『吹き消したロウソクの火はどこへ消えたのか?』
この問題に対してずっと違和感があった
火としては消滅したのだからどこへも行ってない
でもこれがロウソクの火じゃなくてりんごだったら
それなら問題として成立してると思う
だから
『吹き消したロウソクの火はどこへ消えたのか?』
これは問題が間違ってるんじゃないか
とある哲学者の話を聞いて、この疑いが確信に近くなった
「哲学は役に立たない」「それっぽいことを言って気取ってるだけ」
「『自我とは?』『思想はどこから来てどこへ行く?』『好奇心は猫をも殺す?』それに何の意味がある?」
そう思う人が多いと思う
だからなんとなく嫌われがちになる
少数派に対して不快な感覚を覚えるのは生き物としての正常な反応なのでそれでイイと思う
少なくとも私にとって「当たり前に対して疑問を持つ事」は生きる意味そのものに近い
学問として師事を受けたりした事は無い
だからこれが哲学なのかもよく分からない
ただ、それが自分にとって、自分という存在にとって必要な事だと
その事実がある
だから今日も私は誰も望んでない当たり前をほじくる思考で時間を溶かしていくのです