあるんだけど。
アイーダが、「ラダメスへの愛」一本で行動するってのに、とにかく違和感がある。
てか、結果的には、それでいいんだけど、「同じ思い(争いは無益なものという考え)を持った人への愛」であるべきだと思う。
少なくとも、初演のアイーダは、そうだった。
だから、一幕ラストのラダメスの思い(世界に求む)を聞いて、強く惹かれていったんだと思ったんだけど。
そして、そのラダメスの思いが、ただアイーダの為だけでなく、エジプトの為でもあると理解したアムネリスをして、彼の処刑後に「私が生きている間、戦をしないと決めた」と言わしめたのだと、思ったんだけど。
そして、それがなくては、出だしのウバルドの「アイーダは、愚かな裏切り者だと思っていた。だが、彼女が何を望んでいたのか、やっとわかりかけてきた。無益な戦いを繰り返していた自分こそ愚かだった」と言えなくない?
だって、ただ自分のためだけに周りを省みずに死んだってんなら、「何を望んだ」のさってなる。
・・・なにを持って、「愛」だけのテーマにしたのだろう。
や、広い意味では、たしかに間違ってませんけどね。
でも、あの書き直しでは、ものすごく、「視野の狭い、利己的な女」に、ともすれば写ってしまうじゃない?アイーダが。
「ただ一人を愛する」ってことが、ひいては平和を望む事になるって事ではだめだったのかね。
・・・12年ぶりの再演で、盛り上がっているとこ申し訳ないけど。
キムシン。
下手を打ちましたな。
としか言いようがないわ。
ほんと、残念。

その理由を今回書いたのですが、これは、プログラムにあるキムシンのコメントを読む前に書きました。
タイトルの「下手を打ったな」というより「何があったの?キムシン!?」って感じです。
コメントの内容を考えると、脚本を変えた意図は納得しました。
でも、そのコメントに対して、理解に苦しむことになりました。
初演のあの思いは、なんだったのか。
「愛と平和」という、シンプルでありながら、一筋縄ではいかないテーマを大上段に掲げたこの作品に、心底感動した思いは、なんだったんだろうと。
「愛と平和」を同列に書いたつもりはないみたいなことをいわれて、かなり混乱してます。
なので、一寸書き直そうかとも思ったんですけど、そのまま載せます。
決して、「初演が最高。」「初演通りでないと嫌だ。」というこだわりからではなく、「とても大事なところを変更してきた事に対する、戸惑い。」を書いたとご理解してください。
そして、それは、今回の宙組の熱演を否定するものではないと、ご理解ください。
宙組、「王家に捧ぐ歌」観てきました。
いやいや、相対的によかった。
初演の星組とは、また違った良さが出ていて、これはこれでありやな。って思った。
と、はいえ。
細かく変更点があって、ま、大体は「イシスの神」が「女神イシス」になっているって感じの、まぁ、言いやすさとかを考えて変えたのかなと思うところが、ほとんどだったんだけど。
どーしても「なんで変えたの?」と思ったのが、アイーダがアムネリスの侍女たちに痛めつけられた後の「戦いは新たな戦いを生むだけ」という歌詞を、「ラダメス、生きていてくれてよかった」みたいな歌詞になっていたところ。
私は、初演のアイーダが好きで。
再演した、外部でとーこちゃんが演ったのは好きじゃなかった。
どこが違うかというと、テーマ。
そして、アイーダの「信念」。
初演(キムシンは何故か否定していたけど)は、「愛と平和」がテーマだった。
再演は「愛」のみで。
アイーダの、「賢く勇敢」なキャラ(性格)・・・魅力が、半減したな。と思ってがっかりしたのだけど。
あの時は、台詞や歌詞は変えていなかったと思うんだけど。
あ、一曲ソロ増やしたんだ。その歌詞に違和感あったんだ。思い出した。
ので、演出がそこそこ変わっていたんだけど。
今回は、そこ、変えましたか。と。
ラダメスがね、「戦いをやめて、人がみんな認めあって、幸せに暮らせるようにしよう」って訴える事になった基盤って、そういう信念を持ったアイーダに出会って、少なからず影響を受けて、その想いを持った彼女を愛したからに他ならないはずなのに。
アイーダ自身のその言葉変えてしまったら・・・元も子もないではないですか。と、言いたい。
あれだけ理不尽に痛めつけられても、今まで、国で勇敢な王女と称えられていたけど、「愛ゆえに戦う」、ではなく、「愛ゆえに戦いを望まない」と決めた、そういう勇敢さをもったアイーダが素晴らしいと、感じていたのに。
半減したな。と。
結局、その台詞と、ラストの地下牢での「世界に求む」の歌い出しの歌詞が変わっていた(「この世に平和を」でなく、「この人の愛」がどうとか)だけで、後は、何事もなかったかのようにそのままだったので、なんだかうやむやにされた感はあるんだけど。
アイーダが、「ラダメスへの愛」一本で行動するってのに、とにかく違和感がある。
てか、結果的には、それでいいんだけど、「同じ思い(争いは無益なものという考え)を持った人への愛」であるべきだと思う。
少なくとも、初演のアイーダは、そうだった。
だから、一幕ラストのラダメスの思い(世界に求む)を聞いて、強く惹かれていったんだと思ったんだけど。
そして、そのラダメスの思いが、ただアイーダの為だけでなく、エジプトの為でもあると理解したアムネリスをして、彼の処刑後に「私が生きている間、戦をしないと決めた」と言わしめたのだと、思ったんだけど。
そして、それがなくては、出だしのウバルドの「アイーダは、愚かな裏切り者だと思っていた。だが、彼女が何を望んでいたのか、やっとわかりかけてきた。無益な戦いを繰り返していた自分こそ愚かだった」と言えなくない?
だって、ただ自分のためだけに周りを省みずに死んだってんなら、「何を望んだ」のさってなる。
・・・なにを持って、「愛」だけのテーマにしたのだろう。
や、広い意味では、たしかに間違ってませんけどね。
でも、あの書き直しでは、ものすごく、「視野の狭い、利己的な女」に、ともすれば写ってしまうじゃない?アイーダが。
「ただ一人を愛する」ってことが、ひいては平和を望む事になるって事ではだめだったのかね。
・・・12年ぶりの再演で、盛り上がっているとこ申し訳ないけど。
キムシン。
下手を打ちましたな。
としか言いようがないわ。
ほんと、残念。
