亡くなった人間や動物は天国に向かうと言われていますが、
天国に続く道の手前に虹の橋がかかっていて、
亡くなったペットたちは、
まずこの虹の橋のたもとに行くのだそうです。
この虹の橋のたもとには草原が広がっていて、
病気になった動物たちも元気になって走り回って遊びます。
そして、飼い主が人生を全うして天国に向かうとき、
ここで飼い主とペットが再会できるのだそうです。
虹の橋 第一部
※画像はお借りしました
天国のすぐそばに、虹の橋と呼ばれる場所があります。
愛する人と別れてきた動物たちは、
みんな虹の橋のもとへと集まってきます。
たくさんの食べ物、澄んだ水、暖かい光に包まれて、
みんな幸せに過ごしています。
病気になったり、老いたりしていた動物たちは
ここに来て健康と若さを取り戻します。
ここには何の苦しみもありません。
みんな健康な体で元気いっぱいに飛び回っています。
地上で過ごした幸せな日々のように。
幸せなみんなにもたった一つだけ、不満があります。
それは、いつも一緒にいた大切な誰かがいないこと。
そんなある日、その中の一匹が足を止めて遠くに目を向けました。
みるみる笑顔になり、目は輝き、体は小刻みに震え始めます。
突然、彼は緑の草原を飛ぶように走り始めました!
はやく、はやく!とうとう出会えた二人。
呼び合い、抱き合って再会を喜びます。
喜びのキスがあなたに降りそそぎ、
あなたは愛する家族を何度も抱きしめます。
小さな瞳は、1日たりとも忘れたことのない、
あなたの瞳をのぞき込みます。
そしてもう一度しっかりと抱きしめるのです。
もう二度と離れないとばかりに。
それからあなたたちは、虹の橋を渡って、天国へ行くのです。
しかし、動物たちの中には様子の違う動物もいました。
彼らは、誰にも愛されることのなかった動物です。
仲間たちが再び、それぞれの飼い主と再会し、
橋を渡っていくのを、羨ましそうに見ていました。
この動物たちには、
かつての飼い主という人は誰もいませんでした。
生きている間、そんな人は一人として現れなかったのです。
しかしある日、彼らが遊んでいると、橋へと続く道の傍らに、
誰かが立っていることに気がつきました。
その人は、動物と同じようにそこに繰り広げられる再会を、
羨ましそうに見つめているのです。
生きている間、彼は動物と暮したことがありませんでした。
彼も動物と同じように、誰にも愛されてなかったのです。
ぽつんとたたずむ彼に、
愛されたことのない動物が近づいていきます。
なぜ彼は一人なんだろうと、不思議に思うのでした。
動物と人、愛されたことのない者同士が近づいてゆくと、
そこに奇跡が起きました。
彼らは一緒になるべくして生まれたのです。
地上では巡りあうことができなかった、特別な誰かと、
その愛する友として。
今、この虹の橋のたもとで、ようやくふたつの魂は出会い、
悲しみや苦痛をこえて、友は一緒になるのです。
そして彼らは共に「虹の橋」を渡って行きました。
虹の橋 第三部 「雨降り地区」
※画像はお借りしました
幸せと愛の奇跡に満ちている、虹の橋の入り口には
「雨降り地区」と呼ばれる場所があります。
そこではいつもシトシトと冷たい雨が降り、
動物達は寒さに震え、悲しみに打ちひしがれています。
そう、ここに降る雨は、残して来てしまった誰かさん、
特別な誰かさんの流す涙なのです。
大抵の子は半年もしないうちに、
暖かい日差しの中に駆け出して、仲間と戯れ、遊び、
楽しく暮らす事ができます。
ほんの少しの寂しさと、物足りなさを感じながらも…。
でも、1年経っても2年経っても、
ずっと「雨降り地区」から、出て行かない子達もいるのです。
地上に残して来てしまった、
特別な誰かさんがずっと悲しんでいるので、
とてもじゃないけれど、みんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。地上に残して来た誰かさんと同じ辛い想いをして、
同じ悲しみに凍えているのです。
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、
愛し合った記憶は、あなたの心から、
永遠に消え去る事はないのです。
地上にいる特別な誰かさん達の、幸せと愛に満ちた想い出こそが、
「虹の橋」を創りあげているのです。
ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。
彼らはあなたを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。
そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。
命の儚さと愛しさを。束の間の温もりに感じる、
慈悲の心の尊さを。
その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。
癒える事のない悲しみだけを、残しに来るのではありません。
思い出してください。
動物達が残して行ってくれた、形にも、言葉にもできない、
様々な宝物を。
それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。
「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。
信じる心のその中に、必ずその場所はあるのですから。