あるタクシードライバーの死について | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

今から15年以上も前の事です。当時四十代前半だった、ある同僚ドライバーが自死いたしました。その事に関して少しばかり書き連ねてみたいと思います。

 

 

さて、「名無しの権兵衛」状態でもアレですので、『Kさん』とでもしておきましょうか。彼は非常に恰幅が良く人懐こい人で、兎にも角にも話好き。本当に食べる事と噂話、それからギャンブルが大好きな人でした。それから基本的に自己管理という点では決して褒められた人ではなく、毎日ボサボサの髪の毛にヨレヨレのジャケットを羽織り出社して働き、暇で客待ちに並んでいる時には、迷惑がる同僚を捕まえては毒にも薬にもならぬ長話に延々とつき合わせたり、いよいよ話し相手がいなくなった時には車内でパチンコ雑誌や競馬新聞を眺めているような人で、よく「大負け」しては自嘲気味に愚痴っぽい話もよくしていたように記憶しています。

 

また、毎回会社の健康診断ではコレステロール値や血圧の以上に関して、病院の先生から強いお叱りを受けている、そんな感じの人でもありました。分厚い脂肪に胸部が圧迫されていたせいか、呼吸するたびに喉の奥から「ヒューヒュー」という音が聞こえ、恐らく全身の血行も悪かったのか皮膚はやや浅黒く、特に顔が血行不良を起こしている人間特有の不健康な浅黒さをしていました。

 

……すこぶる不健康でギャンブル好きの借金体質であり、月に一度は親しい同僚に対して金の無心をしている様な人物であり、まあまあ、ある意味、『自己破滅傾向の強い底辺労働者の典型例』と言えなくもないキャラクターだったと言えるかもしれません。

 

またKさんは同僚達のプライベートの事も本当に良く知っていた。人懐っこい態度で色々な人に近づいては「〇〇さんの私生活ってどうなってるの?奥さんや子供は?」、「この前噂で聞いた借金は?」、「今時のタクシードライバーが普通に働いていて、あんな立派な自家用車や家を買えるわけがない、誰か事情を知らないか?」、「娘さんに彼氏はいるのか?」といった感じで、同僚たちの事を何でもかんでも根掘り葉掘り聞き出し知りたがる。

 

稀にその噂好きを諫める同僚もいましたが、そうするとタクシードライバー以前の人生で培われた『元不良の気質』が少しばかり顔を出し、ドスの利いた声で「偉そうに説教こいてんじゃねぇ!」とくる。そんなだから、多くの同僚達は呆れながらも彼のこういった振る舞いを傍観しておりました。ベテランドライバーの中にはそんな彼を皮肉り、陰で「K興信所」などと呼んでみせる者もいたくらいです。

 

さて、この「Kさん」と私の関係性はというと、同じ営業所の先輩と後輩の仲ですね。色々仕事を教えてもらって世話になった恩義は感じていたし、別に嫌いというほどでもないのですが、積極的に関わり合いになりたくもない、そんな感じでした。

 

例えばですが、深夜勤務明けに洗車場でバッタリ出くわすと、「お~い!丁度良かった、俺、最近は腰と膝が酷く痛ぇからよぅ、悪りぃけど、洗車手伝ってくれや!」と高確率でなってしまうのです。洗車機から出された営業車は泥は洗い落とされているものの、表面はまだ濡れたまま。こっちもクタクタに疲れていて他人の車の洗車に付き合うのなんか嫌な訳ですが、無下に断ると後々面倒な事になる。で、新米だった頃の私は「Kさん、いい加減にしてくださいよ」などと言いつつ手伝ったりするわけです。で、彼自身は何をしているのかというと、全然拭き取り作業などせず、社内で競馬新聞に見入っていたりするわけですね。

 

で、私が拭き取りし終わると、大袈裟かつワザとらしい口調で「おお!ウッカリしていて手伝うのを忘れちまった!いやあ~しかし流石は元スタンドマンだ、目を見張る様な見事な手際だねぇ。さてありがとよ!」などとオベンチャラを語ってそのままシレッと去ってゆく。いつもそんな感じでした。

 

彼はそうやって右も左もわからない新人が入って来る度に順繰りに捕まえては面倒な作業をさせて自分は座りっぱなし、といった感じの人だったのです。あと、妙な寂しがり屋で深夜勤務を終えて帰ろうとしている同僚を捕まえては何時間も長話に付き合わせたりする所もあって(私も何度か付き合わされました)辟易している人たちも多かった。

 

そんなある日、その「周囲から愛されつつも同時にウザがられている」Kさんが無断欠勤になり、数日行方が分からない状態になってしまいます。あるベテランは「アイツは過去に競馬で大勝ちした事が何度かあったが、その度に数日間姿を消して何処かで豪遊し、スッテンテンになったら戻って来た。またソレではないか?」などと語っていたのですが、結果的にその予想は大きく外れてしまいました。

 

彼は自家用車の中で練炭を焚いて自殺していたのです。人々は「タチの悪い高利貸しからの借金が原因だったのだろう」と口々に噂しました。確かに彼が得体の知れない金貸しから大借金をしていたのは事実のようですが、自殺の数日前にこの問題に詳しい知り合いに伴われて、信用生協という組織に相談に行き、この問題に一区切りをつけていた筈です。もしかすれば、これとはまた別の借金を抱えていたのか?それとも、「とりっぱぐれ」を嫌った高利貸しから精神崩壊を起こすような強烈な「追い込み」を食らったのか……まあ、結局のところ真相は藪の仲です。

 

もしかすれば借金以外にも深い悩みを抱えていたのかもしれませんが、兎に角、私たち同僚から見ると「Kさんと言えば博打に絡んだ借金問題」といったイメージしかなく、また大昔からの親友と言える人達も、それ以外の別の問題は思い当たらなかったようです。

 

「あんなに存在感のある人だったのに、まあ、なんと呆気ない死に様なのだろうか」……当時の私はそう思ったものです。そこそこ上手く商売をしていて、まずまず金回りの良かった家庭に生れ落ち、好きな物を買ってもらい、「チョイ不良」といった風なキャラで若い頃は酒と夜遊び博打に女、そんな享楽的な人生を歩み、挙句の果てには40代にしてオンボロ中古車の中で練炭自殺という寂しい最期を迎える羽目となってしまった。こうやって思い返してみると、彼の人生って何だったんでしょうね。あんな人生でも何かしらの意味があるのだとするならば、それは果たしてどんなものだったのでしょうか。