その1から随分時間が経ってしまいましたが、中国がベトナムに学べるかもしれない!?シリーズその2。今回は国会を中心とした立法府の在り方などで、ベトナムの取組みを紹介した1月27日付南方週末の記事をご覧ください。単なる隣国事情紹介か、それとも中国の現状との比較か・・・。

首相に、政府に異議を唱える国会

 ベトナムにおいて近年大きな議論を巻き起こしている案件は、中部高原地域のボーキサイトである。この地域は少数民族が多く住み、経済的にはまだ貧しいものの、豊かな生態系をいまだに残している地域である。この地域において、環境汚染を引き起こしかねないボーキサイト開発を許すかどうか、同国の革命元老であるヴォーグェンザップ将軍は、2009年1月、当時98歳の高齢にもかかわらず、グェンタンズン首相に書面で再考を求めた。

北京で考えたこと-tay nguyen

ベトナムの中部高原地域の位置
ラオスとカンボジア国境を有する


 2008年に既に前期工期が始まったこの案件。ベトナム国会2006年第66号決議では、20兆ベトナムドン(約10億米ドル)以上の投資案件に関する国会の事前審査を定めているが、この案件は一つのプロジェクトを細かく分割して額を小さくし、国会審査をスルーしていた。怒った国会議員は首相に詳細な報告を求め、政府はそれに対応して国会に報告を提出した。

 ベトナムにおける国会議員は「祖国戦線」と呼ばれる大衆団体が推薦するものが大多数であり、基本的にベトナム共産党のコントロール下にあるが、かといって国会がラバースタンプ(ただ賛成するだけの機関)というわけではない。2010年には数百億米ドルにも及ぶ規模となる南北高速鉄道プロジェクトを否決したこともある。

フランス統治の影響

 ベトナム首相の経済顧問でもあった、Le Dang Doanh・中央経済管理研究院・元院長によれば、ベトナムはホーチミン氏が指導していた頃から連合政権と言う性質があり、それらが民主の起源となっている。また、ベトナムの国会制度にはフランスの影響があり、英語名をNational Assemblyというのみならず、制度的にも定期的に首相が国会質問を受ける、国会の議論は公開で行われる。

北京で考えたこと

フランス建築様式のサイゴン大教会(@ホーチミン市)
植民地時代の影響は建築のみならず、一部の国家制度にも残るとの指摘


今だ残る南北バランスの智慧

 ホーチミンは異なる勢力と協力することに長けていたが、彼の亡くなって以降は、それ以下の同程度の経歴、経験の指導者たちがバランスをとることとなった。その中でも、ベトナムの指導者が南北のバランスを取るという伝統がある。例えば、今回新しく総書記に就任したのが北部出身のNguyen Phu Trongであることから、国家主席、首相には南部の人間が当たることが予想される。バランスをとるということは、中央の指導者が地方指導者の支持を得るということにもある。ドイモイ(刷新)政策以降、1990年代に30数省であった地方自治体は2010年には64にまで増え(訳注:ハノイがハタイ省を合併したため、厳密には63省・市なはず)ており、1月に行われた共産党大会でも地方出身の中央委員が増加が「一大勝利」とみなされ、過去最高の数を記録した。

 今回就任したNguyen Phu Trong総書記はイデオロギー理論研究を長年行っており、党の理論紙である「共産」雑誌編集長、ホーチミン国家政治学院の院長でもあった、保守の系列に立つ典型的な「北方幹部」である。それにより、ズン首相(南部出身)の首相留任はそれ程心配がなくなったといえる。つまり、ホーチミン市の識者に言わせれば「総書記ポストに向けた競争は、生き死にを争うものではない」(訳注:総書記が北なら、首相は南、といったバランスの問題、という意と解釈)のだ。

