というニュースを見た。


いつものニュースだが、思うに

古代人が死を儀式的な通過儀礼と捉えたのは

あまりにも幼い命が死ぬ確率が高いし、

大人も中年で死ぬから

死に急ぐような感覚が一般的だったから

かもしれない。

もう十分生きたから死なせてくれ、

とはならない。



まだ生きたいのに、お迎えがくる。

それには理由があるはずだ。



生が死のあとに繋がってる、と考えれば

死は生の始まりとなり、

誰かの再生に必要なのなら誰かの生を捧げ、

祭祀に心臓を捧げたインカ帝国もあの地域だし

生贄は死と生の境界がない。



その精神状態を普通に生活の中に立たせるには

麻薬は便利な薬だった。のだろう。

だから大人たちは喜んで

生命あふれる少女たちに薬を飲ませ

神に捧げられることに喜び

病弱でいずれ死ぬ運命の子は

生贄に選ばれた。


ミイラになったその子たちが

いまだに喜んでいるかは知らない。



バカを見たと怒っているかもしれない。

けど、怒る相手はもうとっくの昔に死んでる。