~「Everyday is a winding road」~

以前も何度かFMでオンエアされてて聴いたことはありますが、なかなか印象的でいい曲なので、歌っているシンガー、シェリル・クロウを記事で取り上げることにしてみました。





シェリル・スザンヌ・クロウ(Sheryl "Suzanne" Crow )はアメリカ合衆国ミズーリ州ケネット出身のシンガーソングライター

 マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどの作品への参加を経て1993年にデビュー、4000万枚以上のレコード・セールスを記録し、これまでに9回に渡ってグラミー賞を受賞

マイケル・ジャクソンを筆頭とする大物アーティストのバック・シンガーを務めたキャリアを活かし、93年「チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ」でデビュー
 このアルバムからは「さらばラスヴェガス」「オール・アイ・ウォナ・ドゥ」のヒットが生まれ、700万枚以上のセールスを記録、94年度のグラミー賞では3部門を制覇

1987年のマイケル・ジャクソンのコンサート・ツアー「バッド」(BAD)ではコーラスを務め、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日も果たしている。
 その後ロッド・スチュワートやドン・ヘンリーなどのレコーディングへの参加やエリック・クラプトンへの楽曲提供などを経て、A&Mレコードと1990年に契約

1993年、ビル・ボットレルがプロデュースを手がけたアルバム「チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ」(Tuesday Night Music Club)でようやくソロ・デビュー このアルバムは全世界で700万枚を超えるセールスを記録 同作収録曲の「オール・アイ・ワナ・ドゥ」(All I Wanna Do)は全米ビルボードチャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、1994年の第37回グラミー賞ではレコード・オブ・ザ・イヤーおよびベスト・フィーメイル・ポップ・ボーカル・パフォーマンスを受賞し、クロウ自身も最優秀新人賞に輝いた。

次いで1996年に発表された自身の名を冠したセカンド・アルバム「シェリル・クロウ」(Sheryl Crow)は前作同様に大ヒットを記録し、1997年度のグラミー賞で2部門を受賞 以降クロウは同賞のノミネート常連として、現在までに9回受賞

 1995年にソロでは初となる来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6度(うちツアーでは3回)来日

2008年(日本先行発売日は1月30日)に『ディトアーズ』(Detours) を発売


~アルバム ディスコグラフィー~

・「チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ」- Tuesday Night Music Club (1993年)
・「シェリル・クロウ」- Sheryl Crow (1996年) 収録曲の「Love is a Good Thing」の歌詞  に「ウォルマートで買ったおもちゃのピストル」というフレーズが子供達の暴力行為を助長するとして、 全米のウォルマートではこのアルバムは発売されなくなった

・「グローヴ・セッションズ」- The Globe Sessions (1998年)地球と一体化しているという意  味の造語
・「ライヴ・フロム・セントラル・パーク」- Sheryl Crow and Friends: Live From Central Pa  rk(1999年)
・「カモン・カモン」- C'mon C'mon (2002年)
・「Live at 武道館」- Live at Budokan (2003年)日本のみのリリース
・「ヴェリー・ベスト・オブ・シェリル・クロウ」 - Very Best of Sheryl Crow (2003年)
・「ワイルドフラワー」- Wildflower(2005年)
・「ディトアーズ」- Detours(2008年)


                          引用~Wikipedia~










~フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)~はイギリス、アメリカのバンド 2008年で結成40周年を迎えました。
 1967年、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズのメンバーだったピーター・グリーン(G)とミック・フリートウッド(D)を中心にボブ・ブランニング(B)、ジェレミー・スペンサー(G)の4人でバンドを結成活動を開始 数回のギグの後ブランニングに変わってジョン・マクヴィー(B)が加わりライヴ、レコーデイングを開始
 初期のバンド名はピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)
 グリーンのギブソン・ギターのレス・ポールをフィーチャーし、当時イギリスで勃興していたブルースロックのブームに乗って活動を開始 グループ最初のアルバム「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」は1968年にリリースして注目を浴びることとなります。
 さらに同年、シングル曲として録音した「ブラック・マジック・ウーマン」(後にサンタナにカバーされて大ヒットしている)を世に送り出し、8月にはアルバムとして2作目(USではファーストアルバム)の「ミスター・ワンダフル」をリリース

 さらにグループは変貌を続けて、初期のメンバーとしてはベストな状態となる18歳のギタリスト・ダニー・カーワン(ギター)を加入させました。

 トリプル・ギターによるバンドの編成は当時としては奇抜なアイデアで、グリーンとグループが思い描く常にサウンドの変化に対応するベストなポジションにありました。

 カーワン加入後はUS用に編集したセカンド・アルバム『英吉利の薔薇』をリリース ヨーロッパではシングル「Albatros」がヒット・チャートに昇るなど欧州でもセールス面で好調の兆しを見せ始め、1969年1月には、ブルースの故郷とも言えるシカゴのチェス・スタジオに渡米してウイリー.ディクソンやバディ・ガイ、オーティス・スパンと共演して記念版的作品として残しています。
 また同年にはこの面子での最後のブルース・アルバムとも言える3作目の「ゼン・プレイ・オン」をリリースしています。

ジューダス・プリースト、ゲイリー・ムーア、エアロスミスが、この時期のフリートウッド・マックの曲をカバーしています。



マックは幾度のメンバー・チェンジを繰り返し、そのたびにその音楽性も大きく変わっていったバンドです。彼らの活動期後半の時期に生み出されたアルバム「噂」は全世界で1700万枚以上を売上げ、70年代を代表する作品となりました。
~ダリル・ホール&ジョン・オーツ~