 こういった南北幹部の関係に加えて、国有企業改革の進展は大きな改革の障害ともなっている。ベトナムの国有企業改革・私有化は資産証券化、「流動化」と言う方式でなされている。ズン首相は正にこれらの推進役である。しかし、ベトナムではあらゆる政府部門が国有企業を持っており、軍隊までもが企業を所有している。「軍隊銀行」は商業銀行として市場に参入している他、通信分野などでも国有企業の存在が大きい。不動産、旅行業など、国民の生活に不可欠で国有企業が参入すべきとはいえない分野にまで、国有企業が「過剰に」発展してしまっている。しかし、その中で昨年ベトナム船舶工業グループ(Vinashin)のスキャンダル(訳注:乱脈経営・不正行為が発覚し、会長が解職・逮捕される結末となり、ズン首相の監督責任も問われた)はこういった企業の一例だ。

急進的な改革の動き(とその結末)、物言うメディアの存在

 2006年には数十名の国内外知識人たちが「ベトナム民主党」結党を目論見たが、最終的には登記を許されなかった。また、2007年にはドイモイ政策の初期参加者などが100名強となる専門家からなる、非政府系研究機関「Institute of Development Study(IDS)」を設立したが、その中には「民主化」のスローガンもあり、1年後には解散を余儀なくされた(訳注:IDS解散についてはBBCVietnameseの記事を参照;ベトナム語ですが)。

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党大会中に警戒を続ける警察(写真は南方週末記事より)

 しかし、改革の勢いはその規定路線を揺るがせておらず、それはThanhNien(「青年」)紙のように独自の姿勢を崩さないメディアにも表われる。今回の党大会で中央委員に選ばれたばかりの2名の若手政治家にインタビューを試みたが、両名は単に若いだけでなく「大人物」の親族でもあった。35歳のNguyen Thanh Nghiはホーチミン市建築大学の副校長で、同時にズン首相の長男でもあり、また34歳のNguyen Xuan Anhは元共産党規律検査委員会党委書記の息子であった。Thanh Nien紙は彼らに率直に質問します:「あなたの成功の中で、あなたの父親の存在はどのくらいの比率を占めますか?」(同様に2名にインタビューをしたTuoiTre紙の記事も参照:これまたベトナム語ですが)

【考えたこと&補足】

 この記事の南方週末ホームページ・コメント欄には「ベトナムの方が進んでいる」「中国への良い風刺だ」とのコメントが並んでいますし、特に後者の意味は大きいでしょう。

 上述した中でのボーキサイト案件では、環境影響のみならず、実は中国企業(中国アルミ;CHINALCO)の子会社が受注しており、中国人労働者が多数流入する旨を懸念するがベトナムで大きいことは、恐らく意識的に捨象されています。カンボジア、ラオスとの国境も近く、少数民族の反体制派もあるこの地域で、中国の大きなコミュニティができることが心配というのは、ベトナム政府/人に広くある印象のようです。

 そしてベトナムにおいて大きくなる国会の役割。自分がベトナムで働いていた際にも、ベトナム政府各省庁が国会前には「国会からの質問があるからそれに対して準備しないと」、まるで日本の省庁における国会対策のようなことが年を追うごとに真剣に行われていました。国会における質問は各省庁の大臣級に向けられ、その様子が生放送されるのは既に国会開会時の風物詩となっています。厳しい質問をする国会議員はちょっとした「スター議員」扱いです。これは、規模が千人単位、議論はほとんど(少なくとも生では)公開されない中国ではありえないことですよね。今回党大会では国会委員長が総書記に就任するなど、象徴的にも国会の役割が大きくなった感があります。

 一方、中国において「太子党」と呼ばれる大物政治家の2世の台頭ですが、今回の党大会では上述した2名に加えて、その存在が目立ち始めた。まだ70年代に戦争が終わり、それら戦争を戦ってきた世代が政治の第一線にいる中、その世代の子どもがようやく30台になり、政治の表舞台に台頭し始めたということでしょう。ここでは逆にベトナムが中国の傾向を追いかける(!?)かもしれません。ただ、それに対してここまで率直な質問を向けられるのは、メディアが中国同様大きく規制されているベトナムという印象からは意外かもしれません。

 もちろん、ベトナムのこれら行政、立法体制においても問題は山積みです。ですが、経済発展においては何歩も先に進んでいる中国が、政治・行政の分野においては意外なベトナムとの違いがある、そんな例の一つです。