テレ東の通常放送を
震災の中、不謹慎だという人も
いるようですが
そうかな
わたしは思う
悲惨な現状を報道することは大切だけど
確かにテレ東は
「テレビ東京」というローカル局であるので
他局に比べて 報道を続けるお金がないのかもしれないけれど
でも報道を必要最低限に抑え
通常放送に切り替えることは
悪いこと?
事実、冷静な報道もしているので
何の問題もないと思う
被災地のひとたち
(通電、しているならば)テレ東の通常放送を見て
日常を思い出して
ちょっとだけホッとしないかな
不謹慎って何だろう
mixiの、わたしが入っている洋服のコミュニティで
地震の翌日、お買い物のトピックに書き込んだために
「不謹慎だからやめろ」などと
叩かれた人がいた
不謹慎っていうのは
被災した人に対する暴言であったり
そういうことではないのかな
わたしたちが日常を送ることが
不謹慎?
そうは思わない
テレビを見て思う
節電をうたいながらダイジェストに編集し、
ショッキングな映像を何度も繰り返すこと
泣きじゃくる被災者にマイクを向け
現場は悲惨な状況ですと伝えること
きっと泣いている人を見つけて
「ちょっとお話聞かせてくださーい」とマイクを向け
「ここ、使おう」と必要なカットとして編集されて
大切なひとたちを、ものを失った人に向けられたものは
わたしたちにはマイクに見えるけど
彼らにはきっと銃口
マスコミという伝達手段はそんなことに
使うべきではない気がしている
でも見たの
今朝 どこかの局が
電話が通じず孤立した被災地の人たちに、
一言ずつメッセージを話させていた
テロップで名前が
「〇〇さんから、東京の〇〇さんへ」とか出て
避難所の人が画面に向かって
こっちは元気だよと
笑顔で手を振る
それを何組も5分くらい
ずっと 放送していた
みんな
「連絡がとれる手段がなくてね、困っていた。テレビ、見てくれたらいいな」
と 安心したような 泣きそうな顔をしていた
向けられたのは銃口ばかりじゃない
やさしい手もある
わたしたち
一人一人に
できることは違う
わたしたちが「不謹慎」と叩き合ってる場合じゃない
取り戻したい日常
誰かが先陣切っていかなきゃいけない
みんながふさぎ込んでしまったら
この国は終わると思う
悲しみって
シンクロする必要はない感情
わたしたちが日常を送ることが大切
だって被災した人が
欲しいのは悲しみじゃなくて
日常なんだから
わたしたちはその日常をいとしく思えばいいんじゃないかな
だから普通の生活を送ることに
罪悪感を覚えなくても
いいんだよと 言いたい、たくさんのひとに
そして、忘れてはいけない
報道が沈静しても
被災したひとたちのこと
そのときだけの気持ちなら
やさしさではない
日常の中でも
いつもどこかに
感じていたいな
今日も一日仕事が出来て
おいしいごはんを食べられて
好きな人にドキドキしたり
おめかししてお出かけしたり
大切なひとたちが元気で
自分も元気で
そんな「普通」が
幸せだってこと
震災の中、不謹慎だという人も
いるようですが
そうかな
わたしは思う
悲惨な現状を報道することは大切だけど
確かにテレ東は
「テレビ東京」というローカル局であるので
他局に比べて 報道を続けるお金がないのかもしれないけれど
でも報道を必要最低限に抑え
通常放送に切り替えることは
悪いこと?
事実、冷静な報道もしているので
何の問題もないと思う
被災地のひとたち
(通電、しているならば)テレ東の通常放送を見て
日常を思い出して
ちょっとだけホッとしないかな
不謹慎って何だろう
mixiの、わたしが入っている洋服のコミュニティで
地震の翌日、お買い物のトピックに書き込んだために
「不謹慎だからやめろ」などと
叩かれた人がいた
不謹慎っていうのは
被災した人に対する暴言であったり
そういうことではないのかな
わたしたちが日常を送ることが
不謹慎?
そうは思わない
テレビを見て思う
節電をうたいながらダイジェストに編集し、
ショッキングな映像を何度も繰り返すこと
泣きじゃくる被災者にマイクを向け
現場は悲惨な状況ですと伝えること
きっと泣いている人を見つけて
「ちょっとお話聞かせてくださーい」とマイクを向け
「ここ、使おう」と必要なカットとして編集されて
大切なひとたちを、ものを失った人に向けられたものは
わたしたちにはマイクに見えるけど
彼らにはきっと銃口
マスコミという伝達手段はそんなことに
使うべきではない気がしている
でも見たの
今朝 どこかの局が
電話が通じず孤立した被災地の人たちに、
一言ずつメッセージを話させていた
テロップで名前が
「〇〇さんから、東京の〇〇さんへ」とか出て
避難所の人が画面に向かって
こっちは元気だよと
笑顔で手を振る
それを何組も5分くらい
ずっと 放送していた
みんな
「連絡がとれる手段がなくてね、困っていた。テレビ、見てくれたらいいな」
と 安心したような 泣きそうな顔をしていた
向けられたのは銃口ばかりじゃない
やさしい手もある
わたしたち
一人一人に
できることは違う
わたしたちが「不謹慎」と叩き合ってる場合じゃない
取り戻したい日常
誰かが先陣切っていかなきゃいけない
みんながふさぎ込んでしまったら
この国は終わると思う
悲しみって
シンクロする必要はない感情
わたしたちが日常を送ることが大切
だって被災した人が
欲しいのは悲しみじゃなくて
日常なんだから
わたしたちはその日常をいとしく思えばいいんじゃないかな
だから普通の生活を送ることに
罪悪感を覚えなくても
いいんだよと 言いたい、たくさんのひとに
そして、忘れてはいけない
報道が沈静しても
被災したひとたちのこと
そのときだけの気持ちなら
やさしさではない
日常の中でも
いつもどこかに
感じていたいな
今日も一日仕事が出来て
おいしいごはんを食べられて
好きな人にドキドキしたり
おめかししてお出かけしたり
大切なひとたちが元気で
自分も元気で
そんな「普通」が
幸せだってこと









