これは、市役所内のイベントスペースを利用して「ブログ×イラスト展」をするために書いたものです。



市役所で展示をするにあたり、通常のブログにプラスαの内容があると良いという意見があり、それならばと企画させてもらいました。



子供に障害があるかもしれない。

その診断などのきっかけはさまざまかと思う。

でも比較的発達段階の1番のスタートは保健センターだったりしないだろうか。



わたしにとって当時の保健センターは、ムスコくんを障害者たらしめるにっくき組織だった。そんな場所で働く方々に直接聞いてみたかったこと。

今だから聞けること。

そんな機会なかなかないから聞いてみた。




聞きたいことはズバリ、

「わたしたち障害児の親の気持ち考えてる?」



以下の内容をブログ×イラスト展にて展示しました。


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本来ならば子供の発達や心配事を気兼ねなく相談できるはずの場が、ふるいにかけられてダメ親子の烙印を押される



わたしの中での保健センターは、ムスコくんが他と違うことを嫌でも認識させられた最初の場所だった。



表面上はどこまでもにこやかに穏やかに対応しているけれど、本当のところは違うんじゃない?


わたしの気持ちなんてこれっぽっちも考えていないんじゃない?


ただ問題のある子を早期に見つけ出すためだけにやってるんじゃない?


そこにやりがいを見出してるんじゃない?





わたしはどこまでもひねくれていた。



当時は誰かを恨まずにはいられなかった。

誰かのせいにすることでしか自分を保てなかった。



今ムスコくんが成人して思う。

すべて、丸ごと、よかったと。



そんなタイミングに、とあること(ブログ×イラスト展)のきっかけで乳幼児健診を担当されている保健師さんと話す機会をいただいた。




誰かのせいにしていた当時だったら、きっと誰彼構わず攻撃していたと思う。

ムスコくんが成人した今だからこそ聞ける。



「発達の遅れのある子供の親に対する気持ちってどんな?」


「どんな気持ちで言葉をかけてる?」





遅れを告げられる側の気持ちを考えたことはあるのか。

仕事とはいえ、そこに人としての心はあるのか。



聞きたいことはズバリこれだった。

めちゃくちゃ意地悪な質問だと思う。



そんな意地悪な質問に

保健師さんが話してくれたこと。




「発達の遅れを告げた結果、子供さんが療育なり他の支援なりを少しでも早く受けることが出来、それがその子の将来に役立つのであれば、わたしは嫌われてもいいと思っています」




思い出した。

ムスコくんを世話してくださった保健師さんもとても優しく対応してくれていたこと。

家に足を運んで様子を見に来てくださったこと。

お母さん、何か心配なことありますか?と聞いてくださったこと。




心を閉ざしていたのはわたしだったかもしれない。

話を聞きながらそう思った。

わたしが心を閉ざしていたから、保健師さんの想いに気づかなかっただけだ。

当時はそんな余裕なんか微塵ももてなかったけど。



成人したムスコくんを見ていてつくづく思う。

療育を早い段階でスタート出来てよかった。

かなり長い間受け入れられなかったけど、すべて良い方へ進んで今があるのだと思う。





保健センターの保健師さんたちの役割はとてつもなく重要で、そのことを心して取り組んでみえるのだと今回の話から思った。




長い間の心のモヤモヤが、たった1人の保健師さんの言葉で消えていった。

直接話を聞くことが出来てよかった。