人生らくらく日記 ~こづかいさん道まっしぐら!~ -4ページ目
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百匹目の猿

 

百匹目の猿現象。

 

 

先日、船井幸雄さんの講演会を聴く機会があった。

 

ステージ上で、

船井さんオススメの「両手フリ健康法」をやらせていただいたが、

確かに身体によさそうだった。

 

その流れで、

ふと目に留まった船井さんの著書を読んでみることにした。

タイトルは、「百匹目の猿」。

以前から気になっていた内容だった。

 

 

もともと、ニホンザルというのは、

サツマイモの泥を手や腕で落としていたらしい。

 

それが、幸島という宮崎県の島で、

サツマイモを洗うニホンザルの数が

ある臨界点を超えたとき、

 

その行動は、

幸島の群れ全体に広がるだけでなく、

遠く離れたほかの場所に生息する猿たちの間にも、

自然に伝わっていたのではないか、

とする発想で、

 

その臨界点を便宜的に「100匹」としたのが、

「百匹目の猿」ということであり、

船井さんが伝えたい「百匹目の猿現象」のようだ。

 

 

なるほど。

 

そう考えると、

自分の分を超えることなく、、

誠実に淡々と楽しく平和に愛ある暮らしを営むことと、

「平和で愛にあふれた地球を」という想いとが、

矛盾することなく、存在することができるなぁ。

 

 

本の中で

「百匹目の猿」となるためにすすめられていたのが、

人相の良い生き方をすること。

 

人相の良い生き方。

 

う~ん、なんともあいまいな感じだけれど、

本質をつかんでいる気がする。

 

今は、なんでも必死になってしまう自分から脱皮して、

楽しく淡々とやっていくことからスタートしようと思っている。

当たり前だけど、できることしかできないのだから。

流れるままに

 

自分と他人とを比べてしまうことがある。

自分の視点から、他人を否定してしまうことがある。

そして、比較した瞬間、否定した瞬間、悩みが生まれる。

 

沖縄に移住して4年。

少しはラクに生きられるようになった。

少しは自分を受け入れられるようになった。

 

他人を否定しなくなった。

現実を否定しなくなった。

 

少し前までは、

大上段に構えて、

「よのなかのここが悪い」

「よのなかを変えたい」

などと大げさなことばかり言っていた。

 

そして、タチが悪いことには、

その大げさな主張の割に、

行動がともなわなかったのだ。

 

 

5ヶ月ほど前、

いろんなものをいったん手放した。

 

そして僕は、

これからどこに流れていくのだろうか。

 

ある意味で、

大きな流れに身を委ねながら、

そのときそのときで出逢う

人やモノゴトと誠実に向き合いながら、

あせらずに生きていきたい。

 

 

本物研究所の佐野さん、

セミナーの最初に、

SMAPの「世界に一つだけの花」を

紹介していた。

 

比べずに

競わずに

争わずに

 

自分は自分の花を、

あなたはあなたの花を、

咲かせることに一生懸命になればいい。

 

自然に身を委ねて、

自然に添った生き方をしていけば、

気付いたときには花が咲いている。

そんなものなのかもしれない。

 

 

「世界に一つだけの花」

 

花屋の店先に並んだ

 いろんな花を見ていた。

人それぞれ好みはあるけど

 どれもみんなきれいだね。

この中で誰が一番だなんて

 争うこともしないで

バケツの中誇らしげに

 しゃんと胸を張っている。

 

それなのに僕らニンゲンは

 どうしてこうも比べたがる?

一人ひとり違うのにその中で

 一番になりたがる?

 

そうさ僕らは

 世界に一つだけの花

一人ひとり違う種を持つ

 その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

小さい花や大きな花

 一つとして同じものはないから

ナンバー1にならなくてもいい

 もともと特別なオンリー1

とあるセミナーにて

 

今日、とあるセミナーに参加した。

 

 

そこで、「本物研究所」の代表を務める、

佐野浩一さんが1時間ほど話された。

 

大学卒業後、学校教員を十数年。

その後、船井総合研究所に2年間所属。

現在は、本物研究所の代表として、

「本物」を世の中に伝えていくことを生業とされている。

 

「売れる商品の経営者はここが違う!」

というテーマだったのだが、

 

実質的に話されていることは

いかに経営者の人間性が現実世界に反映されるか、

という原理原則だった。

 

 

船井幸雄さんの言葉を活かしながら、

佐野さんが語った次のような言葉が心に残っている。

 

人財とは、自分を活かし、周りを活かす人です。

「自分」だけでなく、「周り」をも活かして、

その場を明るく元気にしていく人なんです。

 

 

「人は育てられるのか?」

 

人は育てるものではなく、育つものだ。

そして、育つための環境整備こそが大切なのだ。

 

 

