『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』




「おばあちゃん!」


振り向けば、そこには私の孫。


「こんにちは」

「こんにちは。麻美ちゃん、今日は休みかい」

「うん。はい、これ。お母さんから頼まれたの」


差し出された豆乳のパックセット。

この孫の母である朱美さんに頼んだのはついこの間なのに、届くのが早い。

さすが朱美さんだというべきだろう。


「ありがとう」

「あ、じゃあこれ台所に持って行くね。おばあちゃんは座ってて?」


そして、その朱美さんの娘である、孫の麻美も。

今時の若者(19歳)にも関わらず、髪も染めず、ぐれたという話も聞かず。

見せてもらう通信簿やテストカードはほとんど良い成績だし、プリクラ、とかいう物を見せてもらい話を聞く限りでは、いい友達にも恵まれているようだ。

言葉遣いが悪くなる様子もなく、礼儀正しく人当たりが良いからか、私の知り合いにも評判はいい。

運動は苦手だという話は聞くが(朱美さんもそうだったらしいし、遺伝ならば仕方がない)、肥満と言うほど太ってはおらず、背も息子の浩之・朱美さんに似て大きい方だ。


「いつもの場所に置いておいたから」

「ありがとねえ」

「そういえば、おじいちゃんは?散歩?」

「そう、散歩。すぐ戻ってくるよ」


お茶を淹れようとすれば、「私やるよ?」と私のお茶を淹れる。


気配りもちゃんできるところは、さすが朱美さんの教育の賜物だというところだろうか。


「麻美ちゃんも飲むかい?」

「ううん、私はいい。外で人、待たせてるから。今日はもう行くね?お邪魔しました」

「また今度ゆっくりおいで」


いつもは、いっしょにお茶とお菓子を食べるのに珍しい。


そう思いながら、「外まで送るよ?」と縁側に近づくと、そこからは、なんと男の姿が見えた。


「カレシ、なの」


麻美のその言葉に、そういえばあの顔には見覚えがあると思い出す。

プリクラ、というもので見たのかもしれない。


麻美と同じ中学(つまり浩之とも同じ中学)の同級生で、『とてもいい人なの』と麻美は言っていた。


「デートかい?」

「デート、かな。ちょっと近くの図書館にね」


真面目で読書が趣味らしい麻美の口から出た言葉、そして外にいる男の見た目に、少しだけ納得する。

そして、健全な付き合いをしているなと安心した。


「車とかに気をつけるんだよ」

「うん、わかってる。じゃあ、またね」


そうだ、この前の日曜日もだが、浩之も朱美さんも、よく、麻美のカレシ、の話をした。

「麻美が自分で色々教えてくれるんですよ。まあ、家も近いし、学校も同じだったし、よく噂とかは聞くんですけどね」と朱美さんは言った。

だからこそ、健全なように見えるのかもしれない。


麻美が私に手を振る姿も、麻美の隣の男が私に頭をきちんと下げたのも、手を繋ぐことなく、2人が姿を消したことも。


あの麻美にも、カレシというものができる歳になったのか、とふと思う。

19歳。あと1年で、私が嫁いだ歳になる。


子ども嫌いの浩之が、よく膝に抱いて可愛がった麻美。

ついこの間まで、卒園して、小学生になって、七五三をやったと思ったのに。

それは、写真たての中の麻美の姿だ。


今の麻美は、「来年20歳になって、成人式なの」と、私の着物を見ては、誇らしげに笑う大学生だ。


ということは、息子の浩之はもう52。浩之の兄・彰は54。

2人がそれぞれ結婚したのだって、つい最近のことのように思っていたが。


私の旦那である爺さんだってもう80。

私だって、もう76。しわと白髪が増えて、体も不調を訴えるばかりの婆さんだ。


歳をとったものだと庭を眺めれば、子どもと孫が出来るたびに植えた桜と梅の木が目に入る。


昨日まで降っていた雨に濡れた桜の花は、どこか色あせていて、自分のようだと思った。

『秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ』




私には、幼馴染がいる。


家が近くで、幼稚園も小学校も中学校もいっしょ。

そして高校も一緒という、漫画によく出る王道の幼馴染が。


私たちが住んでいるのは、お世辞にも都会とは言えない、むしろ田舎と呼ぶのがふさわしいような地域。


私の家も、幼馴染の家も、昔から続く農家の家で。

家の周りは、広大な畑や田んぼが広がっている。


田んぼや畑が家の周りに広がっている、と言うと、「なんか夏とか虫いっぱいいそうじゃない?」とか「周りにお店とかないのって田舎って感じ」とかって嫌そうに言われるけど、私は、自然に溢れている畑や田んぼが好きだ。

