公務員になるまで。 -2ページ目

有給を残し、最終日まで残業して退職

退職願を出すと、上司は一瞬、言葉に詰まったようだったが、すぐに平然とした顔でそれを受取り、

「とりあえず、預かる」

と言った。

わたしはと言えば、ひどくさっぱりした気分だった。

辞めたい辞めたいと思いながらふんぎりがつかず、ズルズルと働き続けている状態にストレスを感じていたからだ。

辞める、と決めると同時に、わたしは、在職中に貯めたお金で、今度は公務員試験の予備校の昼のコースへ通うことを決めた。


ノースキルの女が一生働いていける勤務環境は、民間企業では望めない。


一年間勤務して得た、それがわたしの実感だった。

半年いればベテラン」と言われるほど人のいつかない職場だったので、一年もったわたしは当然、「いなくなったら困る」と周囲からさんざん引き止められた。

くだんの上司すら、先輩を通じてわたしを引き止めようとした。


「辞める決心がついたんだったら、辞めた方がいいよ。わたしも、冬のボーナスもらったら辞めようと思ってる」


唯一他部署にいた友人だけは、そう言って応援してくれた。

退職までに残された期間は、約一ヶ月。

有給は残っていたが、消化しようと思うと〆日を越えて給与の計算がややこしくなるからやめろ、と上司から言われ、わたしはわたしで、一刻も早くこの会社と縁を切りたかったので、それに同意した。

残った一ヶ月を、わたしは淡々と過ごした。

もともと辞めようと考えていたため、引継ぎ書類はすでに作ってあったのだ。

退職の三日前に出張に行ったりしながら、ついに退職の日を迎えた。


ああ、もう二度とここに来なくていいんだ、と思いながら、わたしはすがすがしい気持ちで職場を後にした。

退職へ。

辞めよう、と思いはしたものの、いつ辞めるか、辞めたあとどうするか、考えるべきことは山ほどあった。

民間企業に再度就職するなら、無職の期間はない方がいい
それに、どうせなら冬のボーナスをもらってからの方がいい。

考えるうちに8月になり、夏休みの高校生を対象とした体験入学のラッシュがはじまった。

イベントの準備や運営に追われていたとき、わたしを退職に踏み切らせる出来事があった。

忙しい上司は、机に書類が山積みになるのを嫌い、書類ケースをひとつ室内に置いた。

「決裁が必要な書類はここに入れておくように」

火急の用件以外はすべてそのケースへ書類を入れることになった。

8月に入ってすぐ、わたしはそのケースに、約10万円の予算要求書を入れた。
体験入学に参加した高校生へ送る、メッセージカードの送料だ。

夏休みに入る前に要求しておいた予算を使い切る前にと、余裕をもって書類を出した。

ところが、通常ならば三日ほどでまわってくる現金が十日経っても来ず、手元にあった送料も底をついたが、それでも経理からの連絡はない。

額が大きいからだろうか、と経理に問い合わせると、「そんな要求は来ていない」と言う。

おかしい、と思ったわたしが、書類提出用のケースを見ると、はたして、そこには手をつけられていない予算要求書が。

夏休みのイベント時は、多忙を極める。
朝の八時から夜の九時十時まで働くのはあたりまえ。夕方に昼食が取れたら御の字、という世界だ。

確かに、中間での確認を怠ったわたしにも落ち度はあった。
だが、余裕を持って提出した書類を確認しなかった上司に、まったく非がなかった、と言えるだろうか?

あれから3年たった今でも、わたしは、あの件については納得できていない。
確かにわたしが悪かった。でも、わたしだけが悪かったのか?と。

引っかかった最大の理由が、上司の発言だ。

「10万くらいの金、自分でたてかえておけ!」

…7月に亡くなった同僚は、亡くなった時点で、20万円、会社の金を立て替えていた

やっていられない、と思った。

「明日までに、どう責任を取るか考えろ」と言われ、わたしはその日のうちに退職願を書いた

25歳、同僚の死

タナカくんは、10月採用のわたしの、5ヶ月先輩だった。


入社当初の教育は、当然彼が担当してくれた。
営業から転職してきた彼は明るくて人懐こく、高校生からも学生からも人気があった。

わたしはあんまり賑々しい人は得意ではないので、彼と個人的に親しくすることはなかったのだが、同い年、ということで、気安く話せる相手ではあった。

もともとわたしと同じ広報に所属していた彼が、教務に異動したのが2002年4月。


「全然休めないよ~。海外研修から帰った次の日も出勤しろって言われるし、もー死にそう」


たまたま帰りの電車が一緒になったとき、笑いながら彼がそう言っていたのが、6月の終わり。

7月の半ばに亡くなった彼との、それが最後の会話だった。



「タナカの母です。息子は今朝死にましたので、もう会社へは行けません」



わたしとサトウさんが、まっさきに、留守電に入ったそのメッセージを聞いた。

留守電に記録されていた時刻は、朝の六時。
部屋で眠っているタナカくんの様子がおかしいと気づいたご家族が部屋に入り、救急車を呼んで死亡が確認されたのが朝の五時ごろだったと聞いている。

