「慰安婦は追軍売春婦である」。アメリカ公文書館にある慰安婦尋問調書。 | 「ぶわっ」

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 フィリピンで天皇・皇后陛下の訪問にあわせて自称元慰安婦が日本の謝罪と賠償を求めてデモを行った。
 フィリピンでの自称元売春婦による慰安婦への謝罪と賠償を要求する行動は以前から行われている。フィリピンだけでなくシナ、台灣、マレーシア、インドネシア、インドネシア在住のオランダ人なども同様の要求を日本政府に対して行っている。
 これに対して日本政府は一貫して謝罪と賠償要求の根拠とされている「強制連行」はないと否定してきた。
 否定しているのだがなぜか今回、 南鮮朝鮮人の慰安婦を救済支援する財団へ日本政府が10億円拠出するという合意を行った。この合意を受けてアジアの対日慰安婦支援組織がざわつき始めている。
 朝鮮人の慰安婦問題を終息させるという南鮮と日本との合意だ。だが終息に向かうどころか南鮮ではなぜか合意への反発が強まっている。さらに朝鮮人以外のアジアの自称元慰安婦も日本へ謝罪と賠償を求める動きを活発化させているようだ。
 
  アジアの自称慰安婦はほんとうに強制強制連行された性奴隷で日本の戦争性犯罪によって人権蹂躙をされた女性なのだろうか。つまりアジア各国の対日慰安婦問題団体の正当性はあるのかという根本的な疑問が当然にしてある。その参考になりそうな資料が次に紹介するアメリカの公文書である。すでに各所で紹介され続けているのだが改めて見てみよう。

 ビルマで朝鮮人慰安婦二〇人と慰安所経営者の日本人夫婦2名の捕虜が捕獲され米軍が調査。そこにはこんなことが書かれている。日本の敵軍であったアメリカ軍による尋問であり慰安婦の実態を知る上での信ぴょう性のある第一次資料文書だ。

★慰安婦は、日本的基準から いっても白人的基準からいっても、美人ではない。 平均的な朝鮮人慰安婦は、25歳くらいで、無教育で幼稚で身勝手である。自己中心的で、自分のことばかり話す。
★見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管」を心得ている。
★1943年後半、日本軍は借金を返済した女性は帰国できるようにせよという命令書を発行した。これにより一部の女性は朝鮮への帰国を許された。慰安婦の健康状態は良く、各種の避妊用具を十分に支給されていた。兵士も支給された避妊具をもって来きた。慰安婦は衛生に関して十分な訓練を受けていた。軍医が慰安所を週1回訪れ、病気が見つかった場合は治療を受けた。
★ミッチーナでは、彼女らは通常2階建ての大きな建物(学校の校舎)に住んでおり、個室で生活し、仕事をした。食事は、日本軍が配給しておらず、「慰安所の楼主」が調達した食料を買っていた。ビルマでの慰安婦の暮らしぶりは、ほかの場所(慰安所)と比べれば贅沢ともいえるほどであった。彼女らは食料物資の配給は少なかったが、欲しいものを買えるだけの多くのお金を持っており、暮らし向きはよかった。彼女らは、故郷から慰問袋を受け取った兵士から沢山の贈り物をもらっており、贈り物でまかなえない物、服、靴、タバコ、化粧品を買うこともできた。将兵と共に、スポーツ行事を楽しんだ。また、ピクニック、娯楽、夕食会に出席した。蓄音機も持っており、都会では買い物に出かけることも許された。
★慰安婦の営業は日本軍によって規制された。利用度の高い地域では、軍の階級ごとに利用時間や料金の割り当て制が設置された。中部ビルマにおける平均的な料金体系では、兵士が午前10~午後5時までで1円50銭、利用時間は20~30分。下士官は午後5時~午後9時で3円、利用時間は30~40分。将校は午後9時~午前0時で料金は5円、利用時間は30~40分で、将校は20円で宿泊も認められていた。ミッチーナでは丸山大佐は料金を値切って相場の半分近くまで引き下げた。
★「慰安所の楼主」は、契約時の債務額に応じて慰安婦らの総収入の50~60%を受け取っていた。慰安婦は月平均で1500円の総収益を上げ、750円を経営者に返済した。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちの生活をとても難しいものにしていた。
★平均的な日本軍人は慰安所で並んでいるときは恥ずかしがっていた。
★日本の軍人からの求婚も多く、実際に結婚した者もいた。
★で過ごした。避難壕のなかで仕事を続けた慰安婦も1、2名いた。慰安所が爆撃されたため慰安婦数名が負傷して死亡した。
★料金時間は下兵30分、他に「慰安所における軍人軍属など使用者の守るべき注意事項」として、 「過度の飲酒者は遊興せざること」「従業員(慰安婦を含む)に対し粗暴の振る舞いをなさざること」「サック」を必ず使用し確実に洗浄を行い性病予防を完全ならしむること」[12]「違反者は慰安所の使用停止のみならず、会報に載せられ、その部隊の使用停止につながりうる」[13]という規定が存在していた。


