野矢光司。
久しぶりに、って言うか17年前のお話。
10年ひと昔と言うけど、さらに7年。。。
この日は休みで奈良県に行くのに愛車のハチロクで走ってた、
高速のどこらへんか忘れたけど音楽聴きながら走ってたら携帯なってね、、、
突然野矢が昨日の夜亡くなった、と告げられた
その後しばらく記憶がなくなると言う現象が起きた事を思い出す。
昨日の28日が命日やねんな。
やっぱり忘れない事、偲ぶのが一番の供養なんやと思いますよ!
どんや奴でどんな関係性やったか、ちょっと書きます(`_´)ゞ
大阪ダイハツに新入社員として同期入社!
俺たち全員で15人くらいいたかな、、、そこうる覚えと言う(´Д` )
新人研修を経て東住吉営業への配属が決まり
大きな営業所と言う理由から2人配属された
片割れが野矢光司だったのです(^^)
最初は嬉しかったな、だって不安を2人で
分かち合う事ができるし、
それ以上でもそれ以下でもなくいる事がありがたかった
だけど日が進むごとに彼はライバル視してきた、
仲が悪くなったと言うよりかお互い我のぶつけ合いw
比較的にのんびりな自分に対してそこらへん
しっかりしてた彼です!
今となっての笑話は、工場内で修理車を運転して
移動する際、通路でかち合った時にお互い道を
譲らないと言うね( ̄▽ ̄)
今やったらそっこーで譲るけどw
時は経ち、2年目に入りさあ新人研修を終えた
後輩君が来るでってなった時
協力し合って後輩の面倒見て行こうな、
と言い出したのは長男である野矢君でした、
俺は末っ子で進路を譲らない野矢が若干嫌いになってたし(´・_・`)
だからそれ言われて、はっ!と気づかされ反省し
わだかまりも無くしてやって行こうと思ったよ
でもその後すぐ死ぬなよ
亡くなったと聞かされて、記憶無くして
次の日会社行って居ないのに探して
そっからずっと後悔して謝ったわ
嫌いや思ってごめんて、
お通夜でも野矢の横でずっと謝ってた
他の同期には分からない俺だけの懺悔、、、
とまあ久しぶりに書くとまた泣いてしまいましたw
だからあんまり思い出さないように、
毎年の命日もうやむやにしてしまうのかも
(´Д` )
ツラツラと書いてしまった
タイトル
17年目の野矢を偲んで
野矢生きてたらどーなってたやろな
また会おな
タコパで再開
上京して4年目が過ぎた頃出会った
某プロダクションで内容の濃ゆい舞台を作り上げ
たメンバーに、6年の時を経て再開しました( ´ ▽ ` )
みんなに顔合わせるのがめちゃくちゃドキドキで
昨日のその感情は新鮮だったなぁwww
だって6年会ってないしね(´・_・`)
だけど心配してた6年の空白は5分くらいで、話が止まらず気がつけば6年前に戻ってた(^^)
それだけ当時が濃かったんだと思うw
座り位置順で紹介すると
智美ちゃん
忍ちゃん
かべちゃん
よしと
うっちー
俺。
昨日は収穫が沢山あったけど
中でもその濃かった舞台の映像を観ながら自分の当時の容姿を撮りました

吸ってない今はプラス5㌔
はたしてどっちがいいのかね、、、
懐しかったり、どっか新鮮だったり帰るのが惜しいと思って結局朝まで雑魚寝w
そんな昨日のお話です(・∀・)
1995.1.17
記憶は風化するので、
受け方感じ方なんて人それぞれだけど、どんな思いであれ風化させないようにしたい
まだ真っ暗で深く眠ってた
遠くの方から地鳴りが聞こえて来たせいで眠りから覚めかけた
ゴォーと地鳴りが確実に近づいて来て地鳴りが消えるか消えないかその
瞬間、今まで経験した事のない下から突き上げられるような揺れ、寝てたベットに必死に掴みながら見た部屋の光景は机が踊り引き出しが出てきて本棚が倒れ、、、
床で寝てなくて良かった
揺れが収まって、今起きた状況を必死に整理しようとするけど
遠くから、地鳴りが再び聞こえ始め、その時頭をよぎったのはさっきの揺れを耐え凌ぐ事しかなくて、だけど何が起きても何もできない家倒れたら死ぬ、、、そんな事を思ってた。
住んでた場所は大阪市内北寄り、一番近くで被害が大きかったのが阪急伊丹駅の駅舎崩壊、、、
約20㎞先、、、
20年経っても記憶は鮮明で忘れたらダメだと思うので書いてみた。
2011年東日本大震災だって同じで生涯忘れない
災害なんてものが無くなりますように。









