She is laughing!

突発的に考えたあくまで一個人の考えですゆえ重く受け止めずに見ていただけたらなあと思います
Amebaでブログを始めよう!

日本人が本来パンが

メロンによってま緑色にならないことを知っているからです。


所詮着色料を使ってメロン色にしても

食べる人は果たしているのだろうか


いないね?いても、ひざ小僧に絆創膏をはったヤンチャボーイだろうね?



だがしかし

なんでメロンソーダはあんなにもメロンの味がしないのに

大人から子供までまるで当たり前のように飲んでいるんだ!


真緑だぞ!メロンの味はしないんだぞ!なんで!


メロンソーダという名前すら詐欺的な要素を含むんじゃないかと

思わんばかりの味だぞ!でもなんでか飲みたくなりますよね


今こうしてブログを書いている私もメロンソーダ

いいえ。ここでは”緑色のなにか炭酸のそういう飲み物”と呼ぼう。





が飲みたくなってきた


子供のころからの刷り込みというやつだろうか、小さいころに興味を持って好きになれば

大人になってもそれは当たり前のものとして存在し、誰も否定しようとしない。

飲みなさいなんて誰に言われたわけでもないのに、今もこうして飲みたいと思う人がいる。


これが人間の学習能力。覚えられないなんてことはない。


要するに好きになればいくらでも吸収できるのだから!

それに関する記憶に限界なんてものはない!(と思いたい)



まだまだ知識や教養を,身に付けられる。


がんばれ若い世代よ!


テスト週間をおえたそこの君も!


そして受験を控えた私自身よ!


ああ!受験勉強!






全面否定されたくないから

全面否定しなくなりました。


そういうのがすきでもいいんじゃない?


言うようになりました、なれました。やったね


いやあ違うんです違うんですよ!!!!!!!

別に悪いって言いたいんじゃないんです

いいことだと思うんですよ


でもなんだかつまらないなあ、と思っただけで


お互いの趣味として話が被れば、その話で盛り上がり、

そうでなければ、

「うん、いいんじゃない?」


うん、いいんじゃない??????????????????


いやいやいや、実につまらん!!!!!!!つまならないよ!!!!!!


