車の運転に例えてみる…
目的地で考えてみます。


前記事で書いたように
ドライブ(コミュニケーション)を心地よくするために
相手とのフィットした感覚を掴んで……どこにいくのか??


その目的地がお互い同じところを目指してたらGO~!だけど


子供を心地よ~くした状態で
目指すは親の目的地??


じゃ…なんか、ちょっと恐い気もするなって思う。


子供も自分の目的地を持っているんじゃないかな??


きっと、「あなたのためを思って…」って
心地よい状態で親が目指す目的地にたどり着いたとしても
やっぱりどこか違和感を感じるんじゃないかな??
なんだか煙に撒かれた状態で
ジワリジワリと不信感が募って
子供自身、行き先を見失いそうな気もするけど…


でも、ガツンと衝突すれば
その場で痛みを感じるからわかりやすい…けど
親の力の当たりが強かったり
慢性化したらくじけちゃう…かも??


きっと目的地に関しても
自分の持ってない感覚(サブモダリティ)は親としても不安で
自分の持っている範囲での目的地を目指した方が安心なんだよね。


でも、時は常に常に新しく書き換えられていくわけで


親の目指す目的地は
子供の生きる世代では
全くもって的を得てないってことも考えられる…


やっぱり目的地も子供が
どこに向かいたいのかってことを観察して
調節していくってことが必要なんだろうな…


親としては子供を自立させてあげるのが目的地だけどね。。


なんて…
ここまで書くのは簡単だけど
はてさて、 それをどうサポートしていくかを考えてみよう…



※あくまでも今の時点での個人的なメモ書きです。
子育てを車の運転に置き換えると
親はドライバーで子供は同乗者ですよね。


もし、同乗者(子供)にとっての心地よいドライブにしようと思うなら
ドライバー(親)にはそれに対応できる運転技術がなければ
自分の間隔とは違う
スピードやブレーキや
曲がるタイミングや
車間距離等々…を
相手の反応を観察しながら合わせるのは
けっこう難しいことですよね。


自分に余裕がなければ、極端な話し


「私の運転はこうなの!」って押し通したり

「じゃあ、下りなさ~いっ!」でドライブ終了…

ってことだってありますよね(;^_^A


車の運転は危険と隣り合わせなので
そういう反応が強くでてわかりやすいんだと思うけど


これ、育児でやっちゃったら
子供つらいよねぇ…


でも、親子といえども
一人一人は違う感覚を持っているので
親自身に感覚(サブモダリティ)の幅がなければ
小さい子供ほど親の感覚の範囲の中に
縛られちゃうんじゃないかなって思います


どうしたって子供は行く先も行動手段も
あらゆることが親の判断というフィルターを通らなければならないわけで…


そう意味では子供は不自由なんだよね


大人は自分で決めて
自分で行動できる選択肢があるだけとっても自由…

(という不平等さがあることを念頭に置いておきたいなと思う。。)


それで、じゃあ
その感覚をどうやって広げていくのかってことだけど…


それはきっと
子供(相手)の感覚に自分が合わせて子供の反応を観察するのと
子供の感覚に合わせたことによって
自分にどんな反応が現れるのかを感じて
それをお互いが心地よい状態になるまで
調節していくってことなんじゃないかなって思います。


きっとはじめは違和感や反発を感じると思う。


時には自分の感覚を押したり引いたり
広げたり縮めたり
大きくしたり小さくしたり
早くしたりゆっくりにしたり…
いろんなこと試していくうちに
お互いにフィットする感覚が分かって


それが新しい感覚(サブモダリティ)を増やすってことで
親として成長したって感じるんじゃないかな??って思います。


そして育児に関していえば
子供は目まぐるしく成長していく訳で…

親は感覚(サブモダリティ)の書き換えをその都度してる


なんかちょっとしたことでイラっとしたりするときって
今までの感覚が子供と合わなくなってきた時で
でも、それって子供が成長した証しでもあるのかもしれない


きっと、この作業って
母性愛(本能)で
時にはぶつかりながら悩みながらも
いつの間にかつかんでいってるものなんだと思うけど


でも、悩みが多ければその分
目の前の視野は狭くなっちゃう訳で…


目の前が開けている方が
お互いの心地よい感覚を探すのは容易になるはずですよね。


NLPはそんな感覚を使いこなせるように
具体的な方法(ワーク)で示してくれている
その名の通り「脳の取り扱い説明書」だなって思うんです。

はじめは私もよく分かってなかったけど…


NLPはほんっとに日常の当たり前に行ってる脳の働きをわかりやすく説明してくれてるんです。

当たり前すぎて怠慢になっている脳みその働きを
意識に上げることによって
自分で運転できる選択肢を増やしてくれる…

そんな風に私は感じています。



※あくまでも今の時点での個人的なメモ書きです。
絵本制作の間って
脳がいい感じの思考状態に入ってくれるので
その間に感じたことをちょっとメモ的な感じで残しておきますね。

感覚(サブモダリティ)についてです


今は車生活ではないんですけど
数年前までは私もドライバーでした。


自分で運転する人って
他の人が運転する車に乗ると…

スピードの出し方とか
車間距離の取り方とか
ブレーキのタイミングとか
右折するときのタイミングや
左折の距離感
車道の左寄り、右寄り具合
どこに注意がいってるか等々…
自分との感覚の違いを身を持って感じるんじゃないでしょうか??


おそらくこういう感覚の違いは
日常のコミュニケーションにも言えることで

声の強弱や高さや低さ
トーンだったり
顔の筋肉の動きだったり
身体の動きや仕草や距離感…等々
数えきれないくらいのたくさんの情報を取り入れた中で


自分との感覚の違いや同じところを
脳が処理して
心地よさや心地悪さを教えてくれて


落ちついたりドキドキしたり、筋肉が緩んだり硬直したり…等々
体中を使って表現してくれて
自分自身を守ってくれているんじゃないでしょうか。



※あくまでも今の時点での個人的なメモ書きです(;^_^A