「教育」ではなく「共育」。

 

使い古された言い回しではあるが、

互いに互いの人間性を尊重しあい、

共に育っていくための場をつくっていく。

 

 

縁した人とともに、

いかにして「共育の場」をつくっていくのか。

それは、一瞬一瞬の自分自身の在り方にかかっている。

感謝の念を忘れずにいたい。

 

人間という自然

 

「風の旅人」という雑誌と出逢った。

http://kazetabi.com/

 

 

この雑誌はとっても面白い。

僕の感性に、びびっときている。

だけど、とってももどかしいのだけれど、

何がいいのか表現することができない。

 

 

従来の西洋的思考は、

人間と自然を切り離し、

人間が自然をコントロールできるものと考えている気がする。

 

しかし、それは本質ではない。

 

そもそも、人間自体が自然の一部であり、

ガイアの一機能を担っているのである。

 

それじゃ、人間の役割っていったい何なの?

と考えたりもするのだけれど、

深みにはまっていきそうなのでストップしよう。

 

ただ、エゴの強い人間にとって、

(特に文明化された地域のほうがエゴが発達している気がする)

人間が自然を支配すると認識するのか、

人間は自然の一部であると認識するのか、

行動レベルで大きな違いをもたらすような気がする。

 

テクノロジーは諸刃の剣である。

プラスに働けば、自然や人を癒してくれるだろう。

マイナスに働けば、自然も人も傷つけてしまうだろう。

 

また何が言いたいのか分からなくなってきた。

 

いずれにしても、

自然と人間との関係性をつかむことは、

豊かに生きていくために、

とっても大切なことじゃないか、と思っているのだ。

 

 

「風の旅人」には、

遺伝子の研究者である村上和雄さんや、

サル学の一人者である河合雅雄さんをはじめ、

人間の新しい方向性を探っている方々の

面白いエッセイが満載だった。

 

河合雅雄さんが、

「人と自然の共生」について書かれている中で、

「共進化」という言葉がココロに響いた。

 

---------

「共生」というのは

「共進化」を主軸にして考える概念である。

 

簡単に言うと、

共進化とは、

異なった種が

関係を通じて

相互に影響しあいながら

進化すること。

---------

 

たとえば、種子植物。

 

種子植物のうちの、

裸子植物と被子植物とを比べて、

圧倒的に被子植物の種類が多いのは、

(裸子:被子=758種:約25万種)

 

被子植物が昆虫と共生関係を築き、

ともに進化の過程をたどったから。

 

 

いずれにせよ、

今の僕にとって、

「風の旅人」は要チェックな雑誌となった。

 

自然との付き合い方を学ぶことは、

人間との付き合い方を学ぶことではないか。

 

共生していくこと。

共進化していくこと。

ともに変容していくこと。

 

すべてはつながっているのだとすれば、

僕の身近な一歩が、

わずかでもまわりに変容を生み出し、

また自分に還ってくる。

宇宙から地球を眺めると

 

さっきの文章は、

なんだか尻切れトンボな感じ。

 

きっと、

同じような内容の文章を書くだろうから、

今回は、ちょっと置いておこうと思う。

 

 

 

さて、

地球交響曲第一番の話のつづき。

 

 

元宇宙飛行士のラッセルシュワイカートさんの言葉が

なぜだか心に残った。

 

 

彼は、アポロ9号で大気圏外に出て、

宇宙から地球を眺めた。

 

そのとき、

カメラが故障する、

というアクシデントが起こった。

 

そのおかげで、

彼は5分間ほど、

宇宙の真っ只中で、

ぼ~とする時間を得た。

 

 

そのとき、

地球や、地球でくらす多くの人々と

完全なる一体感を感じたらしいのです。

もしかしたら、宇宙との一体感かもしれない。

 

その刹那、

彼の中に、「何か」が流れ込んだ。

そんな瞬間を得た彼の言葉が心に残ったのだ。

 

 

僕なりの解釈だと、

-------------------

今、この瞬間を体験できるのは、まさにギフトだ。

いろんなモノのおかげさまで、

このような素晴らしい体験をさせていただいた。

この体験や、体験から得た智恵を、

多くの人と共有することが、

僕にできることであり、僕にとっての歓びなんです。

-------------------

ということ。

 

 

果たして、自分自身に置き換えてみると、

どういった学びが導かれるであろうか。

 

琵琶湖のような広い池に、

小さな石を投げ込んだとき、

その波紋はどのように広がるのであろうか。

 

そんなことを、ふと思った。

 

地球交響曲

 

友人と「地球交響曲第一番」を観た。

 

僕は、この映画が好きだ。

 

でも、

この映画の存在をどうやって知ったのか、

今でも思い出せない。

 

 

