きっかけ
「来世を何故人は、恐れるのか?」この疑問に至ったのは、欧米哲学史講義 一之瀬正樹(2016)を読んでいた時である。ジェレミー・ベンサム(功利主義の人)が禁欲主義について語った際に、宗教家が禁欲的である事を善しとする背景に来世の処罰に対する恐怖があるという文を読んだ時である。本の文脈からは逸れるが、気になってしまいブログに書いた次第である。
死後の世界
そもそも来世とは、浄土宗大辞典 WEB版 によると、死後来る世界を言う。仏教では、三世(過去 現在 未来)のうちの一つで、輪廻転生後の次の世。キリスト教は、最後の審判により天国に行くか地獄に行くかが決まる。死後の世界は、多くの宗教に存在する。どの宗教でも死後の世界での状態は、現世での行いが影響する。信仰が厚いことや、善行を積むこと、、、。しかし、死後の世界という不確実なものの為に今を頑張れという言葉は、前提として信仰が無いとすると余りにも暴論のような気がしてしまう。死後の世界について、3つの論点でかたってみたい。
①快楽とキョリ ②来世のタブラ・ラサと生得説 ③寿命と来世