何か感想はないのかね、

思ったことをもっと言ってもいいんじゃないかね

もっと考えなかったかね


とかさあ。


会話として

お互いに干渉しなくなったというか

浅はかになったというか

何か昔の「あの友達と話す。」というのと違う気がする。


だからこう、なんとなく、たのしくない。


でも、実際にいろんな人と話せるのかなんて聞かれれば

大体の人が苦手だと答える。そりゃあそうだよな。


だって何考えてるかわからん集団に話しかけにいって

「なあにあの子。うけるw」


なんていわれたら死ぬもん

便所飯だもん。


だから皆自称チキン。


でもでもさあ、それって要するにみんな待ってるってことだよな。

話かけてほしいってことだよな。


学校であったり社会であったりするものは

あくまで趣味と違う人間が集まる場所なんだから

もっともっと他人の話をたくさん聞いて

たくさんいろんな世界を知るべきなんじゃないのか


そうやって自分の思考は

深くなっていくのではないのかと

思う。







はみ出た子供も大人も社会の溝に詰められて


平らに舗装された道を歩いてる


たくさんの個人の墓場


ルールに敷き詰められた慰めの媒



わたしが思うに、

孤立つするとか、

集団で個人を発揮できないだとか

いじめだとか。

なんで存在するんでしょうね。



たとえ政府がそう思っていなくても

学校には集団としてクラスが存在するし、なかよしグループだってあります

うまくいけばいいけれど、時には分裂したり、

個人を攻撃していじめという名に守られた暴力行為を行うことが黙認されていることがあります。

でも、社会に入ったらもっともっと集団で、

会社であったりそれこそ、今のように世襲化した政治集団であったり。

どうして人はこんなにむれるんでしょうか。


そういう集団というものについてひとつの定義を持ってどんな質問にも答えたり、一緒に考えて、結論を出すことが、私の中でのひとつの夢です。


相手を気にした生活だとか評価だとか、世の中には多くの疑問があります。


真面目に真剣に考えてみると難しくって、でも普段からあまりにも近しく存在するものだから、はずかしくて聞けないし。


”ああそうかとなるような答え”ってどれくらい持っていますか


最近は考えることが減りました。考えようとしなくなりました。

めんどくさいやって思う人も増えました


でもですね、あえてここでわたしは真摯に悩んでみようと思います。

今答えがでなくても 、また10年経ったら同じことを考えてみようと思うんです。


いろんな知識を取り入れてたくさんのことについて考えて、考えて苦しみぬいて死ぬのって素敵だと思いませんか。

好きよとっても好きよ
他の人になんて言われたって
素敵で素敵でしょうがないの


紙の匂いしかしない
この部屋で
あなたが言った昔の言葉を
したことをたどる

もっと知ってもいいですか
もっと伝えてもいいですか

あなたの過ごした人生は
今もなお語り継がれ
私の元まで届きましたよ








今日の大塚はいつものおおつかではないのです


「日々の無駄な時間に」とささやく悪魔のようなペンタブレットや

扱いが乱雑なのか掻き毟ったように開いた教科書の叫びと

狂ったように格闘していまして


1年間をこの教えのたくさん詰まった書物どもと共にすごして

夢のような毎日が待っているのかといわれれば

そんなの分からないし知るはずもないし

知っていたら今頃ロープでも買ってきているでしょうね


とにもかくにも

とりあえずこの自身の実力の数値化をしてくれやがりますこのイベントに

向けて必死こいているわけです。


明日もいい天気だといい

私にだっていやなことはあるよ


勉強も進路も生活も家族も


考えたくないときだってあるよ


あるけども

あるけども


大きくそれで人生を変えるほどの

堕落に入る自信も無ければ

怒られたり

見捨てられたりすることに

慣れているわけでもなく。


ただの鳥野郎なのに、

塵みたいに精神があまりにも脆弱すぎて、

こわくてサボることも

あまりできない


いつも風邪を引いて熱を出して

誰かに看病されてそのまま休んでしまいたい


変化を嫌うくせに毎日に飽きる

最低な底辺だと思ってる


それでも時に

命について感情について社会について

考えたくなったときは


この場を通して書いています。

そういう風に使っています。

他人ずらをするのは
小さい子供にだって
できることだが、


親切にしたり、
何かを助けたりすることは、
大人であっても
難しいことだったりする



意識下で繰り広げられる
無駄な葛藤で、
なにもしないほど
強い敵はいない。

それでも時に
あなたが動いたとき、


社会は少しずつ良い方に
向かったことは確かである

波及される日々の良いことを
学んで毎日を生きてくのが、
私の密やかな楽しみ



考えるときはたいていたんたんとした作業をする時



さっきまで目の前にあった今に戻れたらいい


無くなってからしか気づけないものがある


どれだけ訴えても持論展開したところで


変わることは無い


すこし考えるだろうが


明日には自身の歯車の生活に

戻っていってしまう


新しく吸収して生活を変えるほどの発言を

できるのだろうか

したところで

その人に良い影響を与えるのか


少なくともそれに

他人を思って言った発言と

受け止めることができるのなら

右のあなたはずいぶんと手先が器用でなんでもそつなくこなしていますね。




左のあなたはすこしばかり不器用で飽き性なんでしょうね





右のあなたはすこしガサガサと悩む頃合ですね



左のあなたはずっと怪我が絶えませんね




右のあなたがが凶器を持てば



左のあなたはうまくいくようにと一生懸命サポートをして




右のあなたが誰かと温かくなれば



左はそそくさとポケットの中に




そして少しばかりへそを曲げて




右のあなたを本当に愛しているのは私なんだからねと












それでも左のあなたは右のあなたが荒れているのを


ずっと静かに手当てするんです。












そういう左手と右手の話。乾燥する季節になりましたね。