仏教でタナトフォビア(死が怖い・死恐怖症)の根本問題を克服したある男のブログ -2ページ目

 

◆人生観の訂正 死にかけた、たけしの言葉

 

たけしは、「人生観の訂正」と題し、元気な時には考えもしなかったことを、こうつづっています。

 

人生って、生まれながらにして死ぬ時のその対応の仕方をいかにして模索していくかが人生のような気がする。

息抜きに色んなことをしてるだけであって、基本ラインは死ぬことに向かって一直線に突っ走ってて、それに人間はどう対応するんだろうかってだけのような気もする。(中略)

 

(死は)頭のいいのからバカから、金持ちから貧乏人から、人間全部に対しての問題提起なんだ。そうすると、バカでもなんでも対応せざるを得ない。

 

では人生観は、一体どのように訂正されたのでしょうか。

 

今度の事故というのは凄いショックだったね。物理的なショックのみならず、精神的ショックがマグニチュード8という感じだった。

 

死というものの凄さというのは、自分の人生振り返って何をしたとか何をしてないとかいうのは全然関係ない。そんなことはビタ一文かすんないんだよ。

 

ふだん元気な時は、人と争ってまで求めていたものが、臨終にはビタ一文役に立たなくなってしまうのです。

死を前にすればお金も地位も名声も、〝それがどうした〟の七文字によって霧散してしまうでしょう。そのことは人生を飛行機に例えるとよく分かると思います。それは次のような例えです。

 

◆人生を飛行機に例えると、日常の風景が一変する。なぜなら……

 

もしあなたが今、50歳ならば、あなたは今から50年前に空港を飛び立った飛行機に乗っているようなものです。

 

東京生まれなら、東京から飛び立った飛行機、大阪生まれなら、大阪から飛び立った飛行機。

生まれたときが飛び立ったとき、生きているということは、飛んでいるということです。

あなたはどこから飛び立ち、何年飛び続けておられますでしょうか。

ともかく、今、この本を読んでおられるということは、現在、飛んでいる、ということです。

 

さて、飛行機の中が快適かどうか、これは大切な問題です。例えば、機内食がおいしいかどうか。

海外便なら、アテンダントから、「フィッシュ オア チキン(魚がいいですか? 鶏肉がいいですか?)」と聞かれる。

 

簡単な英語ですが、「フィッシュ」と答えようと思って身構え、うまく伝わるかドキドキしてアテンダントが近づくのを待っていて、さあ、自分の番が来た。そして「フィ、フィ、フィッシュ!」とやっとの思いで言ったのに、「ソーリー、チキンオンリー(申し訳ありません。鶏肉しかありません)」といわれたら、がっかりします。

 

いや、チキンがあればまだいいですが、

「すみません、食事を切らしてしまいました。我慢してください」

などといわれると、「この航空会社はどうなってるんだ!」と怒りが収まらないでしょう。

 

食事がおいしいかおいしくないか、量は足りるか足りないか、そもそも食事があるかないかは、大きな問題となります。

 おいしくて満腹できれば満足しますし、まずくて量も少ないとなれば、不満たらたら。まして、食事がないとなれば、訴えんばかりに腹が立ちます。

 

また、隣にどんな人が座っているかも大事でしょう。

大好きな恋人と一緒なら、最高に楽しい空の旅でしょうが、隣の人が、驚くほどひげもじゃらで、麻薬患者のように目の焦点が定まっておらず、完全にこちらの席まで食い込む巨体で、口臭がひどく、ぶつぶつ呪文のようなものを称えていたらどうでしょう。

「この席変えてください!」と心から懇願したくなるでしょう。

 

さらに、日本からブラジルなど、遠方の旅となれば、一晩、飛行機の中で過ごすことになります。リクライニングがしっかりきいて、寝心地がよいと、ああ、最近の飛行機は、ゆっくり休めていいなあ、と喜べますが、席を倒そうと思ったら、逆に前に倒れてしまった。しかも、その状態のまま戻せない、となるとどうでしょう。

寝るどころではありません。「何とかしろ!」「金返せ!」と目をつり上げ、必死に抗議します。

 

このように、機内での出来事で、楽しんだり、苦しんだり、悲喜交々です。

特にトラブルに見舞われたら、これ以上の問題はないと、血相を変えることでしょう。

 

しかし……

 

しかしそんな時、すごい爆発音が聞こえ、機長からこんなアナウンスが流れたらどうでしょう。

 

「お客様に緊急連絡です。先ほどの爆発により、当機は重大なエンジントラブルが生じ、燃料が漏れ始めてしまいました。あと20分もすれば、墜落はまぬがれません。しかも、残念ながら現在太平洋の真ん中あたりを飛行中で着陸する場所もまったくありません」

 

こうなれば一大事です。

そんな時、だれが、「どうして俺の機内食はフィッシュじゃないんだ!」とか、「リクライニングを何とかしろ!」というでしょうか。

先ほどまで一大事だった、食事のことや、隣の人のことや、リクライニングの問題は、小さな小さな問題になってしまいます。

問題の桁が違うからです。

 

必ず死なねばならない人生と、必ず墜落する飛行機と、いかに似ていることでしょう。

日頃、食べ物、人間関係、快適な住まいの良し悪しばかりを問題にしていますが、これは、機内食、隣に座る人、リクライニングなどの飛行機の中の出来事。墜落という死の一大事を前にしては、みな、小さな問題です。

 

世界のホンダを創設した本田宗一郎氏は、こう言っています。

 

人生は飛行機に似ていて、途中がどんなによくても着陸に失敗すれば、すべては無いに等しい。

人間は常に、やがてやってくる着陸のことを考え、悔いのない真に人間らしい生き方をすべきだ。

 

死とは、まさにそういう問題です。

私たちは、生まれながら必ず落ちる飛行機に乗っているのです。

死なない人は一人もないのですから。

 

人間、最後のすがたを、経典にこう説かれています。

 

「大命、将に終らんとして悔懼こもごも至る」『大無量寿経』

(だいみょう まさにおわらんとして けく こもごもいたる)

 

「臨終に、後悔(悔)と恐れ(懼)が、代わる代わるおこってくる」

と説かれています。これは、海面に激突する心境にちがいありません。

飛行機に墜落以上の大事はないように、人生に死ぬ以上の大事はないのです。

 

このように確実な未来が闇で、大変な一大事を抱えているので、現在も心から安心・満足できないのです。この死後に暗い心を「無明の闇(むみょうのやみ)」といわれます。

 

しかし、無明の闇は晴れ渡るときが必ずきます。古典には「破無明闇(は むみょうあん)」の4文字がクッキリと記されています。

何千年もの間、まっ暗だった部屋も、明かりが射し込んだと同時に明るくなるように、無明の闇も一瞬で晴れ渡ります。

無明の闇が破れれば、モノはあってよしなくてよし、生きてよし死んでよし、なにものにも妨げられない真に自由な幸せに生まれ変わります。

 

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