僕は、4年前に沖縄に移住した。

今振り返ってみると、最初の半年間、

沖縄を受け入れるのに葛藤があった。

 

移住して半年後の10月、

沖縄の友人たちと企画した「沖縄ツアー」が終わったとき、

僕の中で、確実に何かが変わったことを憶えている。

もしかしたらこれまでに体験したことがなかったほどの感動。

 

それは、沖縄に運ばれた自分を

受け入れはじめた瞬間だったのかもしれない。

 

 

移住して1年が経ったとき、

ふと「地球交響曲」を、

沖縄で自主上映したいと思った。

沖縄こそ、地球交響曲を上映するにぴったりの地だと。

 

この映画の存在を、

いつ、どういった経路から知ったのか、

今でも思い出せない。

 

でも、僕の中には、

ある確信があったような気がする。

 

 

そして、僕は、

地元大阪の千里中央に、

地球交響曲を観にいった。

 

2日間で、

第一番から第四番まで

連続上映するという情報を見つけて。

 

一つ一つの作品に触れるたび、

清らかな涙が流れて、

すがすがしさが自分の中に残った。

 

僕は、トリハダを信じるタチのニンゲンだ。

その日、上映される会場に入ったとき、

トリハダがたった。気持ちいいトリハダ。

 

 

4作品を見終えて、僕は、

自分の中の予感が確信に変わったことを確認した。

 

そして、その年の11月30日、

地球交響曲の第三番を、

多くの仲間とともに自主上映した。

 

 

いったいなぜこれほどまでに、

地球交響曲に惹かれるのだろうか。

 

映画は嫌いではないが、

めっちゃ好き!

って言えるほど好きではない。

 

映画に限らず、

あらゆる出逢いは、

多くの学びを与えてくれる。

 

そういった意味では、

映画を観にいくことで

そのときの自分の変容にとって

必要な情報を受け取ってきたといえるかもしれない。

 

何が言いたいのか分からなくなってきた。

 

 

全ての出逢いは、

偶然の装いで、

必然的に起こっている。

 

だから、

映画であれ、本であれ、人であれ、音楽であれ、

何であれ、

全ては、自分にとって必要不可欠なものとして

目の前に現れてきているんじゃないか。

そういう風に、僕はモノゴトを捉えるようになった。

 

僕が12歳のとき、

全くの健康体だと信じていた僕の身体に、

若年性糖尿病という現象が現れた。

 

長い間、その病気を自分の敵だと考えて、

必死に抵抗してきた僕は、

ようやく、そのことが必然だったと受け入れるようになった。

 

病気でさえ、

自分自身が出逢いたくって、

出逢っているんじゃないか。

あらゆる事象を、自分の魂が引き寄せている。

 

 

話が広がりすぎた。

が、そのおかげで、

僕が何を書きたいのかが明らかになった気がする。

 

 

地球交響曲が上映される場に、

僕は、なぜだか、

繰りかえし繰りかえし、参加したくなってしまう。

 

そして、

タイでの素晴らしい旅を終え、

その直後に祖母の死と出逢い、

沖縄の新しい棲家を決めた直後、

再び、地球交響曲に出逢った。

 

僕にとって、

地球交響曲の全ての作品の中で、

第一番が、

もっとも好き好き度が低かった。

 

特に、エンヤが出てくるあたりは、

いつも、なんだか退屈になってしまっていた気がする。

 

今回、第一番を観たのは確か3回目だったのだが、

エンヤが登場するケルト民族の物語に、

なんだか反応している自分に気付いた。

次に観るときには、あの場面で、

何らかのインスピレーションが湧いてくるかもしれない。

 

僕は、変容し続けている。

僕たちは、変容する時代を生きている。

 

 

あの場をつくってくださった方と

少しだけお話しする機会があったのだが、

とても自然に力が抜けていて、

すっきりしたやさしそうな方々だった。

 

3年前、地球交響曲を自主上映したときには、

僕は力が入っていた。

自分のことで、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。

 

あのときより自分を受け入れた今なら、

どんな風に振舞うのだろうか。

そんなことを、ふと思った。

 

 

地球交響曲、機会があれば、観てもらえたら嬉しいです。

http://www.gaiasymphony.com/

らくらく日記スタート!

以前から興味があったブログ。

まずはやってみよう!

ということで立ち上げてみた。

 

3日坊主とはよく言ったものだが、

僕はこらえ性がないタイプ。

したがって、これもいつまで続くかわからない。

 

書くことは好きだ。

最近つけている日記も、

気づくと10ページぐらい

書き綴ってしまっていることもある。

 

まずは、このような場で、

たんたんと表現してみようかと

今は思っている。

 

このブログに縁あってアクセスされた方、

どうもありがとうございます。

いろいろと試してみようと思っているので、

どうぞよろしくお願いします。

 

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