一報を受けたときの、課長の言葉が忘れられない。



「労災の申請なんてされたら、うちの評判が落ちるわね」



辞めよう、と思った。

専門学校での仕事・その3

退職直前にわたしが担当していた業務を列挙してみる。

*受付
*広報(地方巡業含む)
*図書室のアルバイト管理
*事務局長秘書
*受験者管理(データベース登録、電話相談等含む)
*職員採用に関するあれこれ

こう書くと少ないが、サトウさんの担当が「受付」だけで、それでも毎晩2時間ほど必ず残業していたことを考えると、けっこうな仕事量だったことがなんとなくおわかりいただけると思う。

さて、働き始めて半年。

勢い良く周囲の人々がやめていく中、わたしは、「一年働いたら辞めよう」ということを、ぼんやりと考えるようになっていた。
とてもじゃないが、長く勤められる職場じゃないというのがわかってきたからだ。

ただ、迷いがあった。
給料がとってもよく、人間関係にも不満がなかったのだ。

当時、わたしの手取りは24万ほど。
毎月3万円の天引貯金をして、それでもこれだけの手取りがあった。

やめたとしても、今と同じだけの給料がもらえる職場はないだろう。
おまけにボーナスは、年4月。40数万円が年に2回支給される。

年次休暇は取れないけれど、業務がヒマなGWには10日間の連休がもらえる。
年末年始・夏期休暇もある。

残業時間は平均40時間
忙しいときは80時間を越えるときもあったけれど、ずっとそれが続くわけでもない。

希望の図書室の司書という業務にはつかせてもらえないけれど、広報という仕事に、やりがいを感じはじめてもいた。

そんなこんなで、コソコソと他企業に履歴書を送り始めてしばらくたったある日。
わたしが退職を決意するきっかけとなった、ある事件が起きた。




同僚が、過労死したのだ。

専門学校での仕事・その2

地獄のようだった10月が終わると、仕事はスーッとヒマになった。

うまくすれば定時で上がれるし、昼休みだって一時間ちゃんともらえる。
休みは月8日で、だいたい3日か4日行って1日休み、というペースにも、体が慣れてきた。

このあたりが一番平和だったかなあ。

で、11月中頃、受付に、当時25歳だったわたしよりも3歳上の、サトウさんという女性が入ってきた。

「じゃ、ナリちゃん、サトウさんの教育は任せたから!」

えええええええ!?
入って一ヶ月の新人(当時はまだ試用期間で、契約社員という扱いだった)に、新人教育させるの!?

衝撃だったが、断ることなどできない。
仕方なく、年上のサトウさんに、わたしが教育をするハメになった。

その職場で一番に求められたのは、「カンのよさ」それから「のみこみの速さ」だ。

受付に座っていると、いろんな人が来る。
そういう人たちにどう対応するのか。

学生時代から接客関係のバイト(ウェイトレスから塾の講師まで)ばかりしていたわたしは、幸いその二点をクリアすることができた。

が、不幸なことに、サトウさんは、そのふたつに、あんまり恵まれていなかった。

良い・悪いではない。単に向き・不向きの問題だ。

彼女は、わたしが非常に苦手な「じっくり取り組んで、確実な結果を出す」とか、「地道にデータを積み上げる」ということに非常にたけた人だった。
ペースは遅いが、正確で確実な作業のできる人だったのだ。

だが、あの職場ではそういった能力は重視されなかった。

「仕事ができない人」というレッテルを貼られ、仕事を任せてもらえず、彼女は相当肩身の狭い思いをしていた。(実際、チョットそれは…というビックリな行動をする人でもあったんだけど。)

で。
その分のしわ寄せが、どこに来るか?

