読み終わりました。
 
小説って読者に触媒のように働いて心に何らかの作用を及ぼすもので
それ自身はゼロから始まってゼロに終わる。
何か有用な知識が得られるわけではない。
 
次はどうなるのだろう、
多くの暗示の意味するところは?
そのストーリーや暗示に具体的な意味が無くても
自分の中に何かが励起されて何かを得たような感覚があれば、
そしてもちろん読んでいる間、楽しめればOK。
 
Book3、確かに面白い。
でも右手と左手でじゃんけんをしているような、
そんな予定調和的な印象を受けてしまいました。
そして説明的。
 
主人公のひとり、天吾くんは相変わらず主体的ではない。
作中でも「重要人物ではない」と言われ続けている。
彼の主な役割は「小説を書く」という行為とその結果生み出される小説というものの意味を
わかりやすく読者に伝える事。
他の作品の主人公たちが必死にやっていた「踊り続ける」事、
じたばたと足掻き、井戸に入って壁を抜け、
時には腹の皮膚を浅く裂かれる、そんな冒険は牛河に任されています。
 
結果としていちばん感情移入できるのが
有能ではあるけれど醜くて物語の本質からは疎外された
必要悪としての牛河、ということになってしまいました。
 
現状ではBook3が書かれたことに懐疑的ですがまだ1読目。
少し時間を置いて「作品を作品としてそのまま100%受け入れる」姿勢で
再読して見ようと思います。
 
今回平行して拾い読みしていたのが
「暗闇にノーサイド」 (矢作俊彦・司城志朗著)
気楽な小説で、25年も前から手元においてたまに読んでいます。
牛河章と共通点がありました。