中国においては来年行なわれる5年に1度の共産党大会、お隣ベトナムではそれが1月12日から19日まで行なわれていました。ここでベトナム共産党総書記が代わったりするなど、中国と同じように5年に1回の大きな政治的人事などが決まり、今後しばらくの指導体制がお目見えしました。

 社会主義国同士で「兄弟」と呼び合う中国とベトナム、しかしベトナムは(力関係で事実上の)「弟」の立場と歴史的ないきさつから中国を警戒しています。一方中国はベトナムのことをどのように見ているのでしょうか?「あんまり見ていないでしょ?」という元も子もない意見もあります(苦笑)が、実は政治改革と言う上では「ベトナムの方が進んでいる」として注目する筋もあるのです。ここでは、1月27日付南方週末の記事から、中国側がベトナム共産党大会のどんなところに注目したかを取り上げてみようと思います。長文記事が2つありますので、それでも長文になりますが今日はまずその前半を。(以下は記事の抄訳です。)

 ベトナム共産党第11回大会が開かれたのは、ハノイ国家会議場、ハノイの北の方に作られ2006年から使用されているこの会場は、設備・周辺環境こそハノイ最高級であるが、周りには未だに田んぼや工事現場が並ぶ。会議センターの正門から10メートルしか離れていないバス停は通常運行しており、農民はサツマイモを入れた袋を背負って街に入っていこうとする姿が目に留まった。

 去年の12月初めから、ベトナムではフェイスブックにログインできなくなった。「ただ面白いのは、地元新聞各紙が「どのようにフェイスブックに関する技術的トラブルを解決するかを紹介していたこと、まるでこのフェイスブックのブロックも何も起こらなかったかのようだったよ」とホーチミンのブロガーは語る。(訳注:フェイスブックは今現在ハノイからはやはり普通にはアクセスできていません・・・。)

 大会のために準備は入念。2010年4,5月より全国の末端党組織において新しい党代表を選ぶ選挙が行なわれ、第10回党大会の要求に基づき、郷(訳注:ベトナム語のhuyenのことと思われます)から省レベルまでの代表は15-20%の「差額選挙」(訳注:当選人数よりそれだけ多い候補者リストの中から選び、単なる信任投票に終わらないようにすること)を実施した。2006年党大会時の同比率は10-15%であった。

 「10-15%」は今回直接選挙によって選ばれた地方党委員会書記、副書記、党常務委員会委員の数でもある。この半年間の選挙により、ベトナムでは10-15%の地方党委員会書記、副書記、党常務委員会委員が末端党員の直接選挙で選ばれた。(訳注:ここはちょっと不明、訳したらこういう意になるのですが、こういうことが本当に行われているかは、ちょっと調べが必要かと思います)

 2010年3月、ベトナム共産党第10期中央委員会第12次全体会議の決議によると、第11期の5年間も65歳定年制度を維持すること、もし政治局が一致すれば定年は2年間延長できることとした。ただし、第12期(訳注:2016年-)以降で65歳定年の原則の例外を許す場合には、中央委員会及び党代表大会全体の許可を得なければならないこととした。今年総書記に新しく就任した阮富仲(訳注:Nguyen Phu Trong)は既に67歳、1997年から既に政治局委員を2期務めており、今期が3期目となる。今年は政治局全体の許可で済んだが、仮に5年後となれば党代表大会全体の一致を持って初めて任を務めることが許される。

 ベトナム共産党党機関紙ネット版の主任編集者である阮日草によると、17日に党中央委員と中央委員補欠が選ばれた際、大会事務局はそれぞれの委員にアンケート用紙を配り、内部推薦の形で総書記の人選に関して意見を求めたという。阮日草曰く「これもまた民主評議の一部分である」。

 今回総書記がどのように選ばれたかに関しては詳細な報道はまだ無いが、ある匿名の党代表によれば今回は第10期党大会時のような「差額選挙」ではなく、「等額」(訳注:信任投票)であったと言う。選挙のメカニズムは明らかにされていないが、元々17名の政治局員が選出される予定であったが、最終的には14人のみが選出され、1/3の政治局員が変動した。

 19日に会議が閉幕すると1733名の党代表は、どこかリラックスした表情を見せていた。山岳地域からやってきた党代表たちは、会議センターのお土産屋でお買いもの、携帯電話、時計、ボールペン、更にはウォッカも買って行った。これは昔のベトナム幹部が旧ソ連から学んだ習慣で、現在のベトナム官界でも広く流行している。

 Nguyen Phu Trongが大会の閉幕を宣言すると、会議センターは警備の警官、武装警察は煙草を吸ってゆっくりしていた状態から急に慌ただしく道路の封鎖をし始めた。ただ、道路封鎖は10分足らず。封鎖された道路には数千にも上ろうというオートバイが並び、警官の合図と共に一部の車と混じりながら轟音を立て出した。あわてたバイクタクシー(訳注:ベトナム語ではxe omと言います)が歩道に向かって加速して車を追い抜こうとしたのを「機動警察」に呼び止められていた。

【考えたこと&補足】

 これほど近い政治体制を持つベトナムの政治関係を中国メディアが取り上げる際には、ほぼ同様の政治プロセスを踏む中国政治への比較の視座があるに違いないと感じます。中国(の一部メディアや知識人)がベトナム共産党を見る場合に感じる視点は、「ベトナム共産党が党内民主の進め方について進んでいるのではないか?」という視点だと思います。確かに政治局員の中で当選、落選が発生するなど、もちろん完全に公開ではないものの、何らかの実質的競争プロセスが働いているとすれば、それは中国共産党の人事には今のところでていないものです。

 ましてや、アンケートで総書記の人事に委員全体の意見を聞いたというのが本当であれば、それはすごいことだなあと思います。まあ、形式だけと言う可能性も高いですが。よくベトナム政治をあらわす姿で言われるのは、共産党一党独裁という外見とは裏腹に、実は意外とコンセンサス重視の政治決定を重んじるとのこと。多くの意見を聴取しようとする姿勢は、その特徴とも合致しています。

 今回政治局員を選ぶ選挙で落選したという政治局員の中では、Pham Gia Kiem副首相・外相が落選したことが割と大きく報道されました。(BBC Vietnamese日本のメディアでも)政治局員内定と言われていたのが、このような波乱を呼ぶとすれば、各種の差額選挙にせよ、信任投票にせよ、一定の効果を果たしている可能性があります。この辺りは中国と同じで、本当に中で何が起きているのかを知るのは難しいですが。

 党大会周辺の様子を描く南方週末記者の記述からは、ちょっと中国の政治活動への皮肉も込められているかなと読み取れました。中国では政治的な会議が開かれる度に、交通規制やらは日常茶飯事で交通渋滞などを起こしたり大変ですが、ベトナムではそれほど市民の日常生活を阻害していませんよ、と言いたいのかなあと読みました。

 同じ南方系列の南方人物週刊1月24日号には「諸々進んだところもあるとはいえ、強権的な体制などは変わっていない」というコラムも出るなどその評価には分かれるところありますが、より民主的な党運営を志向する知識人の中には、「ベトナムから中国が何を学べるか?」(そうははっきり言いませんが)という視点がありそうということは、普通は「ベトナムが中国から何を学ぶか」という設問が多いだけになかなか興味深い視点です。