当然、わたしに来たわけです。

専門学校での仕事・その1

面接のとき、

「あら、司書の資格を持ってらっしゃるんですね。いまちょうど、図書館の管理を任せる人も探していたんです」

と言われていたのだが、実際は「まずは受付嬢スタート」だった。

受付嬢→広報
受付嬢→教務課へ行き、担任を持つ

というのが、その学校における出世(?)ルートなのである。

わたしは、いずれは受付→図書室管理、というのを希望していたのだが、結局これはかなわず、これもまた、退職を決意する理由のひとつになった。

さて、就職初日は10月1日。専門学校における運命の日だ。
願書受付開始日なんである。

「なるべく早く来て欲しい」というのは、「地獄のように忙しくなる前に来て、ちょっとでも仕事を覚えてくれ」という意味だったのだ。(事前に3日ほど、夜出かけて言ってある程度の業務説明を受けたりもした)

朝は8時前に出勤し、それまでに届いていた願書の開封作業と、学校まで願書を持ってくる高校生の受付。

こう書くとカンタンに見えるが、実際には、見知らぬ人たちの間ではじめての作業、しかもお金を扱う仕事をするということで、ものすごく緊張した。

しかも、隣に先輩が座ってくれたとは言え、初日から受付カウンターに座らされたのだ。

人手不足ここに極まれり

初日は定時を2時間ほど回った時点で帰らせてもらえたが、翌日から一週間は、毎晩9時をまわるまで残業だった。

出勤が8時だったから、毎日13時間職場にいたわけだ。
もちろん、昼休みは1時間、なんてのんきな約束は守ってもらえない。
大慌てでご飯をかきこみ、食事時間コミで20分休めたらいい方だった。

働き始めて3日で、早くも「辞めたい」と思うようになった。

卒2の就職活動

半官半民みたいな企業とか、公団とか、そのへんが狙い目かなーと思って活動をしていたけど、そういうところは倍率も高いし、当然新卒や高スキルの転職者が殺到する。

卒2、卒3ノースキルはおよびでないわよ、と落とされまくった。

就職情報入手先は、おもに新聞。
ハローワークに行くのも面倒、就職情報誌は数度買ったけどバイト情報が中心だったので買うのをやめていた。

新聞の求人情報っていうのは、基本的に、けっこうイイ条件のところが多い。ような気がする。

少なくともデカい広告を打つところは、金は持ってるわけだし。(そのカネを社員に対して使ってるかはまた別問題だけど)

で、わたしがある日見つけたのは、とある学校法人の、事務職の募集記事だった。

*年間休暇100日以上
*8:20~17:20(12:00~13:00昼休み)
*健康保険、年金、雇用保険完備
*残業手当あり
*年末年始、年次休暇あり

こんなモンだったかな?
うろ覚えだけど、民間企業の中じゃわりと好条件な方だった。

北は北海道から南は九州まで、全国規模で展開している学校法人だから、絶対に安定している!
パスポートセンターを休んで早速説明会に参加し、その場で筆記試験も受け無事合格。

その後、集団面接、課長面接、事務局長面接、常務理事面接と合計4回の面接を受けて、合格。

7月上旬に説明会に参加し、採用が決まったのは8月終わりごろ。

すぐにでも来て欲しい」と言われたのだが、パスポートセンターの方も人手が足りない時期だったため、10月1日から勤務ということで合意した。

余談。採用決定直後くらいに、インターネットで採用された企業の名前を検索してみた。

「××は職員を使い捨てにするからなー」

という、2ちゃんねるの記事がひっかかった。

今にして思えば…という感じだが、大手企業に採用が決まった喜びの方が大きく、そんな記事のことはすぐに忘れてしまった。

さらに後日、専用のスレッドが立ち、まとめサイトまであるというオソロシイ状況を知るんだけど、後の祭りだった。

役所バイトの落とし穴

公務員試験に失敗した2000年夏から職探しを始めたものの、卒1ノースキル(司書は持ってたけど、これがまー、何の役にも立たなかった!)の女を取ってくれる企業なんて、ない

