数多くの問題がある。
まず創始者のクーベル男爵の「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」の基本が忘れられて偏向している。
勝っても無価値の月桂冠で讃えたのは、戦争相手でも運動で相互理解を促すことを目的とした。しかし現代オリンピックは商業主義で行われて、多くの利権で運営されている。
プロアマの規定も曖昧になり、勝つことだけが目的になっている。国同士のメダル獲得競争になった。
近代諸国が勝っても意味はない。かつて日本もそうだったように、開発途上国がメダルを取って国民の励みになる事は意義があった。
金メダルを取れば一生食べていけるとの選手の志しは低く過ぎる。しかもメダルへの褒賞金が少ないとの不満まで漏らす。
一方、ドーピングの不正は底なしで、検査体制の無駄は呆れるばかり。そこにはスポーツマンシップの精神は皆無で、国がかりの不正工作までになっている。
各競技には世界的大会があり、あえてオリンピックで競う必要もない。しかもオリンピックには出場しない選手も多い。
たった二週間の大会のために巨額な投資が必要で、後の施設は再利用には適さない。
多くの利権を支配する米国は、自国の都合で時期も放送時間も決めている。
大多数の日本国民はメダル競争には興味もない。そして競技に勝って日本人の身体能力が一番だと勘違いして喜びもしない。
現代の日本には運動だけのスポーツ馬鹿はいらない。
現在では各国がオリンピックの無駄に気づいて開催を辞退し始めている。
そして大前提のスポーツとは自分の体力維持のためにあるもので、他人がやっているのを見るものではない。