季節を感じられるし、一面に広がる畑や田んぼを見ていると、なんだか落ち着く。


田舎だからなんだというのだ。


自然に囲まれているこの場所こそ、日本のふるさとであり、私のふるさとだ。

私の好きな場所なのだ。


そして、そう主張した私に、「その意見にだけは同意してやるよ」と笑って言った幼馴染の彼も、私は好きだ。






「あー」


秋のある日。


空を見上げ、私はため息をついた。


真っ黒な雲、やむことなく降り続いている雨。


今日に限って、いつも鞄に入っている折り畳み傘が入っていない事を、今さら後悔した。


いつもは見ない星座占いで最下位だったのが悪かったのか、それとも昨日テスト勉強で徹夜して、寝坊したのが悪かったのか。

どちらにしろついてない。


しかたない、走って帰ろうか。


「何やってんだよ」


突然聞こえた、耳に馴染みのある声に後ろを向くと、そこには私が好きでやまない幼馴染、大和(やまと)が立っていた。


「傘忘れちゃって。雨宿り?」

「雨宿りって・・・言っとくけど、この雨明日まで続くぞ」

「えー」

「天気予報くらい見て来いよ」


ため息をつかれても。

情けないやら恥ずかしいやらで、まだ夏服の大和のワイシャツを見ながら「寝坊したんだもん、しかたないじゃない」と正直に言うと、大和は、「知ってる。お前が眠そうな顔でギリギリに校門来るの見たから」とせせら笑った。


「そんなところ見ないでよ!」

「見たくて見たんじゃねえよ」


憎まれ口が入ったいつものやり取り。

色気もへったくれもないし、ロマンチックな感じともほど遠い。

でも、幼馴染だからこそできる、遠慮がなく、テンポのいいこの会話を、私は気に入っていた。


「じゃあ見ないようにすればよかったじゃない!」

「仕方ねえだろ、不可抗力だ」

「どんな抗力よ」


そうだ、今週で夏服終わりなんだっけ。

大和の制服と自分の制服を見ながらぼんやりとそんな事を考えていると、大和はふいに自分の傘を広げた。


「ってか、帰るぞ。早くしろよ」

「え、置いてけぼりじゃないの?」


絶対に置いて行かれると思っていたから、予想外の行動に思わず大和をガン見する。


「ついでだ、ついで。今日は傘デかいし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


照れくさそうにする大和。

久しぶりに見たその表情になぜか安心して、私は素直に傘の中に入ってあげた。








「そっちはもう収穫するの?」

「いや、確か来週って言ってた」


お互い親が同じ農家という職業なだけあって、家が近くなり、田んぼや畑が広がる場所に出ると、私達の話題は、自然とそっち系の話になる。


もう田んぼの稲が黄色に色づいている今は、稲刈り、収穫の話だ。


「うちの方が田植え早かったんだっけ」

「だな。田植えの時は、うちのジジイがぎっくり腰で、人手減った分時間かかったから」


1番身近で、1番馴染み深い農業に関する話。

恋する乙女的に言えば、ちょっとどうなのって気がしなくもないけど、1番話しやすい話題だから、私は、私らしくていいと思い直すことにしている。


「あの時は大変だったよね」

「まったく、年寄りの冷や水ってやつだぜ」


いつもと同じ。

制服に学生鞄を持って、一本道に横に並んで話しながら歩く。

話題は、学校の事とか家の事とか。そして、農業の事とか。


雨が降っているのだって、傘に入れてもらっているのだって。

(たまにしかないけど)本当に、いつもと同じなのに。


「そんな風に言わないの!大和のおじいちゃん、かわいそうじゃん」

「別にかわいそうじゃねえよ。ってか、ぎっくり腰になったのは自業自得だろ」

「自業自得って、じぶ・・・」


ふと、私は気づいてしまった。


「どした?」

「あ、ううん。なんでもない」


大和の肩が濡れているのは、わざわざ私の方に傘を近づけているから。


大和よりは酷くないけど、自分の肩が冷たいのは、春に着ていた冬服よりも薄い生地でできている夏服だから。


薄い生地でできている半袖の夏服だからこそ、自分の腕に、半袖のワイシャツから出ている大和の腕がリアルな感触で触れていることに。


今さらながら、ドキドキする。


ああ。気づかなければ、大和を、私とは違う、『男』として意識せずにすんだのに。