先輩とキミの大学院生日記 -5ページ目

先輩とキミの大学院生日記

生物系大学院生の交換ブログ

 せっかくなので一か月くらい前に書いた短い小説を載せてみようと思う。

 

 

 銀河が遥か彼方に輝いているという事実が幼かった僕を驚嘆させたのを今でも覚えている。銀河を構成する数々の星たちは光を放ち、それが集まり銀河となる。僕が驚嘆したのはその大きさと遠さ。つまり宇宙の限りない大きさにだった。幼さはいつかコミュニティー集団の中ですり減らされていき、妥協とあきらめからくる大人を生み出す。僕も中学、高校と生きてきたが、やはり大学生の頃からかどうも周囲とのぎこちなさのようなものを感じていた。そしてその頃には宇宙や生命の神秘など忘れていたのだった。僕の頭の中にはいかにして自分の地位を向上させるかや可愛い女の子と一夜を共にしようなどの願望がしめていた。

 そんな無邪気な願望すらも社会人になると失われていった。毎日の単調な仕事、終わることのない仕事、そして自分の才能の限界から、自分はこの場所で生涯を終えるという自覚を抱いた。それなりの地位でそれなりに親しくなった恋人ができた。悪くない生活だった。僕は恋人に自分の不満を打ち明けた。漠然としたものだった。

「日々の生活のどこかにきっと穏やかな優しさや美しさのようなものが含まれているの。その時あなたは小さな幸せを感じることができるわ」

 彼女は僕にそう言って優しく微笑みかけたが、なんとなくそう言う彼女の横顔が好きになれなかった。でも僕のポケットには彼女へ送る結婚指輪がいつも入っていた。タイミングを見計らって彼女に渡そうと思っていたのだ。

「今度どこかへ旅行に行こうよ。せっかくのゴールデンウィークだし、お互い休みが取れる日は少ないし」

 僕はそう言って彼女の方を見た。彼女と僕は今勤めている会社で知り合った。彼女は僕と同期で研修の頃に知り合った。年は僕より二歳下だった。僕は大学院を出た後、今の会社に就職したのだった。だから同期の中では年が上のほうだった。

「どこに行く? 私、軽井沢とか行ってみたいなと思ってたんだけど」

「悪くないね。ホテル予約しておくよ。二泊くらいでいいかな?」

「そうしましょ。なんか今から楽しみになってきちゃった」

 彼女は笑顔で僕にそう言った。僕はやっぱり彼女と結婚することになるのかなと頭の中でまだあれこれ考えていた。

 

 軽井沢に着くと、僕達は緑色の木々に覆われたところにあるホテルに泊まった。ホテルは小高い丘に建っていて、周りはすごく落ち着いていて誰もいないテニスコートやハイキングのコースなどがあった。ホテルで荷物をおろし、僕達は午後の軽井沢の林の中を歩いた。結構長いハイキングコースで東京から来た僕達にとっては目新しい光景だった。午後の日差しや、川の流れる音や気持ちのいい大気が僕にこの前彼女の言っていたことを思い起こさせた。日々の生活の中の幸せ。僕はそれがなんだかわからないような気がしていたけれど、もしかしたらこうしている今なのかもしれないなと思った。彼女は僕の隣を歩き、時折、水筒を出して二人で紅茶を飲んだ。

「気持ちのいいところね。見て! あそこに小鳥がいる。なんていう鳥なのかなぁ?」

 彼女の指差す先には白い小鳥が木の枝に止まっていた。甲高い鳴き声で二羽が仲良く鳴いていた。

 

 夜になると辺りが暗くなっていった。僕は彼女とずいぶんと長い間林の中を歩いていた。僕はその間に結婚指輪を今回の旅行のいつ渡そうか考えていたのだ。帰り道ふと空を見上げると空に星が散りばめられていた。ありきたりな光景なはずなのにそれが僕の幼少期の記憶を思い起こさせる。ふと辺りを見渡すと川が、暗黒の水がとめどなく大きな音を立てて流れている。長い間、忘れていたことを思い出す。僕達は果てしなく大きな世界にいるのだと。そしてその大きさは到底人間がはかり知ることはできないのだ。僕は彼女が少し先へ歩いていくのを見ていた。僕は一瞬立ち止まり、結婚指輪の入ったケースを大きな川の中に投げ入れた。水の流れと辺りの暗さで彼女はそんなことには気付かなかった。

「どうしたの?」

 後ろを振り向いた彼女は無邪気な子供のように僕に聴いた。

「なんでもないよ」

 僕はそう言って彼女の後についていった。