◯上の文章はWikipediaより抜粋◯
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%8D%95%E8%99%9C%E5%B0%8B%E5%95%8F%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88_No.49
ビルマのミッチーナの慰安婦に関するアメリカ軍の報告書。
 (1944年10月1日)
日本人戦争捕虜尋問レポート No.49とは、1944年9月にアメリカ合衆国の諜報機関・合衆国戦争情報局(United States Office of War Information)の心理作戦班がインドアッサム州のレドで慰安婦に尋問を行い作成した旧日本軍慰安所・慰安婦に関する報告書である。日本による朝鮮人慰安婦の募集の方法や、生活状況、日本軍人との関係についての報告が述べられている。
米国立公文書館に所蔵され1973年に公開された[1]。原文のコピーは日本政府による1992年から93年までの調査結果として「アジア女性基金」で公開されている[2]。

◯上に紹介したWikipediaの原本ともいえる公文書の紹介。
「日本人戦争捕虜尋問レポート No.49」
公文書英文と翻訳
正確で詳しい内容となっている。
http://texas-daddy.com/comfortwomen.htm

この公文書による朝鮮人慰安婦の尋問調書には慰安婦とは何かという結論として次のように英文で書かれている。

 "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower"

◯英文の訳
「慰安婦」とは、売春婦、もしくは、「軍を追いかけている売春婦」、つまり「追軍売春婦」以外の何者でもない。


  この尋問調書では慰安婦の月給は経営者への支払い分を差し引いても実質750円であると書かれている。これはどれくらいの金額だったのか。日本の総理大臣が800円(東条英機)・陸軍大将 550円である。日本人は朝鮮人女性を「性奴隷」にした、と朝鮮人は罵っている。
   だがその性奴隷の月給は、陸軍大将よりも高給取りでほとんど日本の総理大臣なみの高級取りである。朝鮮人社会ではこういう女性を営利目的の売春婦と言わないで残虐な被害を受けた性奴隷というのであろうか。

 

  参考までに次のURLは自称元売春婦・慰安婦の李 容洙(イ・ヨンス)証言の検証です。
  今回の合意でも猛烈に反発して南鮮政府高官に罵詈雑言を浴びせておりました。
  慰安婦の証言はほとんどがデタラメ、誇張、恨日に満ちています。
  いかに慰安婦が虚構の存在であるかおわかりいただけるでしょう。
  
http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/iyonsu/iyonsu.html
「話すたびに証言がくるくる変わり、今では残酷ですざまじい拷問話まで飛び出す李 容洙(イ・ヨンス)の証言の嘘」

 


http://sikoken.blog.shinobi.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E8%A8%BC%E8%A8%80/%E6%9D%8E%E5%AE%B9%E6%B4%99%EF%BC%88%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%EF%BC%89
「従軍慰安婦問題を考える 」
最初はきれいな服と赤い靴などのモノにつられ感激して見知らぬ男について行ったと証言している。その後、日本軍の軍人に無理やり拉致され強制連行されたと変更している。また足を軍刀でスタズタに切り裂かれ気を失うがお姉さんたちが指を切った血で輸血してくれたとか電気ショックで拷問されたとか李 容洙(イ・ヨンス)証言はすさまじくエスカレートするばかり。