食いっぱぐれないだけマシだな、と思いながらパスポートセンターで働いていた2001年4月、思いがけない話が転がり込んできた。

「ナリタさん、お仕事決まらないなら、嘱託にならない?」

もちろん、とびついた。
嘱託職員になると、ただの非常勤とは扱いが全然違うのだ。

*給料が増える
健康保険、年金に入れる
雇用保険に入れる
有給休暇がもらえる

ちなみに手取り12万チョイ

仕事は、「旅券発給申請の受付及び書類審査」にチェンジ。
そこらの民間企業との正社員の条件くらべても遜色ない…って言うか、たぶんそれよりいいくらいだ。

昇給とボーナスはないけど、不況ド真ん中の当時、ボーナスがきちんと出てる企業の方がめずらしいくらいだったから。

ただし、「嘱託職員の契約年数の上限は、5年」という決まりがあった。

更新は1年ごとで、最長5年。
5年もここにはいられない。

役所のバイトが職歴として認められないことは、今までに受けてきた面接でいやというほど思い知らされた。

居心地のよさに甘えて長くいればいるほど、就職しづらくなるというのが、役所バイトの落とし穴だったのだ。

ヤバイ、と思い始めて3ヶ月目の2001年夏。

とある企業から、ようやく、わたしは採用通知を受取った。

公務員試験の予備校(夜間コース)

6月から翌年6月までの12ヶ月コース、費用は約30万円

地方上級・大卒程度市役所・国家2種」への合格が目標。
ちなみに某アカデミー。

費用は親からの借金。
月々ちょっとずつ返していくという条件で立て替えてもらった。

6月からで、翌年受験が目標のコースなので、顔ぶれは大半が大学生。
卒1覚悟の4年生が大半で、あとは3年生。
社会人は、わたしが通っていたコースには他にいなかったと思う。

後から聞いた話だが、夜間コースっていうのはやっぱり、よほど真面目にやれる、かつアタマのいい人でないと、国2や地方上級合格は難しいらしい。まあまあ頑張って、市役所

昼間仕事や学校行ってて…となると、勉強できる時間も限られてくるから、そんなもんなんだろうな。

平日の夜間からスタートし、夏頃から土日の昼間にも講義が入り始める。
内容は、憲・民・行・経が中心。

実際の試験では一般教養がモノを言うのだけれど、時間の関係であまりやれない、というのが実情。

夏休みに入ると大学生が入り、秋になると「今年受験に失敗した人々」が入って来、冬にまた大学生が来て、春に「前年度から引き続き受験」の人が…という感じで、ふしめごとに倍々で人数が増えていった。

最初のうちは頑張ったのだけれど、年が明けて春が来る頃にはもうすっかり息切れして、やる気もなくなっていた。

春先になると講義はほとんどなくなり、自分で復習と演習をするしかなくなってくる。
思うに、ここが合格・不合格の別れ道だったんだろうな。

2000年にわたしが受験したのは、

*県上級
*県警
*国1、2
*市役所

この五つ。

県警の1次にはパスしたものの、2次で不合格。
市役所は100人強のうち10番目で、1次不合格。

「あ~、もういい、民間に就職しよう…」

というわけで、公務員試験に失敗した2000年夏から、また職探しがはじまった。

県の非常勤職員って

のんきなお役所仕事だわ、と思っていたが、甘かった。

仕事場は、県の旅券事務所。
パスポートセンターだ。

お役所仕事がなぜのんきだと言われるかっていうと、ひとえに「接客せずにすむ」からだ。

役所の書庫の整理だの、郵便物の配布だの。中の職員とだけやりとりすればいいから、とってものんびりしている、らしい。(実際窓口業務じゃない非常勤職員から聞いた話)

さて、パスポートセンターでの仕事は、「旅券の交付」だった。
できあがったパスポートを、取りに来た人に渡すという、モロ接客業務。

単純な作業なのだが、モノがモノなだけに受け渡しには細かな決まり事がたくさんあって、ひとつでもそれが守られていないと渡すことができない。

大抵の場合はすんなりいくのだが、中には必要書類を忘れてきて「なんで受取れないんだ!」なんて暴れる人もいた。おかげでクレーム対応は身についたんだけど。

休日はカレンダーどおりだけれど、逆に言うと、暦の上での休日以外は休みが取れない。
たとえば盆・年末年始・ゴールデンウィーク・夏期休暇のシーズンは、「平日が休みの今しかパスポートはとれない!」っていう人が押し寄せるから、絶対に休めない。おまけに忙しい。

とは言え、楽しい事もかなりあった。
偽造旅券絡みで刑事さんがハリコミに来たりキキコミに来たり、そうそう、芸能人も来てたなあ。

ちなみに気になる収入は、日給5000円程度、月10万円てところ。

健康保険なんてもちろんないので、国保、あと年金を払って家に生活費入れて貯金して…ほんと、カツカツの生活。
大学生やってるときのほうが、よっぽどお金があったなぁ。

で、そんなことをしつつ、正社員として勤務できる仕事を探し…「やっぱり、公務員がいい」ということで、6月から、公務員試験予備校の夜間コースに通いはじめた。