1958年から発動されたという「大躍進」政策、15年でアメリカ・イギリスを追い抜くというスローガンの下、一足飛びの工業化を求める大号令がかけられました。その中でも鉄鋼生産は工業化の基本、象徴ということで特に重視されました。

 ドラマ「鋼鉄年代」の中でも鞍山製鉄工場に増産のプレッシャーがかけられると同時に、「地域でも自分で炉を作って鉄を作ろう!」という、原始的な溶鉱炉(土法炉)を用いた製鋼運動が開始されます。多くが革命の熱気に煽られご近所同士での鉄作りに励み、家から鉄物をどんどん拠出させられますが、設備もあるわけでもない掘っ立ての炉(土法炉と呼ばれました)ではくず鉄しか出来上がってきません。一部の心ある知識層は「そんなことをやってもダメだ、熱気で頭に血が上っているだけだ」と冷ややかに見る、或いは積極的に参加をしないのですが、その態度は周りから「革命的でない」と批判の視線を浴びることになります。

北京で考えたこと
(写真は当時の土法炉建設の様子)


 そして、それを挽回するためにある工場長は既に高炉で完成した鉄を盗んできて、「こんなに立派な鉄が土法炉からでもできた!」と成果を偽って発表し、結果それがばれて処罰されることになります。製鉄工場の持つ農場への異動、つまり製鉄所の技師としては左遷と言って良いでしょう。もう一人の革命戦士出身の工場長(日本人、鈴木加代と結婚一歩手前まで行った彼です)も、諸々心底ではやはり疑問には思いつつも、共産党軍隊出身の優秀党員という立場から、当時の過激な工業化をリードしていきます。当時の1958年から自然災害が3年続いたという、ただでさえ苦しいこの状況において、こういった狂気的な工業化への動きが、庶民の生活を更に圧迫することになります。

北京で考えたこと

(この写真は甘粛省で発見された、当時の土法炉の跡。とっても生々しいですね。記事はこちらから。)

 当時は生活必需品は全てチケットによる配給制度、そのチケットを持って長い列を作るのですが、現金がどうしても必要な時(例えば高額の医療など)には、止むを得ずそれら「糧票」をヤミで売って現金を手にする、或いはかつて自らが命をかけて戦い、その功績を称えるために授けられた軍の勲章も売りに出さざるを得ない・・・。当時の都市住民の生活はそれ程厳しいものでした。農村は更に過酷な生活で、その都市住民ですら「ここ(=農村)は長居するところじゃない」という始末。2000万、3000万、いやもっともっとという人もいる、これだけの餓死者を出した経済政策の結末は、ドラマでは「肉が食べられない、腹が減って仕事ができない」といった都市労働者の描きぶりでしたが、現実は(特に農村は)恐らくドラマでも描ききらないような悲惨なものもあったのでしょう。でも、その一端が垣間見れます。

(下は当時使われていた「糧票」)

北京で考えたこと


 当時は農業・農村は工業化を支える役割を果たすべしとありました。ドラマの中でも「国を支える鉄を作っている労働者のために、農村は食糧を生産しなければならない!」と掛け声が上がり、農村での厳しい開墾生活から食糧を節約して工場労働者に運んでくるというシーンがあります。当時の工業化一本の路線が伝わってきます。現代中国でもある程度いえますが、中国の都市と農村の、同じ国同士とは思えないくらいの違い・格差は感じます。その断絶はドラマの中では都市と農村が助け合う美談として、しかし現実には状況も制度も異なる二つの異なる中国があったのでしょう。今でこそ農業にも大きく補助金が出るようになった中国ですが、中国建国後、中国農村は厳しい状態を切り抜けてきたことが分かります。

 全てが工業化へ、製鉄へと担ぎ出された一連の経緯は本で読んでは知っていたのですが、ドラマの中で革命の熱狂が生み出す経済政策が、異論を許さない雰囲気を作り出していく感覚は、ビジュアルにもひしひしと伝わってきました。