先輩とキミの大学院生日記 -11ページ目

先輩とキミの大学院生日記

生物系大学院生の交換ブログ

先週の土曜日から5日間、北海道を訪問した。

北海道では海外旅行に相当するカルチャーショックと刺激を受け、

常に感情が高ぶっていた。

まさに、百聞は一見にしかず。

これだけの情報社会の中でも、実際に何かを目にしたり、経験すると

今までわからなかったことがようやくわかったりするものである。

 

「北海道」と聞いて私が連想するのは

雪、海鮮、牧場、スイーツ、クラーク博士、北海道大学などである。

私も雪以外はだいたい経験することができたが、

行ってみて感じたのはそこが「開拓地」特有の浪漫があることである。

それはこの春に訪れたカリフォルニアのそれと似ている。

 

北海道には北広島、白石(宮城県白井市に由来)、

新十津川(奈良県十津川に由来)など、

本土から移住した人々によってつけられた地名がある。

アメリカも東海岸側ではNew York、New Jerseyなど

ヨーロッパの地名が改めて(New)付けられている。

ヨーロッパ人はアメリカの東海岸からさらに西へ西へと移動し、

最終的にカリフォルニアの地を開拓したのである。

さらに、開拓が始まってすぐに日本を含む諸外国からも移民が流れ込み、

かなり初期の段階から外国人も市民権を持っており、

開拓者の苦労と諸民族の協力の歴史を持つのがカリフォルニアである。

私は北海道にも同様の移民の歴史とそこにある誇りを感じたのである。

 

 

がっかりスポットとの異名をも持つ時計台

確かに建て込んだ街の中にいきなり現れる期待よりはるかに小柄な時計付きの建物だ。

北海道を代表する建築物にしては小さすぎるかもしれない。

 

しかし、大切なのはこの時計台が一体どうしてたれられたのか、だ。

 

時計台はもともと札幌農学校の演武場であった。

つまり、音楽会などを開く場所だった。

今よりずっと建物も低く、数も少なかった時代に建てられ、

若者の集う場所だったと思うと感慨深い。

 

札幌農学校の初期にアメリカ・カナダ・イギリスから

日本に訪れた11人の教師たちは

それぞれ基礎英語、数学、物理、化学、農学、土木などを指導し、

複数の教科を担当した者もいたという。

「少年よ、大志を抱け」で有名なクラークもその1人である。

現在の科学技術や知識と比較すると当時のそれらがどれほどのものであったのかは

知り難いが、アジアの極東、今よりはるかに人も物も少なかったはずの北海道に

エリートの彼らがよく集まったものだと思う。

私が今、たった10人程度の友人とアジアの僻地に行って大学を建てられるだろうか。

青年海外協力隊ではない。

だれもサポートしてくれない。

言葉も通じない。

もちろん携帯もパソコンもない。

 

しかし、日本人も努力した。

すべて英語で行われる授業を受け、とったノートを家で清書するなど、

毎日、最低4時間の自習が義務付けられたという。

 

 

新渡戸稲造なども門下生の1人であり、後に国連事務次長を務めたほどの

語学力を培った。

 

教えてくれる先生も言葉の通じない学生と戦い、

学ぶ学生も必死にすがりついたのだ。

 

Boys, be ambitious. (少年よ、大志を抱け)

 

大志を抱いていたのはクラーク自身だったのだ。

極東の日本人にも学ぶことで広がる新しい世界を見せたいと冒険したのである。

 

そう思うと、手垢のついたこの言葉がむしろ、いぶし銀の輝きを放つように思える。

 

 

風土も言葉も違い、食事も文化も違う人々の中で

クラークらの直面した苦労と挑戦は私の想像をはるかに超えるものだったであろう。

 

私の人生の挑戦はまだまだ始まったばかりであるが、

後世の若者を応援できるような、大冒険を私自身もしていきたいと思いを新たにした。