基本的なやつね。
まずは(笑)。
自分のすることに文句を言わないこと。
これはね、なんだろ、「なんでこうしちゃったんだろあたしのばかばかばか!」ってなんないことっていうか。
基本的に自分のことを他人はわかるわけないってのが持論で。たとえば課題が出てて期限がいつまでって決まってるものがあって、それをいつやろうっていうのは人によって様々だと思うのね。その日にやる人がいたり、隙間時間にやる人がいたり、期限ギリギリにやるひとがいたり。人それぞれでしょ、そんなの。
だから、あたしは人がギリギリまでやんなくて「見せて」って言われても見せてあげる。でもそれは優しさじゃなくて。ギリギリに、しかも人のを写して出すなんてして、その本人はその時は助かりたかったみたいだけど、実際将来困ると思うんだよね。これぞ自己責任でしょ?
でもまあ、やりたくもないものはそれでいいと思うのよね。嫌いな先生だったり、嫌いな範囲だったりってあるから。誰でもね。
で、これは次のにも繋がるんだよね。
したいことには積極的に取り組むこと。
あたしは元々勉強が好きだったから、例えば日本史とか古典とかね。
日本史のノート、予習しまくるのほんと好きだった。自分で勉強するのほんと幸せだった。まあテストはひどくなきゃいいやってかんじだからそんな積極的になれなかったけど(笑)。
そーゆーもんじゃん。人に言われてやるもんじゃないだろうし、嫌々何かをやるってことに、あたしは魅力なんて感じないし。我慢の美徳っていうの?日本人そーゆーのおおいよね。尊敬できるお師匠さんについて弟子になるってのは我慢だとは思ってない。それがその人のやりたいことだから。仕込みでも下積みでも、やりたいことなら頑張れるしたのしいもん。
他人に頼らないこと。
これはかなり強い。まあ曖昧で申し訳ないんだけど。
これは、例えばノートを借りるとかじゃないんだよね、そうじゃなくて。迷っていたことの決断を人に頼らない、とか、誰々がいるからどこどこにいく、とかかな。
決めつけで悪いんだけど、例えば誰かが御手洗い行くときについていくとか、一緒にいこ、とか、そーゆーのほんとにいやなの。行きたかったら自分のタイミングで行く。あたしの脳はあたしの身体にあるんだから、生理現象
をあんたに合わせる理由はない!ちゅーか。でも話したくてついていくとかっていうのは、自分の意思だなと思うからまだいーかな。
助けを求めないこと。
基本的に、誰かに貸しを作りたくないわけね。できることなら貸しを作らせたいわけだ。傲慢だねー。絶対支配したい、とか、そーゆーわけじゃないんだけど(笑)。どっちかっていったらね。
だから進学を諦めたのも、どっちかっちゅーとこれがおおきい。
親に金を工面させて、しかも奨学金まで借りて(一般的な奨学金って貸与が多いよね?給付なんて、額が知れてるし。)、そこまでして将来苦しみたいか?って迷いが消えなかった。
何々大学いって何の勉強がしたい!とか、そういう強い意思がなかったの。そこまでりっぱな精神も持ち合わせてなかった。辛いの嫌いだから。
それで、まあ、リスクはあったけど就職を選んだわけね。ザビーにはほんと何回も考え直せっていわれたけど。ほんとに親に貸しをつくりたくなかった。
うちの家は裕福なわけではないし、多分貧乏ではなかったけど、大学の何百万ってお金なんて、出したらきっと家計切り詰めなきゃ生きていけなかったと思う。
親はね、大学行きたいなら行きなさい、って言ってくれたけど。模試のお金に苦しんでちゃ大学なんて夢のまた夢でしょ。
実際にもし大学いってたとして、あたしきっとキャンパスライフを満喫するなんてできなかった。バイト入れまくって講義とりまくって、死ぬ気でがんばってかないと、自分が壊れる予感がした。
進学したかった時期、ほんとに眠れなかった。どうしたらいいんだろう、どうやったら家が困らないんだろうって、そればっか考えて寝つけなくて、真夜中に勉強して学校行って授業は退屈で(全部じゃないけどね?予習してた頃はほんとに死ぬほど退屈だった。)、そのうち学校も休むようになって。
こりゃだめだなっておもって、やめたの。そこまで頑張ってなかったかもしれないけど、やめた。自分で決めてやめた。やめた日、ほんとに死ぬように寝た。ほぼ一日寝た。泣けた。
まあ就職にしてからも正直寝れなかったりしたんだけどね、先が見えなくて。でも、将来に借金するより楽だった。
あー、暗いな、ここらへんにしよう。これは。
辛いことは先に終わらせる。
これね、あたしのこと知ってる人だったら分かってるひといるんじゃないかなとおもう。なにかと口癖だったし。
課題も、あたしはすぐ終わらせてた。でた日に終わらせるようにしてた。それは、いつ休んでも提出が間に合うようにだったり、忘れないうちに覚えてしまうためでもあったりした。でもやっぱり、あとで苦しみたくないってのが大部分だった。
ありときりぎりすの蟻みたいにせっせとはできなかったけど、デモできるだけ蟻の側になるようにがんばった。みためキリギリスだったかもしれないけど(笑)。
苦しみたくなかった。
一人で生きていくこと。
これほんと変えられない。
冷たい人間のあたしだからこんなこといえるとおもう。みんな真似しないでほしいんだけど、あたしは、例え家族であっても他人だと思ってる節があって。
脂汗かくほどお腹いたくても、誰も一緒に痛みを感じてくれるひとなんていないよね。物理的にもそれは無理だし。テレビで良く「あたしがかわれるのならかわりたい」っていうけど、それ、言われたひとはほんとに辛いとおもう。だって代わってくれないんだもん、結局。代われないなら言わなきゃいーのに。ま、言われることで痛みを耐えられるっていう、そんな素敵な関係ならいーんだけど。そんな関係、簡単には気づけないと思う訳。例え肉親でも。
だから、あたしは一人で生きていきたいんだよね。強くなりたいから。生ぬるい傷の舐め合いなんか死んでもごめんだし。
精神的にでもいいから、一人で。
自分で死なないこと。
これは当たり前だよね、てゆーか痛いじゃん絶対。自分で死ぬとか。
スーサイドっていうのは、誰が考えたんだろう。誰が最初にしたんだろう。本当にもったいないことだとおもう。
あたしは基本的に人が好きです。ちょっとのことで怒るしキレるし、不機嫌になるとめんどくさいけど、ほんのわずかな、ささいなことで幸せになれる生き物なんて、人間だけじゃないだろうか。
そんな人間は、みんな、平等に幸せに、たまに不幸せに生きていくべきだと思う。
ベンサムの考えはあまり賛成できないんだよね、大勢のなかで半分以上、より多くの人が幸せになれる方法を選ぶって、それ、幸せになれないひともいるんじゃんね。全員幸せになんてできないのはもーわかってんだよね。そーじゃなくて、一個の解決法で終わらせるんじゃなくて、たとえば段階的に不幸せ側にあわせた方法を考えていってもいんじゃないってことで。難しいけど。
世界は本当に不思議で、人間もこれまた不思議で、複雑なんだよね。複雑なんだから単純な方法で解決できるわけないよって。
悠長な考えかもしれへんけど、それくらいお互い譲れるところをつくらないと。じゃないと、きっとだーれも幸せになんてなれない。より多くの人が幸せになれる、なんて、こんな簡単なこともできなかったら絶対に不可能。
とまあ、根本的なのはこんな感じかしら?
まだあるけど、打つの疲れた。
また気分になったらやろっかな。楽になるねー。
ほな。