1967年、テンプル大学在学時代に知り合った、ダリル・フランクリン・ホールとジョン・ウィリアム・オーツの二人によってに結成されたアメリカのバンド

R&Bやソウルのテイストを取り入れたポップスで人気を博し、いわゆるブルー・アイド・ソウルと呼ばれるジャンルのアーティストとしてあげられるユニットです。




・1967年2人のR&B思考が一致し、バンド活動を開始、1972年、Atlanticレーベルからデビュー

・1975年RCAに移籍、第1弾アルバム「サラ・スマイル」を発表 シングル「サラ・スマイル」がスマッシュ・ヒットし、その後も「リッチ・ガール」「ウェイト・フォー・ミー」「キッス・オン・マイ・リスト」などが大ヒット

・1981年発売通算10枚目のアルバム「プライベート・アイズ」を発表、4曲がシングルカットされ「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴ・フォー・ザット」が全米No1となり、キャッシュボックス誌の81年のベストアルバムに選出されました。

・その後も「H2O」(82年発表)、「フロム・A・トゥ・ワン」(83年発表ベストアルバム)、「BIG BAM BOOM」(84年発表)、「OOH YEAH!」(88年発表)、「チェンジ・オブ・シーズン」(90年発表)と順調にリリース 90年代に入りダリルはソロ活動、ジョンはTV音楽製作などの活動に入ります。

・97年に約7年ぶりとなる「マリー・ゴールド・スカイ」を発表
日本には11度の来日公演を果たしている。2001年には、ソニーデジタルスチルカメラ「サイバーショット」のCMソングに「プライベート・アイズ」が使用され、再びホール&オーツが注目を集めることになります。

・11月21日に日本新編集のベスト・アルバム「ザ・ベリー・ベスト・オブ」を発売 2002年はジョン・オーツが初となるソロ・アルバム「ファンク・シュウェイ~心のままに」もリリース

・2003年2月に6年振りとなる待望のニュー・アルバム「ドゥ・イット・フォー・ラヴ」(ビクターエンタテインメント)をリリース、5月には昨年に続き来日公演が決定 これまでに発表したヒット曲は34曲、その内6曲のNO.1ヒット、16曲のトップ10ヒットを記録し、デュオとして歴代1位の記録を残しています。

この曲、「Everytime You Go Away」は、ポール・ヤングがカバーしてヒットしたことでも知られる曲で、ポール・ヤングのカバー曲は初代スバル・フォレスターのCMソングとしても使用されました。こちらも素晴らしいです。
 ブラックボディのフォレスターが大自然の森林道を疾走するイメージがもうほんとにピッタリマッチしていて、あれからフォレスターという車に惹かれたくらいですがら・・*^-^






                  
20年ぶりの東京滞在から、昨日(23日)夜帰ってきました。

2泊3日の日程でしたが、1週間分のエネルギーを使い果たしてしまったような感覚です。というのは短い期間とはいいながら、環境が全く違う所で過ごすのは、意識していなくても精神的に疲れてしまうんですよね。
 電車でいろいろあちこちと廻って人波にもまれながらけっこう歩いたので、1日が終わる頃滞在先のホテルに入ると、肩や足腰が張って疲れがどっと・・って感じで「寄る年波には逆らえないか・・無理はすまい」って思った輝々でした。
 LIVE当日の22日、午後になって会場となる武道館周辺をテクテク散歩してみました。
その日は天気がとても良く、北の丸公園のつつじの色がとても鮮やかでした。

 武道館の前を歩いたのは午後3時頃だったのですが、 入り口には「コスモ アースディコンサート2009 ~絢香~」と大きく文字が描かれ、中からは夜のコンサートに向けてリハーサルの音が聴こえてきて夜のLIVEへの期待感がさらに高まり、いったんホテルへ引き返しそのままLIVEへ突入・・・
とにかく、ものすごい人の数でした。

席は1階 東D 24・・フロアーではなく、位置的にはステージを側面から見下ろすような感じで距離もけっこうあって顔や表情とかはほとんど把握できないのが残念でしたが、それらを補って余りあるくらい素晴らしいLIVEでした。
TVでオンエアされた今までの絢香のコンサートでは、ステージを広く使ったアクションでLIVEを盛り上げていた彼女ですが、今回は体調も意識してか今までのコンサートにくらべ動きは少し少なめでした。

 7時スタートで9時過ぎまで約2時間・・まさに歌姫~ハートに深く響くその歌声は、たとえようのないくらいステキなものでした。
オープニングナンバーは「おかえり」・・そして、新曲「夢を見方に/恋焦がれてみた夢」も披露(LIVE当日が新曲発表の日)
 アルピニストの野口健さん(当日は8000M級の高峰マナスル登頂中)とリアルタイムで大スクリーンに映し出されたTV電話を通してのコミュニケーションもあったり、ラストでは、小田和正さんが登場してのコラボもあったり・・
 ほんとうにステキなLIVEでした。






この2人のアーティスト

メロディラインは違いますが、曲から受けるイメージがどことなく似てるって感じました。

片や「パリの散歩道」、片や「哀愁のヨーロッパ」・・タイトルにも共通するところを感じます。

これぞ泣きのギターの真髄  魂がギターに乗り移ったようなプレイは感動ものです。