全ての魂よ
光輝きなさい
そして
世を光輝かせなさい
時間は平等に与えてあります
其の時間を使うのはあなた
どのように使おうとあなたの自由です
なれど、これ程非情なものはありません
これからの世
自分の働きに気づき
急いで作業に移しなさい
わがままは通りません
「あすなろ」という言葉は「明日は檜になろう」という意味で使われています。
明日に夢を持って明日に希望を持って元気に笑顔で生きる。
しかし、思っているように行かないのが人生です。
人は皆、親の子として生まれ子を持ち時代を引き継いでいきます。
これは人それぞれの持って生まれた宿命なのでしょうか?
恵まれた家庭に生まれる人、恵まれない家庭に生まれる人、これは受け止めなければなりません。
不平等を感じます。そして待遇の違いに不公平を感じます。しかし、持って生まれた人生のスタートです。
家族は人生のリレーをします。実力の差があれば襷を受け渡す時、次のランナーは出遅れます。
平泳ぎに強い人、背泳ぎに強い人、
上り坂に強い人、下り坂に強い人、雨の日に強い人、雪の日に強い人、
その時、その場所に適した人がランナーに選ばれます。
襷がないと次のランナーは走れません。
困難な坂道を担当した人は大変です
しかし、やがて平坦な道に繋ぐことができます
平坦な道を選んだ人はマイペース
しかし、やがて困難な坂道が待っているかも知れません。
現在は何人の人のリレーの結果でしょうか?
リレーがなければ今までの苦労が無駄に終わってしまいます。
草花を見て下さい。雑草を見て下さい。
どんな環境の中に生まれても育っても健気に生きる姿を見せてくれます。
草花というのはどんな環境の中でも太陽を求めて成長して行きます
夢を叶えるのも素晴らしいこと
目標を持つのも素晴らしいこと
しかし、大事なことは逞しく生きることです
気持ちが病んだ時は休んでもいい。
迷うことがあってもいい
悩むことがあってもいい
間違うことがあってもいい
しかし、前へ、上へ進む姿勢です
「あすなろ」という言葉はどんな環境の中でも
強く逞しく生きる姿、成長しようとする姿を現した言葉です。
人生にはいろんな出会いがあります。いろんな出来事にも出会います。
その出会いはあなたの人生の分岐点になります。
あなたはどうしますか?
辛いこと、悲しいこととの出会いは自分を不幸と思ってしまいがちですが、果たしてそうでしょうか?
悩むとき、迷うときがありますが、果たしてそうでしょうか?
そんな時、自分を振り返ることができるのではないでしょうか?
そんな時、何かを感じるのではないでしょうか?
そんな時ほど、強く、逞しく、生きる切っ掛けができるのではないでしょうか?
そんな時ほど、人の心を感じ取れるのではないでしょうか?
そんな時ほど、自分の心にも気付くのではないでしょうか?
そんな時ほど、新しい自分、新しい人生へ踏み出せるのではないでしょうか?
あなたは一人じゃない。周りを見て下さい。
人と人の世界、共に力を合わせ、幸せな未来を築いて行って下さい。
人は永遠の命、永遠の幸せを望むものです。
しかし、人生はそうはできていません。何故でしょうか?
人は一人で生きているのではありません。1人1人の自己実現、成長がテーマになっているからです。
それぞれの人生のテーマがいろんな現象を起こします。
被害者、加害者、持って生まれた巡り会わせ。すべて背負うことになります。
自分では理解できません。ただ生き貫くこと。人生を全うすること。
後で思えば、自分の人生の意味が少しばかりは理解できます。
「諸行無常」という言葉があります。
今の姿は既に存在しない。常に変化している。
せっかく作ったものが明日はない。儚いものです。
しかし、変化があるからこそやり直しができます。
変化は永遠の希望と変わります。
変化は永遠の命となります。
気持ち次第で永遠に成長を続けるのです。
科学者は目に見えるものから探求を始めました。
引力、重力、燃焼、個体から液体・蒸気へ
自然にはいろんな法則があります。
探求は見えない世界へ進んで行きました。
音波、電波、原子、分子、光、細胞、神経・・
人体も宇宙も法則の下に維持され、変化しています。
宇宙も人体もミクロ・マクロと言われ、隙間だらけになっています。
人体に例えると、意志が脳によって信号化され、肉体に伝わり、人体は動いています。
勿論、肉体自体も維持するための意志は持っています。
しかし、意志が傷などによって伝わらなければ肉体は動くことができません。
心の傷、肉体の傷があると個性としての自己表現ができなくなります。
その結果、想うような結果が得られなくなります。
「神経を注ぐこと」。これが正常に戻すことになります。
これは意識を通わせるということで、肉体の維持する働きと
脳からの信号による従おうとする働きです
現象というのは思いが反映した結果ということですが、
痛みを伴うのは改善されるということで、決して悪くなっていることではありません。
苦しみ、悲しみ、迷いも本来の自分に戻そうとする働きの現れです。
決して悪く考えないように、そして心穏やかに時期を待って下さい。
必ず、何処からとなく気力が湧いてきます。
それがあなた自身の根源からの命令ということになります。
人は子供としてこの世に生まれ成長して行きます
いろんな出来事を体験しながら、いろんな思いをもって生きて行きます
悩み、苦しみ、迷い、人の事が良く見えたり
でも、周りに幾ら思いを巡らしても今の自分を変えることはできません
子供の頃は無邪気で穢れを知りません
見たまま、感じたままを言います。
その思いや言葉は大人の社会では消されることがあります
しかし、的を得た言葉が多いようにも思えます
大人が常識としていることが、案外間違っていることもあります
現在人が必死に守っていることが、果たして大切なものなのか?
現代人への子守唄、
子供を見守るような思い
聖母たちのララバイ 岩崎宏美
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