過去の思い出
春休みうはうはしてる中 ちょっときついかもしんない日記です 長いし。
2月中旬、うちの家の大切な愛犬ロシナンテが死んでしまいました。つい数日前のこと。
会いたかった人や、可愛がってくれた人もいるかと思うので、ちょっと思ったことを書かせてもらおうかと思います。なにより私が気持ちの整理をつける為です。
最初は、京都から帰る新幹線の中で母親から入院してしまったとのメールをうけてびっくしりしたのですがそのときは大丈夫だと思ってました。んで、でも何日かあとにお腹のまわりがすごい紫になってて病院つれてった。それでまた入院して、CTの画像を見せてもらいました。獣医さんいわく、肺が線香花火みたいにぽつぽつ黒い点があって、画像を見ると普通のわんちゃんよりたくさんぽつぽつがありました。たくさん獣医さんに脅かされてすごく泣いた。時間をおかないと原因がわからないからまた病院いきましょうってことになった。何日かした後、朝の6時くらいに大きなうめき声が聞こえて、何かと思ってお母さんが下にいって ロシナンテはいつも玄関で寝てるんだけど 苦しそうにうめいていたそうです。私は寝ていたからきいていなかったけどお父さんの部屋にも聞こえるくらいだったらしい。それで、病院いって、検査の結果が返ってきたけど 深いところに原因があるから大元は特定できなかった。でも 前レントゲンにはうつらなかったものがすごくたくさんうつるようになってた。これも獣医さんいわく雪がふったみたいにぶわーって肺に白く覆いかぶさってた。獣医さんには今月もたないと言われ、薬をうたないといけないから一旦ロシナンテを病院にあずけてまた夕方に戻る事になった。その日のつい一昨日や昨日までよだれ垂らしてパンを欲しがってたり私がもってるおにぎりに手首ごとかぶりついてたりしててすごく元気だったのに、その日は今までで一番苦しそうな日になった。
酸素マスクを近づけても呼吸が苦しそうで、きいたことのない声でうーうーうなってた。息が本当に苦しそうでもう見ているのがどうしようもなくなった。家族で安楽死をするかどうか、話していた。今思うと、ロシナンテはこの会話を聞いていたのかもしれない。自分が、家族に迷惑をかけるのが嫌だから、自分で死に場所を選んだのかもしれない。と思う。でも私は明日になったら元気になる今日は薬をうったからだ と思っている部分があった。うめいて、のた打ち回って吐いてるロシナンテをさすってあげることしかできなかった。
酸素マスクのおかげか、深夜に少し呼吸が落ち着いて、私は上にあがって少し自分の部屋にいたんだけど、少しするとまた低い苦しそうな声がきこえたから下に行った。ロシナンテはいつものソファーんとこにいて、電気を消していたんだけどおにいちゃんがロシナンテの舌が真っ白になってることに気がついて、あわてて電気をつけた。呼吸の間隔がどんどん長くなってて 大きくすって、止まって、はいてをくりかえしてた。家族全員がロシナンテを見下ろしててロシナンテは家族全員をぐるっと一周見渡して最後におっきく息をはいて動かなくなってしまいました。その時の映像がこの数日間 何回も何回も繰り返されます。一生忘れたくないです。お墓はおじいちゃんとこにうめにいった。骨を土にまくとき、本当に生き物は土にかえるんだと実感した。
死んでしまったあと、ロシナンテはなかなか目をとじてくれなくて、もう皆を見守らなくていいんだよとおかんが言っていました。
ああ死んじゃったんだね 悲しいね ってだけじゃ 多分何も得られない。動物はときに人間が忘れている大事なことを身をもって教えてくれるものです。ロシナンテが死んでしまった今、私は彼の残した足跡を追ってそれぞれにどんな意味があるのか見つけなければならないなと思います。 たかが犬ごときで と思うかもしれないけど 家に居場所がないときが多い私にとってロシナンテは大事な大事な友達でした。いとおしいとおもっていた。今もどこかに隠れているんじゃないかと思っています。しかしすべての物事には理由があると思います。そしてそれを受け止めなければいけないときが必ず来ます。彼が死んでしまった理由もその場所も時間も意味があると思います。太陽だっていつかはブラックホールになるし、宇宙には終わりがくるし人間も動物も必ずいつかは死ぬ。出会ったら別れるし、物事は常に始まる瞬間から終わりに向かっています。彼は言葉が喋れません。けど伝えたかった事がたくさんあると思う。いつも揃わない家族が揃ったのもまた彼のおかげです。生き物は生まれるときに何かしら役割をもってして生まれてくると思います。ですからロシナンテの役割というものは皆をつなぐことだったのではないかと考えます。ロシナンテはいつも家族でケンカがおきると怒ってた。何しても怒らないし噛まないんだけど、そういう時だけは噛み付いて止めてた。 さっきも書いたけど、ただ「悲しいね 寂しいね」を繰り返していても何も生まれません。もしこういった文章を読んで何かしら発生するものがあればいいと思います。私が、死んでしまった事実を飲み込んで血にして何かをつくれるならそれは意味があったことだって言えると思います。それが自分にできる最大の奉仕です。もう一つ思うのが、大事なものって自分の片割れのようなものなんですね。ひきちぎられるような痛みがします。自分がこれからどこへ向かうのか、ロシナンテがこれからどこへ向かうのかはわかりません。すべてのことはつながっていると考えることがあるのですがそれがどこでどうやってつながっていくのかはいつも後々気づくことばかりです。泣くのはもう疲れた。ご飯もちゃんと食べなきゃいけないし、睡眠もとらなきゃいけない。とにかく沈む時間が多いですが周りのおかげでなんとか大丈夫です。ありがとう。
今自分がすべき事は最低限の生活をすること 目の前のことや役割をこなす事です。長期的には やはり色んなことを意味を探すことになるんだと思います。なんでこんなこと書いてるかっていうと、つーかこんな犬が死んだだけで重くなんじゃねーよと思うかもしれませんが 私や家族にとってロシナンテは大事な大事な家族です。人間がまっとうできない役割を果たしていました。残していった言伝をちゃんと見てやんなきゃならないです。でもまだ思い出にはしたくない。悲しいし、寂しい。できることなら戻ってきて欲しい。ふわふわの首んとこの毛をさわりたいし抱きしめたいです。まだ葛藤やら混迷するところはあるんですが、とりあえず落ち着いたので 自分的にはだいぶはしょりましたが、書きました。こんなところで言い尽くせるものでもないので。
愛するものは、死んだのですから、たしかにそれは、死んだのですから、もはやどうにもならぬのですから、そのもののために、そのもののために、奉仕の気持ちにならなけあならない。 奉仕の気持ちに、ならなけあならない。まことに人生一瞬の夢、ゴム風船の美しきかな。だったっけ。その日は8歳の誕生日だった。ハッピーバースデー。

