国際政治学におけるリアリスト派の弱点は(視野狭窄から脱却している方たちは別として、即ちケネス・ウォルツやジョージ・ケナン、現在ならエドワード・ルトワックは広い視野を持っていると思う)歴史分析の対象を主にウエストファリア条約以降の欧州に限定しておりそれ以降の歴史に特化してやたら雄弁な点にある。というのも、おそらく偶然ではないのだが、その時代はロシアが国力・領土とも伸張しユーラシアの最強国へと成長したピョートル一世の治世と重なり、さらに文明先進地域に成り上がった欧州において5・6カ国ほどの大国が割拠し勢力均衡する格好の舞台が整った、いわゆるバランス・オブ・パワー外交の本格的幕開けの時でもあった。
とすれば、かかるマルチポラーな国際関係による安定を理想とする勢力均衡派の欧米のインテリ、そしてプーチンやアレクサンドル・ドゥーギンのようなロシアの国粋主義者たちの頭にある、「ユーラシアを牛耳る大国ロシア」のイメージはこの時代以降確立された比較的新しいロシア像と考えられる。
さて、一方でウクライナ人の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏によればウクライナのナショナリズムの芽生えはロシア帝国の躍進以前、クリミア汗国以来とのことだ(私もこの点で同感であるがゆえにアンドリー氏を支持したい)。もっとも当地域の歴史を遡れば古代ギリシャの植民都市にまで至るだろうが、近代ナショナリズムの萌芽を考えるならば、つまりそうらしい。実はこの時代の切り取りの意味は大変重要で、欧米や日本の親ロシア派の論拠つまり「帝国」ロシアは中央アジアの盟主でありかつ世界的なバランス・オブ・パワーを担う強国の一なる国の前提を覆す証言となるからだ。
以上の事から、大国ロシアの一部であるところのウクライナ支配というロシアの主張は、ただの「新ユーラシア主義者プーチンの勝手な思い込み」に過ぎない説に俄然正当性が出てくる。
果たして陰謀論や米国黒幕説に取り込まれることなく、この正当性に対して藤井聡氏や川端祐一郎氏らクライテリオン執筆陣は反論できるだろうか。
